都心に用事があった帰り、予定外だったが久しぶりに新宿の紀伊國屋書店を訪れた。目当ては、中小の書店では入手できないマイナーな文芸雑誌だ。
『早稲田文学』はいつの間にかムックになっている。手にとってみたが食欲をそそらない。
『三田文学』も妙に垢抜けてしまい、よそよそしい。
『季刊文科』は並んでいない。売り切れか、あるいは休刊か。
そして『文芸思潮』。なんだか洗練されてない表紙。見た目で損をするタイプ。一度も買ったことがなかったが、『同人雑誌優秀作』が一挙に六編掲載されており、読みたくなった。
商業主義的に需要と合致するか否かの分水嶺があって、表に出ることの少ない同人誌作家だが、ときにプロにも勝る珠玉の作品が生まれる。なのに書店に並ぶことはほぼないので、入会するか定期講読するかしないと読むこともできない。
『文芸思潮』は、それらの中から優秀作を選んで、転載しているのだから有り難い(かつては『文学界』が毎月作品評を行い優秀作を転載、同人雑誌からメジャーへのパイプとしても作用していたのに、儲けにならないと踏んだか、止めてしまって久しい)。
こうした取り組みは『三田文学』が継承したはずだが、他にも幾つかの商業ベースに乗らない雑誌が行っている。しかしそのほとんどが店頭に並ばないのだ。
と、前置きが長くなったが、以上のような背景によって、私は期待を込めて六編を読んだ。
『睡蓮』(弦106号 長沼宏之)
パニック障害を持った男女のなれそめと半生を描く。同人雑誌らしいベーシックな私小説のヴィーグルに、現代的なテーマをにじませて読ませるが、訴えるものがわからなかった。
『川靄』(北方文学79号 柳沢さうび)
太宰治の『魚腹記』を彷彿とさせる。しかしその幻想的な伏線が回収不足で、やや後味が悪かった。
『妙子』(季刊遠近72号 小松原蘭)
これもメンタルの疾患をテーマに据えた作品。かなり強烈な家族ドラマであり、退屈さを感じる暇もなく引き込まれた。病気という非日常がリトマス紙になって文学で表現される佳品。
『雨宿り』(八月の群れ69号 葉山ほずみ)
これも定番の家族ドラマなのだが古臭さを感じない。著者が若く、その感性が文体に活きているからだろうか。安心して読める筆力にも感心。
『火鈴』(木木32号 木山葉子)
悪くないのだが、地に足のつかない印象を受けた。最後に種明かしするような持っていきかたをするならば、そこに何らかのカタルシスまたは行間にうったえるものが欲しい。
『当麻曼荼羅』(たまゆら114号 桑山靖子)
ちょっと辛気臭くて、そのためか古臭くも感じた。古い時代設定の話として読めばスンナリ入ってくるのかもしれないが。また、誤植の多さが残念だった。転載したものだから、その辺はブラッシュアップされて然るべきと思うのだが。
と、久々に上質な同人誌作家の作品を通読した。
私も重い腰を上げたいと、励まされた気がする。
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