この著者のものなら外れはなかろうと安心していたし、一連の戦争文学以外で名の知られた本作が未読であるのは気になっていた。
けれどあまり期待はしていなかった。何かの対談で誰かが「もてる男が書いた恋愛小説はつまらない」と論じていて、一例として大岡昇平が挙げられていた。それが印象に残っていたからだ。
確かに作中、若い復員学徒兵“勉”は女の眼を惹く存在として描かれるが、人物設定的に著者本人がモデルではないかと連想できなくもない。とするとこの淡々とした文体で当たり前に描かれる魅力的な青年の行動に、微かな反感を持ちそうにもなるわけだ。
と、先入観もあって最初は斜に構えて読んでいた。それがいつのまにやら熱中していた。これほどの引力を持った作品はそうそうない。フランスの心理小説、恋愛小説のようでいて、しかし作り物っぽさはなく、“武蔵野”を舞台にドラマは静かに進行する。
そう、静かである。終盤、悲劇を準備するためにやむを得ずそうしたのか、お金にまつわるどろどろしたエピソードが挿入されるのがうるさいが、熱中させられたわりに本作は静かである。きっと底流している武蔵野の自然と“勉”をある意味育んでしまった戦場の自然が、背景にしっかり根付いていて、雑音を吸収してしまうのだろう。
これだけのものを書けたから、『俘虜記』などを書けたというべきか、ああいった戦争文学を経てきたからこそ、こんなものも書けるのだというべきか私はわからない。
人物の顔がやや遠景にかすむような印象はあったが、それは作風のひとつであり著者の描き方だったろう。恋愛を題材にした日本近代文学作品で、これだけ熱中させられたのは、他に太宰の『斜陽』くらいである。
