久しぶりに“闇”の三部作を読もうと思い、家の本棚から引っ張り出してきた。
以前私はイギリスにおける漱石のような……という読後感を持ったけれど、それは読みかじっての知ったかぶりだったかもしれない。
記者としてベトナムに赴き、その体験に基づく作品なわけだが、前に読んだときはその設定に惑わされていた。ルポ的に読んでしまっていた。“視るだけ”という局外者の立場でいながら、作品として、その拠って立つところは戦争文学といってよいだろう。
幾度か、ベトナムの情景に喚起され、敗戦前後の記憶が咀嚼される。
即物的に、視る、食う、飲む、姦淫する。
何かを必死に塗り替える。でなければ“つくられた”自己を、今度は“つくる”のだと。
語り手を捉える放縦と、反動みたいに訪れる決心。当時の時代の“におい”を知らない私がその躁鬱的な脈動から何を汲むべきか、いまいちわからないというのが正直な感想でもある。
“つくられた”ものの延長線上に、自分も、自分の文学も載っていることに耐え得ず、戦争の“におい”から苛烈な追体験をする。という読み方も、いまいちあたっていない気がする……。次作を手にしよう。
