先日、夕暮れ時の帰宅中に数人連れの女学生とすれ違った際に、「正直いって音楽って顔だと思う」といった発言を耳にした。
はて。
これはその言葉の印象通り、いわゆるイケメンの歌や演奏こそが良い音楽という意味であろうか。
それとも、ミュージシャンの音楽性は、何よりもその顔つきに表れるという意味なのだろうか。
まあこの女学生の趣味はどうあれ、ジャニーズやK‐POPを筆頭にしたビジュアルメインのダンスユニットが昨今のヒットチャートを賑わしているのは事実だ。
いや、それは今に始まったことではない。
今時の流行歌は歌だけで勝負してない、衣装やダンスで格好をつけるばかりで、肝心の歌はサッパリだ、といった類いのことを言う人は私が子供の頃から、いやいやもっと以前からいたであろう。
さあそれならもっともっと昔はどうだったかというなら、それこそ本来音楽と踊りは不可分だったのではなかろうか。
そういえば、AKBのパフォーマンスをカウントダウンTVで観ていたカミさんが、隣りにいたチーコさんに「あんな風に踊れるか?」と訊いたらしい。
で、チーコさんの返事は「あんな古い音楽では踊れない」「よくあんな音楽で笑顔で踊れるものだ」だったという。
…ほう。
その時オンエアしていたのは、AKBのナンバーでも古い方だったのだろうか。
それともその音楽性自体が古いと感じられたのだろうか。
ではチーコさんにとって、新しいとはどのような音楽なのだろうか。
いや、多分それは訊くだけ野暮というものであろう。
ちなみに私は古いか新しいかより、窮屈かそうでないかの方が重要である。
そして世間にあふれているダンスのほとんどは、カッコいい反面、それなりに窮屈さを感じてしまう。
恐らくそれは、多くの人の目に触れるダンスは、勝ち負けやビジネスやエンタメを優先しているからだと思う。
先に「本来音楽と踊りは不可分だったのでは」と書いたが、その原初の行為は、全くただ単純に身心から湧き上がるモノが、身体の動きとして表出したものだったのではなかろうか。
それは宗教的な、奉納に近いようで、実は宗教から遠いものだとも思う。
分かりにくいなあ…。
競技でも健康のためでもなく、ただ身心と向き合うことを楽しむために体を動かす習慣がある人には、心当たりがあると思うのだが。
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