なはの雑多ブログ

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70年代末期って…異国情緒の曲多いよね…

2023-12-13 00:53:32 | 解説集

何か70年代あたりまでの邦楽って、異国情緒歌った曲が特に多い気がするんですよね…
今の曲に無い、異国への憧れみたいな雰囲気を感じますが、昭和らしい夢があって割とその手の雰囲気は好きだったりします…

特に70年代終わりに、何故かかなり集中しています…いくつかその例を出していきます…

曲名、アーティスト、発表年、テーマにした国や物など…の順に掲載しています。

・「飛んでイスタンブール/庄野真代」1978年(トルコ)
本人はヒットの2年後にイスタンブールを初めて訪れた際、
歌詞にある砂漠のエキゾチックなイメージと真逆の、雪が舞い湿度が高い環境に衝撃だったらしいです…

・「モンテカルロで乾杯/庄野真代」1978年(モナコ)
モナコは都市国家ですが、モンテカルロはその中の海沿いのリゾート地の名前で、F1のモナコGPや、WRCのラリー・モンテカルロでも知られています。割れてしまえ地球なんか、キスの嵐で夜どうし、とか…意外と過激な歌詞ではありますよね(笑)

・「マスカレード/庄野真代」1978年(スペイン)
他にも庄野真代は異国情緒を歌った曲が特に多いですね…
スペインを感じさせる冒頭の華やかなサウンドに、ドン・キホーテ(某ディスカウント店では無く、元になった物語の方)とか、アディオス・アミーゴなどと歌詞に出てきます…

・「ジャングル・コング/庄野真代」1979年(アフリカ)
本人の公式サイトには、「この頃コンサートではアニマル柄の服を着ていました。大阪のオバちゃんかいな。」とコメントがあります(笑)

・「シンガポール航海/庄野真代」 1979年(シンガポール)
シンガポールの海と夜景を歌ったバラードでとなります。夜景を見ながらこの曲を聴きたいものです…

・「サンタマリアの熱い風/山口百恵」 1978年(恐らくスペイン?)
サンタマリアと言うのは、元々イタリア語やスペイン語でキリスト教の聖マリアを意味しますが、
オレーオレーオレーオ、血の酒を飲め…というサビの熱い歌詞からすると、イタリアよりはスペインをイメージしてそうですね…

・「カナダからの手紙/畑中葉子&平尾昌晃」1978年(カナダ)
女性が1人旅の旅先のカナダから恋人を想ってる切ない歌詞です。
この曲の影響で、カナダを訪れる日本人観光客が大きく増加し、本人達はカナダ政府から表彰までされたそうです。

・「エーゲ海の旅/畑中葉子&平尾昌晃」1978年(ギリシャ)
こちらも同じデュエットによる曲で、「あなたとわたしの、2人のギリシャ」「古代の遺跡が旅のひとコマ」など、ギリシャ旅行を歌に乗せたものとなっています。

後で紹介するジュディ・オングの「魅せられて」も、同じギリシャのエーゲ海がテーマで、これだけ取り上げられるのは、やはり綺麗な海で人気の観光地らしいですね…
まあ今となってはギリシャも経済破綻してしまいましたが…この頃は確かギリシャの奇跡と呼ばれる程、好景気だったはずです…

・「アメリカン・フィーリング/サーカス」1979年(アメリカ)
背景に、今は無き世界貿易センターが写っていますね…
青い空に大地に爽やかなアメリカ!って感じの歌詞と言い、まさに昭和の日本人が抱いた古き良きアメリカンドリームを体現した名曲だと思います…!

