よい子の読書感想文 

読書感想文360

『子どもの貧困──日本の不公平を考える』(阿部彩 岩波新書)

 岩波新書(新刊)の背表紙を眺めていてみつけた。題名からして私には読むべきものに思われた。
 いままでも社会変革や社会問題を扱ったものはときどき読んできた。戦争、搾取、不平等、闘争……。それらに私が反応するのは、やはり私自身が体験した子ども時代の“貧困”が、単なる思い出以上のものになってしまっているからだろう。
 それゆえ関心が維持されるわけだが、その原風景は消化(昇華?)しきれぬルサンチマンをもいまだに引きずらせてしまい、私自身、貧困の問題を曇りない眼で見ているとは言い難い。
 目次を見ただけで辛くなりそうだった(実際、最初に読み始めたのは昨年夏だったが、読み進むのにストレスを感じて、いったん放棄したくらいである)。
 正直言って、感想文なんて書けないくらい、私情が入ってしまいそうなのだ。簡潔に終えよう。
 著者のスタンスは以下である。
《子どもの基本的な成長にかかわる医療、基本的衣食住、少なくとも義務教育、そしてほぼ普遍的になった高校教育(生活)のアクセスを、すべての子どもが享受するべきである。》
《たとえ「完全な平等」を達成することが不可能だとしても、それを「いたしかたがない」と許容するのでなく、少しでも、そうでなくなる方向に向かうように努力するのが社会の姿勢として必要》
 大いに賛同する。驚くべきことに先進国中で日本の相対的貧困率はアメリカに次いで2位だという。日本が豊かな国だという表層のイメージと、なぜこうも噛み合わないのだろうと不審に思って、“一億総中流”なるフレーズを思い出した(文中、著者も幾度か言及している)。
 豊かである、貧困はない、皆が中流である……といったイメージが、ある目的をもって刷り込まれてきたようにしか思えない。まるで共同幻想のようなそれが、今にいたるも日本の福祉、中でも貧困対策を狭いものにしているのではないか。
 本書は様々なデータをグラフ等を用いて掲載していて新書としては資料的価値も高いものと思う。諸外国と比較してみて日本がいかに「自己責任」を振り回す福祉後進国かが思い知らされる。また特に愕然とさせられたものが子どもの貧困率を(社会保障制度や税制度による)再分配前と再分配後で比較したグラフである。日本だけが再分配後のほうが貧困率が上昇しているのだ! 北欧諸国やフランスは再分配後に1/4以下にまで減っているし、相対的貧困率の高いアメリカでさえ日本みたいな逆転現象は起こしていない。日本の福祉政策がどれだけ子どもの貧困に無頓着であるかの証左であろう。
 こういったデータや著者のような研究者の努力のためもあったのだろう、民主党は子ども手当てとやらを約束したが、これも反古になりつつある。子どもの貧困に対する政策をしっかり練っているかどうか、それを今後の投票基準にしてもよいと私は個人的に思う。
 著者は『すべての子どもにあたえられるべきもの』という節で、「相対的剥奪」という概念を紹介している。これは相対的貧困が収入で算出されるのに対し、「人々が社会で通常手にいれることができる栄養、衣服、住宅、住居設備、就労、環境面や地理的な条件についての物的な標準にこと欠いていたり、一般に経験されているか享受されている雇用、職業、教育、レクリエーション、家族での活動、社会活動や社会関係に参加できない、ないしはアクセスできない」状態と定義される。
 著者らは知ってて書いているのか知らないが、子どもはまさに“相対的”な社会に住んでいる。みんなが持っているから欲しい。みんなと同じじゃないと仲間に入れない。同じアニメやバラエティー番組で文化を共有し始める。それが良いこととは思えないが、その気持ち悪いくらい相対的な社会にあって、不本意にも異端であらねばならない苦しみを、幼い人間に味わわせていいはずがないだろう。多感過ぎるその時代に、自らの努力ではいかんともしがたい理由で、屈辱感を、劣等感を、感じさせるなど許容できない。
最後にイギリスのCPAGが発表したマニフェストを、著者が日本版にして提案したものを抜き書きしておく。
《すべての政党が子どもの貧困撲滅を政策目標として掲げること》
《すべての政策に貧困の観点を盛りこむこと》
《児童手当や児童扶養手当等の見直し》
《大人に対する所得保障》
《税額控除や各種の手当の改革》
《教育の必需品への完全なアクセスがあること》
《すべての子どもが平等の支援を受けられること》
《「より多くの就労」ではなく「よりよい就労」を》
《無料かつ良質の普遍的な保育を提供すること》
《不当に重い税金・保険料を軽減すること》
《財源を社会全体が担うこと》 220~234ページにわたって、これらは丁寧な解説つきで述べられている。この解説がそのまま辛辣なプロテストになっている。爽快ですらある。
 本書はこのままお蔵入りせず、いつでも手に取れるようにしておきたい。
 著者はあとがきで、自身の貧困研究の発端として、新宿駅西口から突如消えた(消された)ダンボールハウス村の存在を挙げている。貧困を体験しない人間がいかなる理由でその研究や救済に立ち上がるのか、私には興味がある。想像力、なのだろうか。


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