葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

ただのデータ、ではない。

2014-10-23 20:20:54 | 雑感
 まるでパソコンのデータであるかのように、自分の体をただの情報として扱っていないだろうか。
 大量の情報に流され、自分もまたその情報の一部としか感じられないのなら、それは心身と向き合えていないからだ。

 この辺は言葉で表現し辛いのだが、つまり心身を「情報」という概念に限定してしまうと、気持ち良く動けなくなるということだ。

 心身と向き合い、実感するには、まずはただ動くこと。
 日常の立ち居振る舞いに没頭すること。

 それが難しければ、マッサージなどで他人に触れてもらうことも、心身と向き合い、実感するキッカケになる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 上手な偽物。 | トップ | 鰹節と焼き肉のタレとマッサ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

雑感」カテゴリの最新記事