2004年に文庫版第1刷、2011年6月に、この第12刷が出ている。おそらく東日本大震災に伴う需要を見込んでの増刷だろう。
あの震災に関わった者として、世間が、三陸の人々が、これまでの津波をどう受け止め、対処してきたのかは関心事項だった。以前から気になっていたが、5年を期に、ようやく私情を抜きに考えられそうな気がして、自然に手が伸びた。
読んでいて、こういっては元も子もないが、歯がゆかった。人は、こうも痛みを忘れてしまうものなのか。繰り返された津波の悲劇は、多くの教訓を積み重ねたはずだった。それが、いつしか忘れられ、度外視されたのは何故だろう。
しかし、正直にいえば、震災の前、あの堤防を目の前にしたとき、私は不覚にも、『これなら大丈夫だな』と思った。かつてどれだけ高い津波が押し寄せたかは知らぬままに、手放しで無骨な人工物に、人間の勝利を見てしまったのだ。
お上への、稚拙な信頼も作用したのだろうか。やはり5年前の津波においても、あの万里の長城みたいな堤防が、人々に要らぬ安心感を与えたらしい。堤防によって海の見えなかったのも、逃げ遅れの一因かもしれぬ。
教訓は、なかなか生かされない。わかってはいても、目前の実利が優先されたりするのだ。たやすく破壊され流されていく木造住宅を目の当たりにした私は、あんな家は買わないぞと思ったものだが、気がつけば人並みに木造の住宅を買っていた。
と、人の営みの、懲りなさ、悲しさ、(言い過ぎかもしれぬが)教訓よりも目前の利益に左右されるはしたなさを、痛いほどに知らされた読書となった。
実際の津波に関連付けて読んでしまい作品じたいの感想が手抜きになってしまった。記録文学として秀逸だといっていい。それだけに歯がゆさはひとしおなのである。
