毎日、何かと紙面を賑わす中国であるが、報道によって得られる情報は限定的であり、ついそれのみでイメージが形成され、自分が偏見に毒されていることに気づかない。これは恐ろしいことだと思う。自らアンテナを拡げ、参照し、比較し、分析しなければ、私たちは現在進行形の歴史に取り残されてしまいかねない。本書を読んで再認識した次第だ。
というのも、ハンドブックとして使う前に、ひととおり目を通したとき、私は本書を随分と中国寄りな視座から描かれたものだなと早合点した。いわゆる三戦(世論戦、心理戦、法律戦)の一環かとさえ疑ってしまったのである。
しかし今回、感想文を書くにあたって幾つかの項目を読み返してみて、第一印象の間違っていたことに気づかされた。特に、私たちが一般に負のイメージを持っている民族問題、領土問題に関するものを抽出して再読したのだが、そこには淡々と、中国による弾圧も、チベットや天安門での若者らの反乱も、書かれていた。
政治臭のない、感情に左右されていない、どこにも与せずという文章だ。それを中国寄りに偏ったテキストと読み違えるほどに、私はいま世間に漂っている嫌中の雰囲気に飲まれていたのかもしれぬ。気を付けねばならない。
と、学習用に、辞典のように使うつもりで買ったのが、違う意味でも勉強になったのだった。
