よい子の読書感想文 

読書感想文353

『あの人にあの歌を 三陸大津波物語』(森哲志 朝日新聞出版)

 陸前高田市で店もレコードも流された『ジャズタイム ジョニー』がプレハブ店舗で営業を再開した。私は休暇を利用して二年ぶりに『ジョニー』を訪れた。
 初めてこの店を知ったのは三年前の秋。仕事で大きな挫折を経て、立ち直れそうもないときに、出張で陸前高田行きを命じられた。そんなに忙しい仕事でもなかったので、余暇時間に高田松原を散策し、夜は静かな街を歩きまわった。知らない街を歩きたくなるのは私の習性みたいなもの。また、ジャズに関してそんなに詳しいわけでもないのに、ジャズ喫茶やジャズカフェバーで飲むのが好きだった。青森、秋田、盛岡、一関、仙台、いろいろな店で飲んだ。
 夜になると人通りも途絶えるような街に、そういう店があるわけないかなと思いながらも、ぶらぶら彷徨しているうち偶然見つけた『ジョニー』。常連さんばかりが陣取るカウンター席に、何も知らずに座った私を、隣にいたご老人が温かく迎えてくれた。
「あれ? どっかで会ったよねえ?」と。もちろん初対面なのだが。
 私の母と同年輩のママがひとりで切り盛りしているのだが、カウンターにいる面々が客なんだか店員なんだかわからないくらい店に溶け込んでいた。どう表現して良いかわからないが、居心地が良かった。こういう店を探していたんだと思った。出張が終わるまで通った。凝りがほぐれるように、鬱屈したものがジャズとアルコールと歓談のうちに解けていった気がする。

 翌年も行った。プライベートで、自ら運転して。出張最後の日にレコードをプレゼントされ、「次回、買いにきます」と約束していたのだ。『ジョニー』はかつてレコードをプロデュースしていて、その在庫がまだ少しあるということだった。
 一枚売っていただいた私に、ママはこれもあげるこれもあげる、みんな持っていったら? と言った。店の賃貸契約の更新が近く、立ち退きの可能性もあって、いつまで『ジョニー』があるかわからないからと。
 一枚ずつ大切に聴きたいからと辞退した。来る度に一枚ずつ買わせていただきますと答えると、常連客のひとりが、
「それなら何回も来れるから良いね!」と言ってくれた。
 しかし立ち退きではなく、津波で『ジョニー』は失われてしまった。

 プレハブのお店でママは「やっぱりあの時、みんな持っていってくれたら良かったわね」と言った。とはいえ、あんなに素敵なお店が無くなるなんて、想像の埒外だった。
 営業再開のお祝いにお客さんから贈られたというピアノの上に、『あの人にあの歌を』が何冊か積まれていた。ページを繰ると『ジョニー』のママを取材した章もあった。釘付けになって、活字を追った。
 初めてカウンターに座った私の緊張を解きほぐしてくれた、あのおじいちゃんのことも書かれていた。亡くなっていたのだ。立ち退きを迫られていた『ジョニー』を救った“恩人”というのは、三年前にも聞いた覚えがある。3月10日の夜遅く来店し、「心配するな、オレがお前を守り抜くから」というのがママに対する最後の言葉だったという。
 元来、人間は泣くことで忘れる。しかし泣いて思い出す在り方があってもいいのかなと思った。奇しくも復旧作業等で私が派遣されたのも陸前高田だったが、己の力不足を痛感するだけだった。海から少し離れてるから、もしかしたらと思って近くを通りかかったときに見た『ジョニー』界隈の瓦礫の山……。組織で動いているから避難所にいるママや常連の方に会いに行くことさえ出来なかった。

 個人的な体験ばかりが先走って感想文どころではなくなった。取材した著者はエッセイストで小説も書く人らしい。確かに聞き取りしてそれを組み立てる技術がすごい。でも中にはその技術が「上手すぎるな」と感じるような部分もなくはなかった。
 読み流してはいけない。受け止めねばならない。どっしりした読後感は、新年を迎えての身を引き締める気持ちに喝を加えてくれた気がする。
 ママはプレハブ店舗を訪れた私に、あの日のような何気なさでレコードをくれた。各地から送られてきたレコードには『ジョニー』レーベルのものもあって、たまたま「これはもう一枚あるから」と。
 幻のレコードをいただいてしまった。与えられてばかりの私は、果たしてどんな歌を捧げればいいのだろう。

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