四谷に『定食酒場食堂』という、食堂でもない居酒屋でもない不思議な店がある。安いので、たまに食事をするようになり、FB で経営者の天野氏を知るに至った。年明けに5冊目の著書が出ると知り、その前に予備知識を得ておこうと旧著を1冊読んだ。
玉石混淆という感じだった。ただでさえ自己啓発本は新刊でなど買いはしない。普通なら次はないなと思ったろう。しかし著者本人の働きっぷりを直に見ているだけに、その現在の見解や主張を読んでみたかったのだ。もちろん、玉石の“玉”に興味を抱いたのもある。
標題の「ゼロポイント」とは自分の軸という意味であるようだ。軸がしっかりしていれば、なにも恐いものはないと。また、人は生まれたときゼロで、死ぬときも手ぶら、ゼロになる。そういう死生観も意味している。そして、以下のような倫理的な捉え方もされている。
【ゼロポイントに立てるかどうかは、自分の人生に対して、誰かのせいにするのではなく、自分で責任を持てるかどうかなのだ。】
【誰にだって「こうなりたい」という理想はあるはずだ。だとしたら、その理想を追い求めて、明日は今日より少し理想の自分に近づければいいだけだ。その時、過去に固執せず、嫌な思い出に責任を擦り付けるのではなくだ。】
ここまで読んで、私は持っていたつもりの軸=ゼロポイントが、まだまだ甘く、言い訳じみたグレーなものでしかなかったと気づいた。親に捨てられた天野氏がいう、過去のせいにするなという言葉は重く、説得力があった。
また、軸は現実に立脚しているべきという主張にもハッとさせられた。
【理想のエリアに身を置き現実を見ている人は一日中怒っている。そしてこういう人はうつ病になりやすい。】
【理想のエリアに自分の身を置いている人は、一刻も早く、現実のエリアに身を置くことである。現実から理想を見る。】
【無駄なリスクを避けるためにも、理想から現実を見るのではなく、現実から理想を見られるようになることをお勧めしたい。】
どうやら私が自分の軸と思っていたものは、甘く言い訳じみていただけでなく、現実からも遊離し、それゆえに自分にも他者にも攻撃的になりがちだった。(著者がここでいうリスクとは他者との摩擦を指しているものと思われる)。
と、幾つかの重要な気づきを与えてくれた本書だったが、内容は全般的に雑談っぽく、旧著同様に玉石混淆な感じだった。ただ、逮捕・不起訴釈放による社会的抹殺や、現在の「定食酒場食堂」に関する記述は、著者本人に興味を抱く者としては目を離せない内容だった。
今年、十店舗を展開すると書いてある。FB によれば、5月に最初の支店がオープンするようだ。この破天荒な人の生きざまに、今後もエールを送り、注目していきたい。
