秋田県角館町に行った折り、新潮社の創立者を記念した資料館に入った。新潮社の創立者が秋田県出身者とは知らなかったし、この資料館では未知の郷土作家をたくさん知ることができた。
さっそくアマゾンで検索して取り寄せたのが本書である。もはや忘れられた作家だが、本作は芥川賞候補に選ばれている。他に『梟』と『燕』を収録するが、昭和23年発行のためか紙質が粗悪で
古文書のように劣化していて読みにくかった。
『梟』は秋田の小作農らが、どぶろくを作っては逮捕される様を描き、農村の貧窮と人間模様を作品化している。秋田弁が随所に出てきて、懐かしい感じもした。作風としてはプロレタリア文学の範疇に含まれるのだろうか。あるいはロシア文学の味わいにも似ており、それは秋田という風土のせいもあろう。
『鶯』は警察署での一日を描くもの。こちらも農村の戦前を過不足なく描く。生活の足しにしようと捕まえた鶯を売ろうとする老婆等、様々な農民の生活と貧窮が濃厚な方言とともに伝わってくる佳品だ。
『燕』は出征兵士を送る駅での一コマを描く。出稼ぎ(ニシン漁)や“北海道落ち”が過酷な小作農の生活をひしひしと感じさせる。それは日本の軍隊を農民が支えていたということに、連想は結びつく。食うや食わずの小作よりは軍隊に入ったほうがマシ、のみならず軍隊が彼らの唯一の立身出世の手段であったと。
何もスローガンみたいなことをがなりたてないが、これらの作品はプロレタリア文学と方向性を同じくした訴求力が備わっている。地元を描いた作品でもあり、興味深く読み進むことができた。
