北海道大学でロシア文学を専攻したという同僚に「オススメは?」と訊ねてみての回答がソローキン、特に本作というので買ってみた。現代のロシア文学は全く読んだことがなく(ソルジェニーツィンやオレーシャ等のソ連文学(?)を少し読んだくらい)、未知の分野を開拓する良い機会だと捉えた。
と、軽い気持ちで向かうのは甘過ぎた。ロシアのポスト・モダンは、日本のバブルに浮かれた時代のそれとは次元が違った。
前半は“ボリス”という男性の手紙によって、何らかの研究に勤しんでいる様子が伺えるのだが、時代背景も場面設定も説明なく、一方的に話が進んでいくのには戸惑った。正直、意味がわからなく、しばらくは読み進めるのが苦痛ですらあった。
冒頭、読者はこんな書き出しに洗礼を受けねばならない。
一月二日
やあ、お前。
私の重たい坊や、優しいごろつきくん、神々しく忌まわしいトップ=ディレクトよ。お前のことを思い出すのは地獄の苦しみだ、リプス・老外(ラオワイ)、それは文字通り重いのだ。
しかも危険なことだ――眠りにとって、Lハーモニーにとって、原形質にとって、五うん(草冠に糸偏+温)にとって、私のV2にとって。
と、中国語混じりの単語などが連発され、その意味不明さに圧倒される。巻末に索引があって見てみると、
【Lハーモニー:生物や物質が持つシュナイダー野の平衡度】
ますます頭痛がしそうだ。
読み進めるにつれ、これは未来の話だとわかり、クローンで再生されたロシア文学の巨匠たちが登場し、その作品が挿入されていく。これはまあまあ面白く、きっとロシア文学好きにはパロディ具合が楽しめるのだろうと思った。この意味で、訳文の限界かなと感じたし、ロシア文学に精通した人でないと面白みは半減するだろうと感じた。
後半部は過去に飛んで、スターリンやフルシチョフが登場する。ひどく卑猥な内容もあって、本作が本国において保守層から批判されたというのも頷けるが、前半と異なり、スムーズに読めた。
ロシアのポスト・モダンは、日本の文化的なお遊び的なターニングポイントではなく、一つの国家体制がひっくり返る未曾有の混乱を伴った時期を包含する。
その切実さが、このような一見するとハチャメチャな作品を求めたのだろうか。
それにしても、“ボリス”たち未来のロシア人が追い求め、過去に運び込まれてスターリンが手にした“青脂”とは何だったのか。オレーシャ『羨望』で描かれた“機械”のように、それは謎のまま、暗喩のようにして読者それぞれの行間に残される。
スターリンの登場する場面から、最後に当初の未来の時代に話は戻る。文体のギャップが、時代の差異を際立たせており、ようやく著者オリジナルの造語や中国語スラングがもたらす効果の一端が理解できた。理解するのが遅かった、リプス・ニーマー的、老外。