・「ガンダーラ/ゴダイゴ」 1979年(パキスタン)
ガンダーラは今のパキスタン北部にあった古代の王国です。
歌詞にはインディアともありますが、ここで言うのは現在のインドの国では無く、さらに広い地域に跨がっていた古代インドの地域を差しています。
「愛の国、ガンダーラ…」とありますが、今のパキスタンは戦争とか核とか、あまり良くないイメージしか無いですねぇ…

・「異邦人/久保田早紀(現:久米小百合)」1979年(シルクロード)
シルクロードのイメージを増幅させるため、民族楽器のダルシマーも本曲に使用され、インパクトのあるイントロは中東風に仕上げた…らしいです。
と言うより、wikiによると、元々異国情緒を歌った曲では無く、国立の風景を歌った曲のはずが、何度も歌詞を修正していくうちにこうなったらしいです…本人は当初あまり気に入ってなかったとか…

・「サンタモニカの風/桜田淳子」 1979年(アメリカ)
サンタモニカはロサンゼルス近郊にあるリゾート地で、爽やかな曲調に合わせて、当時ナショナルのエアコンのCM曲としても使われていました。

・「エーゲ海のテーマ 魅せられて/ジュディ・オング」 1979年(ギリシャ)
単に「魅せられて」と表記する例が多いですが、正式なタイトルはこちらとなります。
サビの歌詞で、「Wind is blowing from the Aegean」とあり、エーゲ海から吹く風について歌っていますね。
ド派手な衣装でも有名な曲ですが、これもギリシャ神話の女神をイメージしたものだったらしいです。

…以上、13曲を出していきましたが、何故かこの時期に集中して多いです。

そこで、この1978年~1979年頃の時代背景を探っていきますと、
「海外旅行はまだ高いが、ようやく少しずつ届くようになってきた」
と言う時代になっていきます。

「庶民はかなり背伸びして、中流家庭なら割と普通に、海外に行けるようになってきた」…程度らしいです。
今と違い、学生でも貯金すれば、何とか海外に行けた訳ではありませんでした。たぶん大学生の海外旅行は、経済的にかなり厳しかったのでは…と考えられます。

当時の経済状況と航空業界を探っていくと、時代背景が見えてきますね。

・前史 海外旅行の自由化
日本人の海外旅行自由化は東京オリンピック開催を控えて1964年に行われ、それまで外貨等の問題もあり、厳しい条件への許可が下りないと海外には行けなかったのが、ようやく自由に行けるようになっていきました。
ただし60年代~70年代前半ぐらいまでは、まだまだ海外旅行はかなりの高嶺の花で、富裕層以外に縁はありませんでした。

その60年代当時から放送が始まり、80年代まで続いた長寿番組「兼高かおる世界の旅」などで、海外が紹介されていることで憧れを持った方も多く、
また懸賞で憧れのハワイ!パリ!と言ったキャンペーンも盛んに行われていました。
そこで航空会社がスポンサーになる例も多かったですね…

例えば、有名なアタック25が、当初エールフランスでの旅プレゼント!だったのが代表例となります。(映像はもっと後の1986年のものですが、エールフランスの旅プレゼントは、この頃から続いていました)

今の60代以上の人は、この時代背景から海外への憧れは極めて強い…と言われていますね…
映画も本番の雰囲気を味わうため、わざわざ字幕で見るのが良いという風潮もあるみたいで…

・70年代後半 少しずつの海外旅行一般化
海外旅行ツアーが、ようやく都市圏の中流層に一般化し始めたのは、まさにこの1970年代後半からとなります。

背景には、ドルが変動相場制に移行したことや経済成長による円高や、
ジェット機の性能向上や大型化による大量輸送によって、結果的に旅行費用が低下したことも一因とされています。

ジャンボジェットこと、ボーイング747は大量輸送の実現に大きく貢献し、2階建ての迫力によるイメージリーダー性も相まって、各社がこぞって導入するようになりました。

上記は、JALが初めて747を導入した当時の英語圏向けのCMです。
少し古い1970年のものとなりますが、この後大量に導入されて、全盛期はJALが世界一747を保有する航空会社であったこともあります。

