アラビア語圏ではスペースインベーダーズ(غزاة من الفضاء)という全く違うタイトルで放送されており、ガンガーについてはジョンカー(جونكر)という名前に改められていました。 ただし主人公のカンタローやヒロインのりえなどの名前は同じだったそうです。アラビア語版の翻訳・制作はレバノンで行われて中東各地で放送されていたそうです。声優もレバノンでは有名な俳優を起用していたとか…
この曲は2007年に発表された「(Åh) När ni tar saken i egna händer」(読み:(オー)・ナー・ニ・トー・サーケン・イ・イグナ・ヘンデー)という曲で、歌詞は全てスウェーデン語となっています。
冒頭の「(Åh) NäR Ni Tar Saken I Egna HäNder」の「(Åh) När ni」の部分が「オナニー」に聞こえる上、これを高らかに歌うことから高らかにオナニーと呼ばれるようになりました。 ちなみにこのオナニーの部分は空耳ではありません。スウェーデン語でもオナニー(自慰行為)のことをオナニーと言うので、あえて「オナニー」と聞こえるような別の語句を並べています。いわゆるダブル・ミーニングという物です。
Vi är alla stjärnorという曲で、どちらも同じ箇所ですが、「あなたの、あなたの、Linux」、「あなたの、あなたの、INAX」という空耳で知られています。他にも「○ン○ンがクエン酸」とか言う相変わらずの下ネタの空耳もありますが… (INAXはトイレのメーカーだけど、LinuxはITわかる人じゃないと馴染み薄いかも…簡単に言うと自分で中身をいじくれるフリーなOS…のこと)
・最後に最新曲、そして結果的に最終作となってしまったのが、2016年に発表されたKom ut som en stjärna(コム ウット サム エン ファーナ)という曲です。
こちらも、サビのKom ut som en stjärnaが「お味噌バーガー」に聞こえるという空耳があります。
ちょっと映像が古臭い感じですし、そもそも曲自体昭和歌謡みたいな渋いメロディですが、実際に1978年に発表されたフィンランドのArmi and Dannyというデュオによる「I Want To Love You Tender」という曲です。つまり40年以上の前の曲になるわけです。 ニコニコ動画で流行り始めた2007~2008年頃でも既に30年以上前になる訳ですし、よくそんな昔の遠い異国の洋楽のPVを見つけてこれたな…とは思いますw
ちなみにタイトルの「I Want To Love You Tender」というのは日本語に訳すと「私はあなたを優しく愛したい」といったところです。ちなみにこれはあくまで英語版でのタイトルであり、フィンランドのアーティストであるからには勿論フィンランド語版も存在し、こちらでは「Tahdon olla sulle hella」というタイトルになります。読めねぇ… このフィンランド語版については後述します。
歌っているアーティストのArmi and Danny(フィンランド語ではArmi Ja Dannyとなるようです)というのは女のアーミ・アーヴィッコ(Armi・アーミ)と男のイルッカ・リプサネン(Danny・ダニー)の2人によるデュオユニットで、あのダサいダンサーの衣装のD&Aというのもこれに由来します。女の方は普通に本名からとっているのに対し、男の方は全く無関係なダニーという名前をつけていますw ダニーは76歳で今もご存命で尚且つ現役のアーティストですが、アーミは2002年に43歳の若さで亡くなってしまっています。
ライブかテレビ番組で歌ったと思われる映像です。
1977年に結成し、コンビを組んでからは初となるデビュー曲がこの曲でした。当初はフィンランド語版の「Tahdon olla sulle hella」のみがシングルとして先に発売されました。例のダサいPVは英語版のためこの時はまだ存在しませんでした。 同じ年にPain seinaa、Kaiken sulle antaisinというシングルを出した後、翌1978年に1stアルバム、「Danny & Armi」(何故か2人の順番が逆になってます)を発売しました。 このアルバムは基本的には英語版となっており、ダサいPVもこの時に発表されました。
その後同年に新曲としてMe vainと Silloin vasta kaiken saanを発表しました。最初の数年はそれまでのソロ活動の時より派手過ぎる衣装や曲に批判も少なくなかったようです。 1981年にはmeri tanaan rauhatonとVain kaksi nauhaaという新曲を発表し、翌1982年には「Tahdon olla sulle hella」をラテン風にアレンジしたバージョンを発表しました。
1966年に復帰し、ヘルシンキ西部のラウッタッサリへと移住しました。この年に1stアルバム「Se olla voi toisinkin pain」を発売し、同年のユーロビジョン・ソング・コンテストで2位となりました。 ユーロビジョン・ソング・コンテストというのは簡単に言えば「EU版レコード大賞」みたいな物でEU各国で予選を勝ち上がった後、毎年開催国が変わる決勝大会にて1位を競う大会です。 デビューしていきなりEUで2位なのですから凄い実績を持っている方なんです。さらに同年からは毎年夏にツアーを開き、 これは後にArmi and Dannyを結成してからはそちらで行うようになり1995年までの長きに渡り続きました。また自らが所属するDプロダクションという事務所まで立ち上げました。
1995年にArmi and Dannyのコンビを解消して以降、1996年に「Valo and Energy」(光とエネルギー)、翌1997年に「taika」(マジック)というアルバムを発表しました。また1996年には大統領勲章であるフィンランド獅子勲章を受章しました。 2002年には60歳になったことを記念してフィンランド最大の屋内競技場であるハートウォールアリーナにて記念コンサートを開きました。しかし2005年には33年連れ添ったリサ・リプサネンと離婚してしまいました。2008年には生まれ故郷、ポリの生家に記念プレートが貼られました。
このPVは元々「Armi ja Danny Avaruusajassa」という番組内で放送されたものを使用しており、翻訳すると「アーミ&ダニーの宇宙」とか出てきました。 日本で言うならAKBINGO!のようなアーティストとのタイアップ番組だと思われるこの番組、タイトルに宇宙と入っているからこそラストのシーンは宇宙っぽくなったのかもしれません。