この手の戦没学生関連本は幾つか読んできたが、よほど胡散臭いものでない限りは手にしている。本書は地下街の催事場で、最終日セールにつられて見つけた。いまから20年前、すなわち戦後50年の節目に発行されている。
思えば当時は村山談話が出て、戦後50年を記念した映画はリメイク版『きけ、わだつみの声』で、まだ日本が戦争を皮膚感覚として忌避していたのだなあと、隔世の感慨は深い。
前半は講演を原稿化したようなだらだらした調子が気になったが、次第に著者の執拗さに引き込まれていった。私は幾つかの一節を、反省とともに読み、そして読み返した。
【私達は善悪の判断をする能力がないとは言えない。私達は善悪を知る。それにもかかわらず悪に引摺られて、善を断行する力を失う。そうしてそれに理由を、弁明をこじつける。】(学徒兵 中村徳郎)
【無批判は知識の欠乏より来るのみではない。それは理想の欠乏、正義に対する感覚の喪失より来る。】(矢内原忠雄)
【どんなに歴史が強烈に動いても・・・人間の義務はあらゆる場合に、歴史に消耗されっぱなさず、歴史に働きかける力としてめいめいが存在しなければならないことにあるのではないだろうか】(宮本百合子)
子の世代に、私たちは禍根を残すのではないだろうか。日々のあれこれに受け身になって、いま進行している“歴史”の一端に対し傍観者でしかないのであれば、歴史は繰り返されるのかもしれない。
それを防ごうと、私たちは“わだつみのこえ”に応えたはずだったのだが・・・。20年前のあの映画を、また観ようと思った。
