この作家については、作品を知る前に経歴を知って興味を持った。アマゾンで調べて、手始めにどれを読もうかと思っていたら、やはり相場は高めだ。マニア受けする作家だからだろう。その中で『憂鬱なる党派』と本作に惹かれた。偶然、ブックオフにて相場の半分の値で本作上下巻をみつけた。合計1000頁の大著。久しぶりにこういうのを手にして、やや身構えている自分に気づいた。初々しい新鮮な気持ちがした。
戦前のある新興宗教団体を描く長編である。この団体については某かのモデルがあったのだろう。綿密な調査の上に、丁寧な人物描写と、波乱に富んだストーリー性。ただものではないなと思った。これだけのものを書きながら、あまり有名ではない著者は、不当な評価しか受けていないといっていい。換言するならば、こういった硬質の、かつ禁忌をものともしないテーマが、やはり万人受けしないし、こういうものを避けようとする、その文化状況こそが、70年代以降の政治的閉塞と保守化を誘因もしたのだろう。
著者はもちろん、新興宗教について書きたかったのではないだろう。“世直し”を目指して国家権力に潰されていったそれら戦前の団体に、著者の眼前で弾圧されていく新左翼運動を投影させて、真とは何か善とは何かと真摯に問いかけた、執拗なほどの熱が本書の核にあるように感じた。
人物が描き分けられ、読んでいて引き込まれる。それぞれが成長しあるいは老いていく中で、時代は破滅へと向かい、解散させられた教団のメンバーが各地に散ってそれぞれの思いを、悲しみを、悔いを、諦めを、決意を温めて、下巻への予兆を誘う。
さて、その下巻を開くとしよう。
