さんと・ろさりお(リハビリ編)

妻・長男がフィリピンから来日して半年後管理人の大病で、またも別居。我が家の復活への日々を綴っています。

大沢の池

2011年05月10日 | さんとの眼鏡
「さんと」の俳号に使わせていただいた大沢の池(画像)。水戸黄門・暴れん坊将軍等お馴染みの時代劇のクレジットに「撮影協力嵯峨野大覚寺」と出てきますが、この池のほとりでよくロケは行われているようです。「さんと」が高校生の頃も学校帰りによく見かけましたから。中秋の満月の夜にはここに屋形船を浮かべて平安王朝風の「観月の夕べ」も催されます。池の向こうに小高い山が見えますが、そこから月が昇って池に映る様は千年前から不変です。い
池の向こう岸の木立を越えると田園地帯が広がってい、これを一般に嵯峨野と呼びます。その向こうにまたいけがあり(広沢の池)、そして山にたどり着きます。この山の辺りを鳴滝、これを越えると宇多野、さらに御室と続き有名な仁和寺にたどり着きます。仁和寺の東となりには石庭で有名な竜安寺。さらに東に進むと立命館大学衣笠キャンパスを右手に見て、金閣寺まで行けてしまう…京都の歴史街道のスタート地点なんですね。「さんと」はこの通りを一条通りと思い込んでいましたが、地元民の通称名で、正式にはなんという通りか知りません。観光の際にはご注意ください。

初ポイント。

2011年05月09日 | リハビリ生活
倒れて以来、ゴルフはもちろんのこと、カラオケにもパチンコにも行けない…行きたいとは特に思ってませんが…「さんと」はひょんなことから俳句に興味を持ちました。そこで、今年のはじめから日記代わりに(実際のペースは週に1回程度)、目に付いたことを書き留めて、それを俳句にまとめるという要領です。

いくつか作った段階で「現代俳句協会」というところに登録して、投句も開始しました。(無謀!)その登録の際に俳号も登録しました。俳号とは俳句のペンネーム。「さんと」の俳号は大沢桂月です。これは、通っていた小学校・高等学校に縁(ゆかり)のある名前。「大沢」とは嵯峨大覚寺境内の大沢の池(画像)から。この池の南側に出身高校(府立北嵯峨高等学校)があります。池の話はまた近いうちに…。そして、「桂」は先日もご紹介したように、「さんと」の生まれ育った京都の地名。
で、この大沢池と桂の共通点は「月の名所」という点です。よって、大沢桂月。これは、さんとの生い立ちも同時に表した俳号です。

さて、現代俳句協会のインターネット句会に毎月投句してきたわけですが、これまで1月から3月分までは、全くのノーポイント。誰からも評価いただけなかった…という結果に終わっていました。

これは会員さんが、互いに良いと思った句にポイントをつけていく形式で、ポイントがたまれば、上に上がれるシステムです。「さんと」は現在当然初心者のG2。勉強してG1を目指している途上です。

そして、今日、5月になって初めて見てみたら、登録以来ずっと0ポイントだった私にポイントがついていました。嬉しかったですね。とうとう、どなたかから客観的な評価をいただけたということですから。

すっかり春めいたポカポカ陽気の午後、睡魔に負けそうになり、大あくびして涙目で外を見たら、今年最初の燕が来ていたのを発見した。というリハビリに行ったある日の日記を俳句にまとめたものです。
     『大あくび にじむ軒先 初燕』(桂月)

嫁の本。

2011年05月07日 | さんとの眼鏡
画像は料理研究家、栗原はるみさんの著書。外国人向けに日本料理(家庭料理)のいろはから説明した料理本です。味噌汁からお浸しといった日本の家庭料理ではお馴染みの品の作り方を、出汁の取り方からしっかり説明してくれる優れモノ。中身はすべて英語です。「さんと」のいとこが嫁さんにプレゼントしてくれたものですが、長らく見ないと思っていたところ、先日ひょっこり出てきました。嫁は現在の帰国直前には何度かうちの母親に教わってバリバリの和朝食を用意してくれていましたから、次回は、この本が効果を発揮するかもしれません。

結婚当初、「さんと」は自分から嫁の方へ合わせてやることができればうまくやっていけるものだと思っていましたが、それは大きな誤りでした。上手に嫁がこちらに合わせて来れるようにリードしてやらなくてはいけなかったんですね。ちょっと遠回りしすぎましたが、やっと気づきました。
嫁は夏樹と共に歳来日することになるでしょうが、この料理本が嫁の再来日の象徴でもあるような気がして、アップしてみました。

