
以前から気になっていた。
同著者のものは『何もかも憂鬱な夜に』しか読んでいなかったが、印象は良かった。
純文学作家が、現代の問題意識・切り口で、どのようにカルト宗教を描くのか。高橋和巳『邪宗門』との比較という視点でも興味深かった。
読み比べてみて思うのは、時代の要請が下味になっているということだ。『邪宗門』は“世直し”が根底にあったし、破滅へと向かう現実の“世直し”を、宗教団体の壊滅という形に託して作品中で描いてみせる。一方で本作は、ポスト・オウムの時代に、自然科学と宗教を横断的に捉えながら、その先へと超越するかに見えるポスト新興宗教的なモチーフ。これが各人各様の解釈によって、作中人物らの物語を交錯させる。
約600頁の大著だが、600頁で描き切れる内容ではなかったと思う。『教団X』を率いる男の内面や、教義や、教団のありようが表現し切れておらず、読んでいてそのカリスマや必然性などが全く感じられなかった。荒唐無稽さに終始し、最後に軽く語られる男の経歴は、補完にも足らず、言い訳じみてさえ見えた。
根本にある世界への反感、義憤みたいなものは、『邪宗門』に遠くないのだろうと感じる。主要な登場人物たちは、こぞってそれを匂わせている。著者の隠しきれない個人的な想いなのだろうと思う。器用とは言えない手法で溢れさせ、結末にもっていった著者の並々ならぬ力には感服する。
『邪宗門』とは違い、疑問符を抱えながらも、残された者らは前を向き、生きようとしている。これは、著者の決意でもあろうかと希望的に観測しつつ、今後の作品にも期待したい。
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