当時の70年代終わりでも、まさにJALのイメージリーダーそのものでした(本当はその70年代終わり当時の、JALのCMがあれば良かったのですが、動画が無かったので…)

加えて、この時期の日本はオイルショック後の不景気も落ち着き、安定成長に向かっていた時代でした。
(結局すぐ後に第2次オイルショックも起こりますが、第1次程の混乱にはなっていません…)

これらのような背景から、70年代終わりは「ようやく、我が家でも憧れの海外旅行に行けるようになってきたぞ!」と言う風潮になっていたことで、
まず出来る訳ない→頑張って背伸びすれば出来る、に変化したことが、これだけ多数の異国情緒を歌った曲を出していたのかもしれません。

・その後 海外旅行の大衆への浸透
余談ですが、この後の情勢についても語ります。
海外旅行に行くための航空券の費用の高さも、庶民が中々海外旅行に行けない理由の1つでした。
韓国や台湾は下手すれば国内の遠隔地よりも安い場合もある一方で、今でも欧州への旅行とかはかなりの費用かかりますが、当時の高額さはその比ではありませんでした。

その背景には、各国とも航空会社が規制によって、政府に守られていたため、競争が激しくなかったこともあります。
例えば、日本では国際線はJALのみ、国内線の主要路線はJALとANA、ローカル線はANAとTDA(東亜国内航空、後のJAS・日本エアシステム)と、明確に分担された3社体制でした。
新規の航空会社立ち上げの条件は厳しくなり、当然格安航空なんてのはありませんでした。

その分、エコノミークラスでも今のファーストクラス並みに豪華な食事が提供されるなどの面もあったと言われています。
その頃の機内食の写真見ると、客席の目の前でシェフ自ら生ハムを切ったり(今や安全面でアウト)、豪華なオードブルが提供されるシーンがあります。

ただこの時期からアメリカでは、世界に先駆けて規制の自由化が始まっていき、格安航空会社の登場などで、各社とも競争が激しくなっていきます。


結果的にかつて世界一の航空会社であったパンナムが、元々の高コスト体質を改められなかったため、競争に勝てず倒産する原因となりました。
日本においても、アメリカに少し遅れて規制緩和がされるようになりました。

これで各社の競争が激化した結果、価格が重視されるエコノミークラスの質は下がり、逆に高いサービス性が重視されるファーストクラスがどんどん豪華になったと言われています。

さらにニーズに応じてビジネスクラス、最近ではプレミアムエコノミーも出来て、細かく区分けされたのもこの流れによるものです。
競争で価格が下がったことで、結果的に庶民の旅行もしやすくなりました。

またバブル経済で日本経済は頂点に達し、当然経済的に豊かになったことで、海外旅行に行く客も右肩上がりで増加し、海外旅行の大衆化を招きました。
バブル崩壊後においても競争の激しさによる、格安航空会社・格安航空券の台頭などもあり、現在のように海外旅行はすっかり一般的なものとなりました。

海外旅行が大衆化したことで、このような異国情緒への憧れ…といった面も、現在の40代以下の世代ではあまり多くないと言われています。なので80年代中頃あたりから、異国情緒を歌う曲も減少していきました。

・そのうち2曲はルーツが同じだった…?
また有名クリエイターが、南太平洋に旅行し、そこから着想を得ていたそうです。
wikiによると音楽プロデューサーの酒井政利は、電通の藤岡和賀夫の企画により、池田満寿夫・阿久悠・横尾忠則・浅井慎平ら計8名のクリエイターと、1978年に南太平洋の旅に出かけたそうです。

そこで得た着想をもとに、魅せられて、異邦人を生み出し、
さらに異国情緒とは違うものの、山口百恵のいい日旅立ち、矢沢永吉の時間よ止まれ…の4曲を生み出し、どれもヒットしたから…と言うことらしいです。


以上の背景から、これだけ異国情緒ある名曲が生まれたのでは無いか、と推測しています。
今聴いても色褪せない名曲ですね…



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