感動した言葉二つ。

2011年05月05日 | さんとの眼鏡
最近テレビを見ていて感心するのは、子供が自分の言葉で当意即妙に返答することです。
斜めに見れば、番組製作者が多少なんらかのサジェスチョンを与えるようなあるいは誘導をして、答えさせているだけなのかもしれませんけどね。

 けれども、この一週間でこの二つの言葉に「さんと」は感動しましたよ。(二つとも大人の言葉ですけど。)

一つ目。画像の楽天イーグルス嶋基宏選手会長の4月29日、仙台での震災後初の試合後のスピーチでの言葉。

「この1カ月半で分かったことがあります。それは、『誰かのために闘う人間は強い』ということです。」


やられたぁ~!とおもいました。ドラマ以外のセリフを聞いてここまでジ~ンときたことあったかな?

いっかりでも、すぐに「さんと」も見習わなあかんと思いましたね。せめて「強い人間」を目指さなあかん…と思いました。

そして、もうひとつ。「さんと」は今夜おかんにお願いして晩御飯にお好み焼き焼いてもらうんですが、月曜の夜・火曜の昼そして木曜の夜と今週は3回目の登場です。でも、「さんと」は平気」どころか「感激」。っていうくらいのお好み焼き大好き人間。もちろん、NHKのドラマ『てっぱん』見てましたでぇ。総集編の後編はリハビリで見られませんでしたが、あとはしっかり。

おこおっと、話が逸れました。

 そのお好み焼きのチェーン店に「千房」というとこがあります。大阪を拠点に全国展開している有名店なんですけど、ここの社長さんのスピーチ(講演)を昨夜ちらっとほんの一部ですけど、聞いて(見て)しまいました。
「『ありがとう』の反対は何か知ってはりますか?『あたりまえ』です。」

「目から鱗が落ちた」というのはこういう感覚なんでしょうか。こっちはジ~ンというよりも、ガビ~ンときました(笑)

家庭でも職場でも大事な言葉やなあと感じました。



三途の川。

2011年05月02日 | リハビリ生活
昨日もちょっと触れましたし、プロフィールにもちょっと記してありますように、「さんと」は2007年10月14日(日)の午後8時頃、自宅まであと2・3分という地点の交差点で自転車にまたがったままの状態で転倒。そこから左半身不随に陥ってしまいました(右脳出血だから左半身不随)。あと、1分早かったら、川沿いを走っていたので、川に落ちてたでしょうし、1分遅くても、用水路(やはり小さな川)沿いをはしることになったはずなので、落ちていたかもしれません。しかし、信号にひっかかって、信号待ちしている最中に「さんと」の脳の血管はプッツンしてしまったのです。おかげで、交差点で同様に信号待ちをしていたおばさんが交差点に面して営業していたガソリンスタンドのお兄さんに助けを求めに走ってくれ、すぐに救急車を呼んでくれました。

おかげで「さんと」は名神栗東I.C.そばの救急病院に搬送され、開頭手術を受け一命を取り止めることができました。で、この救急病院(画像)から、1か月後に守山市内の現在も通院しているリハビリセンターへ転院。しかし。健康保険が適用されるのは、脳血管障害の場合発症から180日と定められているため、2008年4月に半ば強制的に退院。まだまともに歩けないのに…。健康保険によるリハビリが受けられないとなると、介護保険を利用し ての通所リハビリへと移行します。「さんと」は老人保健施設でデイサービスを利用することに。しかし、老人施設ですから、自分の親より年上の利用者の人ばかり…。加藤清四郎君じゃないけど、
「わしはこんなとこ、来とうはなかったぁ。」ですよ。施設に横着した9:30頃から帰りの4:00頃まで何度時計を見たことか…。しかもこういう時の時計は進みが鈍いんですよね。

そんなデイサービス通いを楽しいものに変えてくれた一人がNさんというおじいさん。旧国鉄を退職されて退職後は旅行会社で添乗員をされていたとか。すごく楽しい方で、時々レクリエーションで行われるカラオケの時には玉置宏(古!)のような名調子も披露して下さってました。最近では4月の20日に元気な姿を拝見したばかりだったんです。もちろん、この日のレクリエーションもカラオケ。ところが、実は今日、5月2日、このNさんの葬儀が行われました。先週末に亡くなったそうです。急なことで原因はうかがってませんが、お年は85歳でしたから、ちょっとした風邪でも肺炎になったりするでしょうね。
「さんと」は今日Nさんの葬儀だと聞いても駆けつけることができないことが悔しくて申し訳なくてたまりません。

お見送りすることはできませんでしたが、生前のご厚誼に感謝し、ご冥福を心よりお祈り致します。
会世話になりました。合掌。