朝日新聞の『天声人語』でその存在を知り、読みたいと思って手帳にメモしていた。新聞の効用(の一つ)は自分のソナーに映らない魚影が、投網にストンと入ってくる、そういう不意の出会いである。
届いた本の帯には、
“「天声人語」で大反響!”
大新聞の影響力を思った。私のような経緯で手にした人が大勢いたのだろう。
更に、帯はこう語っている。
“23歳で白血病に倒れ、妻にも去られ、病室で幼子を育てながら、わずか25歳で世を去ったひとりの俳人。”
絶句させられるような晩年である。この壮絶なイメージが読む者を覆い尽くしてしまうのは、作品を鑑賞するにあたって良いことだったのかどうか、難しい。
月、静かに氷枕の氷がくずれる。
この句に鳥肌が立つのは、著者がどのような状態で詠み、その後、若くして亡くなってしまったことを知っているからだろう。
現実のストーリーと補完し合うことを、文学としてはどう解釈すべきなのだろう。当初読んでの衝撃を経て、幾日かして冷静に思うのはそういう屁理屈なのだが、しかし詩歌は考えるのでなく感じるものなのだとすれば、それは感じた通りで良いのだなとも思う。
週末に届いたのを、早く目を通したくて、週明けから耽読した。仕事に身が入らなかった。自由律俳句というのをよく理解しておらず、他と比較して鑑賞する術もないのが歯がゆかったが、技法など云々する以前に、これは・・・
仕事どころではなかった、としか表現できない。
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