このところ貪るように高橋和巳作品に手を伸ばしている。さまざな妥協や諦めを経て、しかし割り切れぬ某かを抱えて矛盾を孕んだ自らを御し切れぬ今の私に、この書き手の作品は、福音なのか、麻薬なのか。
本作は地方都市の商工会議所が拠金する奨学制度を受けて立身出世した技術者を語り手とし、出世主義と相反する“観念”を抱えながら突き進んでいこうとする知識人の悲劇を描く。
ここでいう“観念”とは社会変革への真摯な倫理であり、語り手は実社会生活においても組合委員長として理論を体現していく。
社会科学の一般書みたいな緻密な構成を、退屈させずに読ませる筆力には改めて驚くが、著者の深い下調べに基づく体系的作品世界構成の影に、頑なにこだわっているテーマがあって、その迷いや愛への渇望が読んでいて胸に応える。
理路整然とした語り手の論理性と、裏腹な不倫の恋。自らの地位と矛盾する革命への志向性。選び得ぬままに、破滅へと疾駆するところに切迫感があって、ドラマチックだった。
宗教的なファクターから世直しと恋愛を照射した『邪宗門』。法学の権威が不倫の中で失墜しながら法によって闘おうとする『悲の器』。どれをとっても高橋和巳作品は私を揺さぶり、喚起し、激しく自省を促し、救いなどないのだという諦めの涙を与える。
次はいよいよ『憂鬱なる党派』を読もう。
