新聞か雑誌で憲法に関する評論を読んで、その著作を読みたいなと思って買ったのだが、故あって、しばらく積ん読していた。
読み易く、頁はどんどん繰っていくのだが、論点がわからず戸惑ううちに退屈し、居眠りして湯船に落としてしまったのだ(風呂で読んでいたのである)。それで乾燥させておくつもりが、つい億劫になって、いまさらになった。一年くらい干していたらしい。
いま積ん読の在庫は15冊くらいあるが、さて次はどれをと本棚を見回したとき、自然と掴んでいた。いわゆる“戦争法案”が強行採決されようとしているこの状況においては、読むべき本だったと思う。
当初、とりつく島のなさに退屈した理由はだんだんと理解できた。著者のスタンスが“比較”による総合化であり、そのため様々な材料が、視点が活用され、ジャンルも国籍も縦横無尽なのだ。
新書という特性上、これを平易に書くのだから、軽妙に、横断的著述がされ、その目的やビジョンを掴まないで読むと、ただ読んで終わりになってしまう。前回はそうやって湯船で船を漕いだわけであろう。
と、著者の目指す壮大な方向性に気づくのは遅かった。最後に、以下の一節を目にして、私は予期せぬ感動に息を飲んだ。まるで不意打ちのように。
【個人の尊厳を確保するための「力による平和」、という西欧立憲主義の「命題」に対して、個人の尊厳という価値を受容しながらも、正真正銘の「反対命題」をさし出しているのが、ほかならぬ憲法九条なのだから。】(P181)
そうか。
正真正銘の「反対命題」!
私たちは、68年間守り続けたそれを、近々、修復できないくらいに傷つけようとしている。再生できぬ程度に、捨て去ろうとしている。
先見性と可能性を秘めた反対命題を解釈で歪ませ、総合化することを放棄して、差し出された命題を鵜呑みにしようというわけだ。
今週中に、“戦争法案”は強行採決されるという。なにもできずにニュースを観ている。傍観者も、歴史に断罪されるのだ、と心中穏やかでない日々だ。
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