知人の勧めで読んだ。その人は同じランナーで、私と同様、趣味というよりは競技として大会に臨んでいて、おっしゃることに説得力がある。だからこれは読んでみたいと思った。
とはいえ、自己啓発本の多くは、(要約すれば)現状を改善することよりは解釈を変えて現状を容認せよ、といった主旨のものがほとんどで、読む場合は斜に構えるようにしている。本書も題名から、そういったスタンスのものかもしれないと少し警戒して読み進めた。
著者はまず前書きでこう書く。
「諦める」という言葉は「明らめる」だという。
仏教では、真理や道理を明らかにしてよく見極めるという意味で使われ、むしろポジティブなイメージを持つ言葉だというのだ。
そこで、漢和辞典で調べてみると、「思い切る」「断念する」という意味より先に「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味が記されていた。
その上で本書の方向性をこう述べている。
「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」
ちょうど私は職務上、ステップアップしなければならない時期にあたっており、現状と問題点及び展望などを分析する必要に迫られていた。いま再び紐解いてみると、絶妙なタイミングで、私が考察すべきことを気づかせてくれる読書だったと思う。
種目もレベルも違うが、同じ陸上競技に情熱を傾けた人。しかも同年齢というのも同感を呼んだ。“諦める”ことを積極的な面からつきつめていくのだが、その思考過程は非常にドライで良い意味で日本人離れしている。具体的にはこういう感じだ。
「勝つことを諦めたくないから、勝てる見込みのない100メートルを諦めて、400メートルハードルという勝てるフィールドに変えた」
多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている。
だが、目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのではないだろうか。(第1章 諦めたくないから諦めた)
そうだよな、という頷きとともに、私が自分の“目的”を分析しないまま“手段”に拘泥していたことに気づかされた。
加齢とともに、自分なりに取捨選択はしてきた。一人の人間ができることは思っているより限られていると少しずつ気づき、30代の後半から、絞り込みを意識的には行ってきた。しかし、つきつめて自分に問い詰め、思い切ることはできていなかった。
そもそも、自分は何をしたいのか。
自分の思いの原点にあるものを深く掘り下げていくと、目的に向かう道が無数に見えてくる。道は一つではないが、一つしか選べない。
だから、Aという道を行きたければ、Bという道は諦めるしかない。最終的に目的に到達することと、何かを諦めることはトレードオフなのだ。何一つ諦めないということは立ち止まっていることに等しい。(第2章 やめることについて考えてみよう)
掘り下げること。これが足りていなかったと思う。そのときの自分なりのモチベーションの赴くままに、悪く言えば気分に従って、流れるようにやってきたことは否めない。まだまだ諦める余地(変な言い方だが)はあると自省した。
著者のドライさはアメリカで暮らした経験だけでなく、その学識にも裏付けられている。
経済学では、今後の投資を決定するときに、絶対に返ってこないサンクコスト(埋没費用=何をしても回収できない資金)を考慮しないのが鉄則とされている。(第2章 やめることについて考えてみよう)
こうした論理を個人の選択・判断にも適用するのは難しい。けれど、それが合理的であり、選択肢を局限して可能性を引き上げるのには必要なのだと思う。特に私のような凡人にとっては。
「もったいない」という執着によって時間やチャンスを失わないようにしようと噛みしめた。
そして、職務における問題点や展望を考える上で、これは覚悟を決めねばなるまいと思えたのが以下のような文脈である。
努力なしに成功を手にすることはできない。
しかし、人によって努力が喜びに感じられる場所と、努力が苦痛にしか感じられない場所がある。苦痛のなかで努力しているときは「がんばった」という感覚が強くなる。それが心の支えにもなる。ただ、がんばったという満足感と成果とは別物だ。
さほどがんばらなくてもできてしまうことは何か。今まで以上にがんばっているのにできなくなったのはなぜか。そういうことを折に触れて自分に問うことで、何かをやめたり、変えたりするタイミングというのはおのずとわかってくるものだと思う。(第5章 人は万能ではなく、世の中は平等ではない)
40歳を過ぎ、人生の折り返しに来た。これからは探すことよりも、削って、深めていくことで、限られた時間と否応なく衰える種々の能力を最大限に活用し、自分の“目的”を常々意識していきたい。捨てるべきものは、まだまだたくさんあるだろう。
著者は最後にこう書いている。
何かを真剣に諦めることによって、「他人の評価」や「自分の願望」で曇った世界が晴れて、「なるほどこれが自分なのか」と見えなかったものが見えてくる。
真剣に諦める。
若いときには出来なかったことだ。そして、いくら経験を積んでいても、自己分析を怠れば、到達できない地点である。
秋の夜長に、考え事にふけることが多くなりそうだ。でもそれは悩むというより、ちょっとだけ、わくわくした気持ちを伴っている。良い示唆を得られる読書だった。
