新聞で車谷長吉の訃報を目にした。食べ物を喉に詰まらせて窒息死したという。本人の作品にそのまま出てきそうなエピソードだなと思った。
【長吉はんは買って帰った惣菜を喉につまらせた。眼の白い部分がぬらりと光っていた。泡をふいて、吐瀉物にまみれて、もがき苦しんで死んだ。数えで七十。長生きしたほうやと誰もが思うた。とっくに死んだもんやと早とちりしていた旧友は、新聞の記事を見て生きておったんかとつぶやいた。長吉はんの最初の短編集が“生前の遺稿”と称されたばかりに、既に亡い人と誤解した読者も少なからず在った。本人は死ぬことを楽しみにしていたというが、死に際は凄絶で、そして滑稽であった】などという具合に。
久しぶりに、その“毒虫”と自称する私小説に浸かってみようと思った。若い日に読んだのとは決定的に違う感想が得られそうだと確信できた。あの頃の私は、私小説の毒をことさらクローズアップして魅せるそのスタンスに、あるポーズを嗅ぎ取っていたのだ。若い勝手な嗅覚で。しかし確かに、凄絶なあるものは、こういう形でしか表現しきれぬのだと、思い至ったのは、私が生きたその後の歳月のためだろう。
本作は以下六編の短編を収録している。
『なんまんだあ絵』
『白桃』
『愚か者』
『萬蔵の場合』
『吃りの父が歌った軍歌』
『鹽壷の匙』
私小説に詩的表現がなされている。今回読んでの発見だった。
『一月末時分の寒いある日、行商の薬屋が来たので、火鉢をすすめると、薬屋がふと壁の柱時計を見て「恐ろしい」と言った。見ると、時計の針が停っていた。ただそれだけのことであるが、祖母は「うちは厭な気がした」と言うのだった。父は「薬屋がの。」と言っただけだった。宏之が天の海を泳いでいた。』
臭味でなく、それが香気にまで昇華され得るのは、こういったさり気ない文体の美しさにもよるのだろう。
日陰に咲く華に目をみはる。そういう気づきは、若い頃にはできなかったことだ。他の作品も再読したい。この悲惨なまでの凄絶と裏腹に存在する“救い”
かつては読み切れなかった部分を、いまならもしかしたら、嗅ぎつけることができるかもしれない。
