新聞の書評を見て、この書き手を知ったはずなのだが、どんな書評だったか忘れてしまった。積ん読してしまうと、いつもこうである。
Amazonから届いて、頁を開き、最初の短編『孤島夢ドゥチュイムニ』を読んだ。
純文学らしからぬ軽い調子の口語体が地の文なのだが、そこに沖縄の原語らしき片仮名が入り交じる。そのアンバランスに違和感を覚え、ちょっと食欲を削がれてしまった。
本書は七つの短編からなる。すべて『すばる』に収録されている。掲載誌で作品を評価すべきではないだろうが、少なくとも純文学の四大商業誌に載っている。私は積ん読しながらも、自分の違和感を疑うべきなんだろうなとは思っていた。
すべて通読してみて、文体のアンバランスさは意図されたものだろうと類推した。あくまでも現在の立ち位置から撃とうとする試み、そのように私は解釈する。
島の言葉で幻惑されそうになるが、これは怨念を表現するだけでなく、それとは全く異なる意図が含まれているようにも思える。
あの現代ロシア文学の異色作『青い脂』が、中国語混じりの未来ロシアスラングを駆使して読む者を惑わすときも、今回に似たような何かを感じた。
気づきの一種、とでも言えばいいのか。それが愉快な気づきではないとしても、著者は書かねばならなかったのだと思う。
もっと誠実に、読むべきだったと、いま省みている。
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