N`s日記

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子育て対策の最後の手段は歴史に学べ「提案:市区町村内シェアハウス的同居手当」

2024年06月23日 | Weblog
昨今、少子高齢化が進んでいる。
なぜこんなにも「子どもが減ったのか」
その一因を独断と偏見で考えて見た。

日本の家庭的歴史観を考えて見ると
「家制度」であった。
そこには、いまでは考えられない封建的な制度が、存在していた。

しかし昭和特に戦後になり、核家族が一般的になった。
つまり、父・母・子どもだけの家庭観である。
そこには旧来の「家制度」ではなく、ある種の「自由」な家庭の情景があった。

そこには、祖父母という家庭環境はなく、大抵が「核」家族であった。

誤解を招かないために、言っておくが、私がここで論じたいのは、「家制度」に戻ろうというのではない

家族は、父・母・子ども・そして祖父母の家族構成が基本である社会の再構成だ。

小林 武彦(こばやし・たけひこ)東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野)の記事を読んであることに気がついた。

小林氏は、以下のように書いている。

「シニアの存在が集団を強くし、人間の寿命が徐々に延伸」
人間はどうでしょうか。
 人間は他の大型霊長類と違ってなぜか体毛が抜けてしまい、さらには木にも登れなくなりました。それぞれが弱いので、生き残るためには皆で協力する必要がありました。人間が他の霊長類よりも長生きになったのは、長生きする方がその集団の力が強くなったから。つまり、シニアがいい仕事をしたのです。例えば、この見方で一番有名なのが「おばあちゃん仮説」。チンパンジーなどの場合、体に毛が生えているので、生まれてすぐにお母さんにしがみつけます。つまり、お母さんは子どもがいても両手が空くのです。
 でも人間の場合は、生まれて2~3年は誰かが抱っこしたり、ついていたりしなければいけないですよね。そういうときに親以外で誰が頼りになるかといえば、祖父母。おじいちゃん、おばあちゃんが面倒を見てくれる方が、親に余裕ができて圧倒的に子沢山になる、という理論です。加えて、若い人だけの集団よりもシニアがいる集団の方が、話がまとまる。若い頃は生きるための欲に満ち溢れていますが、シニアになるとそういうことから解放されてきて、人のために何かしようと思うようになるからかもしれません。ゴリラやチンパンジーのメスは死ぬまで生理があるし、オスも死ぬまで生殖しますから、人間のような利他的な存在にはなりません。彼らの中にシニアはいないのです。生物としては、生殖に関わらなくなった個体がいるのはほぼ人間だけ。これもまた変化と選択で、たまたま生殖機能を失っても生きている人が出てくるようになり、そういう人には孫がたくさんできた、それが長寿化の原因の一つになっていったということなのだと思います。
 人間の寿命は社会によって決まります。その社会が何を選択するかによって進化の方向は変わるのです。昔は集団(コミュニティー)を大切にしたためにこういう進化を遂げてきたけれど、今はどうでしょう? コミュニティーに属さなくても基本的には生きていけますから、今後の人間が違う進化の道筋をたどる可能性は十分あると考えられます。

実に興味深い自然な発想だと感じた。

もしかするとここに「少子高齢化」の問題を解く鍵があると私は感じた。

つまり、核家族から同居家族への流れをつくることである。
同居といっても、いままでの歴史をみると、同居は、なかなか複雑な人間関係があって、それがいやで核家族が多くなった経緯があると考えられる。
そこで、同居とは言っても、「完全同居でなく」「シェアハウス的同居」である。または同じ敷地でなくとも、同じ区市町村内同居を進める政策はどうだろう。

「小林教授」の・・・・人間の場合は、生まれて2~3年は誰かが抱っこしたり、ついていたりしなければいけないですよね。そういうときに親以外で誰が頼りになるかといえば、祖父母。おじいちゃん、おばあちゃんが面倒を見てくれる方が、親に余裕ができて圧倒的に子沢山になる、という理論です。

これを生かす手はない。地方自治体で考えるところはないだろうか。
「老若男女のシェアハウスならぬシェア町」

単に子育て手当などの極めて短期的な方法よりも長い時間をかけ、本来の人間発達的な視点での子育て対策が必要ではないか。
いまからでも遅くはないと思った。
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