庫)
“書物の裏表を知りつくした著者が読書の極意を明快に指南し、読書と共にある人生のよろこびを語る”
大いに期待して手にした。
長年、読書と感想文執筆を自分に課してきたが、ここらで読み方を学び直すのも意義あることと思って。
結論から言って、期待通りと、期待外れの相半ばする読後感である。
古典を読む意義について、著者はこう書いている。
“愛する者を失った悲しみとか、人生今後の方針について大きな岐路に立って迷っているとか、あるいは生きていることが無意味に見えてはりあいを感じられなくなったとか、それぞれの場合に応じて古典を読めば、これが古典の読み方の本当の筋かもしれません。なぜなら、およそ本を読むときは、だれでもその本のなかに自分を読むものだからです。”
近代文学を古典と呼んでもいいなら、いろいろ読み返してみたくなった。
他方で、感覚の合わないところも少なくなかった。著者の頭が良すぎて、語ることのレベルに自分を合わせられないもどかしさといおうか。
とはいえ、そのスタイルには強く共感し、励まされた。いわゆる保守論壇に属する一部の偏った方々には、本書を心からお勧めしたい。
著者は世界が資本主義陣営と社会主義陣営に分かれた歴史を取り上げながら、次のように書いている。
“その一方の世界のなかでは、十九世紀に書かれたマルクス・エンゲルスの本が古典として通用していたということです。その事実を無視すると、世の中の根本のことがわかりにくくなってきます。もし、いま私たちが生きている世界の全体を、あまり大きな偏見なしに、あまり大きな誤解もなしに、どうにかわかろうと思えば、最小限度の条件の一つとして、少なくともマルクスの本のなかで大切な部分を、いくらかていねいに読んでみることが必要だろうということになります。”
20代のころ、『敵を知ろう』とマルクスやレーニンを読んだ。私の読むスタンスは間違っていなかったと再認識した次第である。
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