よい子の読書感想文 

読書感想文544

『何もかも憂鬱な夜に』(中村文則 集英社文庫)

 昨年度の手帳をぱらぱらとめくっていて、気になる本を列挙した頁にメモしてあるのを見つけた。
 たいてい新聞の書評を読んで興味を持ったものがそこにはメモされているわけだが、どんな書評だったか、誰が書いたものだったか、記憶にない。又吉直樹がどこかで言及したのをメモしておいたのかもしれない。というのは巻末を開き、解説を又吉直樹が書いているのを目にして連想しただけで、何かを覚えているわけではない。記憶力の頼りなさと、手帳の大切さを再認識した。
 ただ、ひとつだけはっきりしていることがある。使い終わった手帳の中に『何もかも憂鬱な夜に』という走り書きを見つけたとき、私は、迷わず読もうと決めて、決めたときに買わねばまた時期を失すると思ってアマゾンで注文した。書評を読み、必ず読みたいと思ったことだけは確かなのである。私も、“何もかも憂鬱”だったのだ。
 記憶の喚起と、連想のコラージュ、そういった作品である。重層性と場面の切り換え方は、映画やドラマのようで、やや目まぐるしく、読んでいて状況を追いかけるのに疲れそうだった。
 とても薄い文庫本に収まる内容ではないと思った。無理に枠に収めた感じがした。商業的な都合で出版社側が枚数を指定したのだろうか。あるいは冗長さを避け、丁寧な描写よりもドライブ感を重視した著者の手法なのか。
 ここ最近の純文学をあまり手にしていないため、その傾向はわからないが、当作品に限っていえば、テーマ的には純文学、表現手法は娯楽小説に近いと感じた。
 とにかく読ませるため、読者を引っ張るため、手法は駆使する、そういうスタンスなのだろうか。上司が居酒屋でべらべらと(守秘義務に触れそうな)職務上の話をするのは不自然な描写だが、読む側はそれを忘れて作品世界に浸ってしまう。同様に、未決囚・山井の手紙は、作品世界に一応の幕を降ろす格好の材料として扱われ、それは成功しているのだが、冷静に読めば、材料の調理法は限りなく娯楽小説的だ(というのは、二度続けて読んで、ようやく気づいたことなのであるが)。
 深刻な、存在の不安。現代においてそれを一般的な読者も読めるものとして表現するには、以上のように指摘した娯楽小説的技術が必要なのだろう。中村文則はその意味でテクニカルな書き手だ。本作における結末は、映画やドラマみたいな匂いがして、純度を落としてしまっている感が否めないけれど。
 また著者の意図かどうかはわからないが、死刑制度については考えさせられた。関心のなかった人も、問題意識を持たざるを得ないだろう。
 保護される側から保護する側へ。そういう成長の物語という見方もできる。様々な人が、様々な角度から読める、案外に守備範囲の広い作品である。
 
 


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「純文学」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事