海の見える家から

瀬戸内海の見える家から、日々の出来事をつづります。

百か日

2020年01月17日 23時20分00秒 | 日記
今日は、カフェの百か日。
家の近くの公園を通るたびに、鼻の奥がツンとしてカフェを思い出す。
年末にお世話になった動物病院の先生の所にご挨拶へ。朝ごはんをいつもどおり全部食べて、布団の中で死んでいた事を話すと、先生が『きっといつも通りで、お腹もいっぱいで眠るように亡くなったのでは?幸せな最期ですよ』とお話ししてくださり、また泣いた。
ひとりぼっちで逝ってしまったカフェが不憫で今でも心残り。



去年の今頃は、まだよく歩いて散歩していたなぁ。昔は二本足でリードをビューんと伸ばして公園を駆け回って、よく吠えて。
階段もソファーもぴょんと飛び乗って。
今から思えば夏くらいから、じーっと立ち止まって、歩かなくなった。


5月には娘の引越しで東京まで車で。あの頃はトイレが近くなったけれど車の後部座席でうれしそうにドライブしていたな。カフェは、車が好きで家族で今まで色々な所へ出かけた。ペット可のホテルはなかなか予約も難しく、車中泊の旅をしたことも。中四国と九州は制覇。今ではいい思い出。

夏の終わりくらいから、足腰が弱くなってコルクを敷いた床でもつまずくことがあったり、トイレが間に合わなくなって洗濯物が増えて。夜中に、はーはー息が荒くなり、庭でおしっこをして、水を飲むと落ち着いてスヤスヤ朝まで寝る。夜中の12時と4時に庭に出て星空を眺めて。カフェに手がかかっても、介護になっても構わないと思っていたのに。


別れは突然だった。
予期していなかった。
もっと寝込んだりするのかと思っていたから。
あの日、お寝坊のカフェは私が仕事に出かけるとき珍しく起きていました。食いしん坊だから、ご飯の匂いを嗅いでウロウロしていたっけ。私が最後に見たのはカフェの後ろ姿。じーっと立ち止まっている後ろ姿。いつも頭を撫でて出かけていたのに、あの日は撫でずに出かけた気がする。
なぜだろう?
顔を見たら悲しくなるから、顔をみせなかったのかな?ねえ、カフェ。なんでだろう?
カフェを発見したのも、偶然早退してきた、旦那だった。カフェ死んじゃった。と今でも見たくない旦那からのライン。
私が家に着いたときは、もうカフェはきれいな姿で寝ていた。
100日経っても、あの日の悲しい気持ちは今でも続いている。


いつも、一緒だったカフェ。
15年と7ヶ月1日生きたカフェ。
楽しい時間をありがとう。
夢で逢いに来てね。守ってね。
虹の橋が本当にあるといいな。
また、会えるといいな。
会おうね。







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