よい子の読書感想文 

読書感想文228

『李陵・山月記』(中島敦 新潮文庫)

 出会いは高校3年の国語教科書。定年間際の国語教諭が朗々と読み上げる漢文的な調べが、いまでも耳に甦る。ただ面倒くさいだけだった漢文に、美的な興味を覚えた最初であった。
 それからすぐに文庫本で入手して何度か読んだ。おそらく引っ越しで無くしたようだ。それ以来の再読である。
 書かれたのは第二次世界大戦のさなか。純文学には暗黒の時代だ。しかも著者にとって喘息の発作で落命する直前の時期にあたる。二重の障害を思うとき、中国古典の中に投影され究めようとしていた痛切ななにものかが身に迫る。
 本書には『山月記』、『名人伝』、『弟子』、『李陵』の四編が収められている。共通するのは古典という入れ物の中に、近代人の自我(中でも真・善・美を求めて他と衝突し、かつそれが内に向かって責め苛まれるような)の問題を吹き込んでいる点だ。
 芥川龍之介もこういった手法で王朝ものを描いたが、中島敦の場合、自嘲へと追いやらない誠実さ、言い換えれば不器用さのようなものを感じさせる。
 かつては漢文的雰囲気の中、古代中国へのロマンや美文への耽美が先立って見えなかったものが、今回の読書によって垣間見えた気がする。
 李徴、李陵に投影させた冷厳な自己解析。高尚なようで、実は身近で我がことのように読んだ。李徴と同じ轍を踏みつつある自己を顧みながら……。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「純文学」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事