N`s日記

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プロセスの存在論

2023年05月16日 | Weblog

ある時・・・ある番組からの聞きかじり

 実在という観念は、ソクラテル以前のギリシャの哲学者パルメニデスは、時、物を超えた上に、同一性という観念として同じ状態を続ける性質を持つ物があると考えた。その同一性をいつまでも持ち続けるものが「実体」であるとした。しかし人間は必ず「死ぬ」。つまり同一性を持ち続けることができない。そこで同一性を持ち続ける何かを考え出した。例えば「神」であり、「魂」が必要であるとかんがえた。それが「神」とか「魂」であり実体概念の成り立ちである。また物質の領域では、同一性を保つ物質ははすべて究極的な構成要素を「原子」であると考えた。これは原子論ででは「原子」というものはこれ以上分解できない変化しない物という考え方で19cまで続いた。ニュートンの古典物理学も「実体の存在論」の上に組み立てられていた。ところが原子そのものが、素粒子に分化され、その素粒子も常に振動して形を変える「ひも」のようなものから出来ている。いわゆる「ひも理論」が量子力学として誕生した。そうなると一定の形、性質を持ち続けて永遠に変化しないものは世の中に存在しないことになる。

「実体の存在論」は、精神の領域でも物質の領域でも世界論としての価値を失っている。

つまり起こることは、すべて変化しし、必ず壊れる、そしてまた次のものに変化する。つまり存在するものは、常に変化し、変化こそが存在するという考え方が「プロセスの存在論」である。

仏陀は、なぜ「諸行無常」を押し出したのか?

「諸行無常」は、世の中の物事は常に変化する。しかし人間にとっては、一定の同一性を保つことを期待しるから、かえって生きることが「苦」の原因となっている。さらにいえば、人間は、どうしても一定の変わらないものを必要としてしまう。現実世界の永続性、たとえば「永遠の命」「永遠の若さ」。自分の心の安定のために恒久不変な何かを必要としている。しかしその求めているものが存在すればいいが、残念ながら永遠なものは存在しない。仏陀は、「プロセスの存在論」として人生を受け止め、その中で生きる希望、意味を見いだす必要性を説いたのではないかと考えられる。

キーワード

十二支縁起を円環で表現する、カオス(的)遍歴、カオスアトラクター、大域的アトラクター、脳の仕組み

フリーマン・・・・脳の動き、辺縁系⇔大脳皮質、はじめは、各部位が勝手に活動を始める。コントロールはない。そのうちにこのような動きのなかから相互作用が生まれ、神経活動が一致する。これは「気づき」という現象である。

脳科学と宗教、生き方である。

 

 

 

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