意識的に中国のことを学ぼうとし始めたら、わからなかったことが多すぎて焦った。いったい私は世界の何を知っているというのか。なにがわからないかもわからないというのは不安をもよおす。私の知識欲の半分は、こうした焦燥に支えられている気がする。
しかし近頃は環境の変化に疲れているせいか、学術的なものが頭に入ってこない。それだけに、紀行文風の本書は私の浅薄さにも優しく、面白かった。
雄大で、メロウなメコンの流れ。エキゾチックで混沌のインドシナ。題材がまた、疲れた読者をトリップさせてくれるには最適である。
本作執筆当時、著者は時事通信社の記者。行動力と表現力の高次元での両立が、リアルで滋味あふれる物語を展開する。
最初は構えて付箋紙を用意してページを繰っていったが、何故だかすらすら読んでしまった。学ぶ、メモする、という姿勢がどうやらそぐわないようなのだ。描かれるインドシナの渦中に読者も同行するような追体験の感覚だ。何故、どのように、そういう読み方をさせているのか、技術的な部分は読んでいても解けなかった。不思議である。
やや反共的な意見を述べることもあるが、視点は偏りなく、安心して読み進められた。といって事実経過を淡々と書くのではない。なのに著者の思想的なにおいがまったくしない。だが、物足りなさも感じない。清々しい文体だ。時事通信社で身につけられた報道の技術なのかもしれない。
副題に“裏面史に生きた人々”とあり、たとえば残留日本兵や、クメール王家の末裔、はたまたタイでハーレム生活の挙げ句に逮捕された日本人の後日談など、新聞の片隅にしか載らないようなエピソードが取り上げられている。その過程で、著者は静かに義憤に駆られ、或いは激励し、書いたものが場合によっては何かを実現したりする。
いまはどうかわからないが、少なくとも当時は、ジャーナリストの活字に、“力”が備わっていたのだなと感銘を受けた。
