平易な文体で、労賃や資本について説明しながら、資本主義的搾取の構造を暴露した名著である。
まず労賃と商品価格の関連性に触れながら、ブルジョアが得る利得の尺度として、
「彼の商品の生産費である」と言い、また生産費の一部である労働力をも一商品であるとした上で、
「労働の価格は生産費によって、すなわち、この労働力という商品を生産するに要する労働時間によって、決定されるであろう。」と述べる。
では労働力の生産費とは何か。
労働力は商品でありながら、その主体となる労働者は生身の人間である。生きていかねばならない。資本の側からすれば、また明日労働させるべく、生かしてやらねばならない。これを労働力の再生産といい、
「彼の労働の価格は、必要生活手段の価格によって決定され」、また人間は生まれながらにしての労働者ではないから、
「労働者を労働者として育てあげるために必要とされる費用」も、その生産費に含まれるのである。
無論、人間は死ぬ。したがって、労働力の再生産には、
「労働者の生存=および繁殖費」も要する。
冷徹な表現ではあるが、資本主義における労賃決定において、これらは避けられぬ要点である。
詳細をここに記すのは避けるが、資本家の利潤と労賃は逆比例するという仕組みは目から鱗だった。これこそ貧富の格差を産み出す元凶であり、また資本が増大するにつれ分業化が進み、労働が簡単化され(この場合、労働力の生産費は低下する)、
「労働がますます不満で不快なものとなるのと同じ程度で、競争が増加し、労賃が下落する」という構造こそ、労働者にとっては自己疎外の起因であり、資本にとっては増大の糧なのである。
昨今の企業統合、グローバル化も、この観点からすればマルクスの説を裏付けていよう。その結果、失業者(資本の側からすれば都合の良い予備労働者)が増え、
「労働者の間の競争がますます拡大し、彼らの賃金がますます収縮する」のである。
では、対案、対策は何か。
マルクスはそれを労働組合に求める。労働者同士が競って首を絞め合う場合ではない。
「労働組合は、労働者階級の結合の手段であり、階級対立をともなう旧来の全社会の転覆のための準備手段である。」
資本主義は、絶えず構造を変え、交通を変え、工場を国内→中国→ベトナムというふうに移動させながら、その差異化をスパイラルさせつつ、自転車操業的に限界へと近付きつつある。先進国での少子化は、言い換えれば資本が労働者の生産費を賄えきれなくなっている証左でもあろう。
いずれ誰もが、マルクスの警鐘に再び聞き入るときがくるだろう。
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