なはの雑多ブログ

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バブル遺産 マイカル本牧の現状

2023-11-17 03:14:24 | 日記


かつてバブル期に一世を風靡し、贅を尽くした造りのモールだった横浜市のマイカル本牧…

大阪の衣料品店発祥のスーパー、ニチイにルーツを持ち、
やがて社名を変えてサティやビブレの運営で知られたマイカル…の手によって
本牧の代名詞でもあった米軍施設の跡地を再開発したこの施設は、

・銀座のように、イタリアやフランスなど世界の高級ブランドが多数入っていた
・マイカルで買ったスーツを着てクラブへいくと特別扱いされた
・お化け屋敷に映画館にアミューズメント施設も盛りだくさん
・渋谷にみなとみらいに行かなくても、ここ本牧にデ〇ズニーストアがあった
・「ここがあのマイカル本牧!」と関東の若者がみんな知る憧れのスポット、ドライブデートの定番

そんな夢のような場所が、この駅すら無い陸の孤島、本牧の地にあった訳です。
最盛期はバブリーな店ばかりの10練の建物が連なる巨大施設でした。

しかしバブル崩壊で、高級ブランドばかりを集めたバブリーな施設だったマイカル本牧は、
(運営元のマイカルがバブルのまま調子乗り続けたのもあって)ニーズの変化に乗れず客足が遠退いていきます。

加えて、やはり鉄道駅が無いのはアクセス面で致命的でした。
運悪いことに、当施設が衰退し出した90年代前半からみなとみらい地区の開発が本格化し、発展していきます。
すると、桜木町から歩いて行けるみなとみらいにますます客を取られていく訳です。

そしてそんな低迷状況の中、運営元のマイカルは倒産寸前であっても小樽に巨大施設を作るなど調子乗り続けた結果、とうとう破綻してしまいます。

マイカルはイオン傘下に入り、それと同時期から不良債権とされたマイカル本牧も、
バブリーなアトラクション施設を取り壊したり、規模縮小したり、庶民的なテナントに入れ替えるなどした結果、
中身はただのイオンと変わらなくなりました。

そして2011年、サティの名もマイカルの社名も消滅したことで、運営上はイオンの1店舗…に過ぎなくなり現在に至る訳です。

ですが、実際に行ってみますと、やはりバブリーな全盛期の面影は、あちこちに見ることが出来ます。
勿論規模は縮小しており、解体された建物もありますし、高級ブランドのテナント等は全く残っていません。

そんな中で、名残を探し出してみました。

・1番街
マイカル本牧でメインとなるのが、この1番街です。







見ただけでわかるこのバブリーさ…重厚な見た目、噴水のある立派な広場、デパートのようなエントランス…
イオンの1店舗にしてはあまりに立派過ぎる造りが、この施設の生い立ちを物語ってます。






スペイン風を意識した造りのマイカル本牧には、
わざわざ本場スペインから取り寄せた噴水が、メインとなる1号館の広場にあります。



また、それに合わせてメインストリートもイスパニア通りと名付けられています。
米軍施設があったが故に、アメリカ文化が根強い本牧の街に、スペイン風は間違っているのでは…というのはさておき…








噴水自体は今も動いていますが、ところどころに痛みが見られ、あまりメンテナンスはされていないと思われます。

オープンから34年の歳月が建っていますしね…
バブルは遠い昔…









ちなみに夜になるとこのように、噴水がライトアップされます。
流石のバブリーさですね…どんなに大きな最新のイオンモールでもこんな凝った噴水は置かないでしょう…




サティ時代のままのエスカレーター放送が残り、
そして〇〇の街と各階を呼ぶのも、元サティの店舗のみの特徴です。

これは、当初のサティが生活百貨店と称したが故に、上品に見せたかったからではと、推測します。




現在のマイカル本牧1号館フロアマップ

全盛期は1階の食料品売場で、水族館並みの大型水槽に泳がせた新鮮な魚を、そのまま売るとか、
洋モノばかり集めた高級家具屋まであったらしいですが…

今は中身に関しては、すっかり普通のイオンです…()

・3番街







1階が銀行や郵便局、2階は地域住民憩いの場のカルチャーセンター本牧、3階より上が駐車場となります。

銀行や郵便局、地域施設など必要不可欠な施設ばかり入るが故に、今も全盛期とあまり変わらず存続出来ています。



駐車場にあったものですが、現在のイオンのピンク色よりも、薄いピンク色の看板に、サティの面影を感じますね…





1番街と3番街の連絡通路にあった、「カルチャーセンター本牧」の看板
時代感じさせるフォントだから、オープン当初から変わらないんでしょうね…







この連絡通路自体も、やはりバブリーな造りです。


そして"マイカル本牧"と未だに書かれた不動産会社の広告…



ただやはり、エレベーターからして、やはりイオンにしてはゴージャス過ぎる造りです…
この周りに大理石の装飾が施されたドア…もはやデパートのようで…




そして凝った形の照明も…
やはりマイカルとしてのオープン当初からの物でしょうね…


・5番街


全盛期は、グッチルイヴィトンなどの誰もが知る高級ブランドのショップばかりが入り、
3階にあった同名のニューヨークにあるシアターと提携した、アポロシアターというシアターには、
ライブにわざわざマイケル・ジャクソンの姉を呼んだ程だったそうで…
(ちなみにラトゥーヤ・ジャクソンと言います)。

ただでさえ高級志向なマイカル本牧でも、この5番街が一番ハイソな建物でした。
たぶん全盛期は、この建物内に入るだけでも緊張したんでしょうね…








そんな入るだけで緊張しそうな程、ハイソだったはずの5番街のテナントに、今現在、入っているのは、
サイゼリヤ・はま寿司・ダイソー…と、見事なまでにハイソのハの字も無い有り様

完全に庶民の味方の店がズラリ…

高級店に入る時特有の、あの緊張感も、もはや全く感じる訳がありません()
普通にサッと入れました()

ただそんなすっかり庶民的になってしまった5番街の店内ですが、

・間接照明を使った上品な雰囲気の通路



・重厚な雰囲気の支柱





・かつて何かしらに使っていたであろう立派な空きスペース(シアターのインフォメーションカウンターとか?)


・雑居のテナントが入る商業ビルにしては、あまりにゴージャス過ぎる大理石の階段







…などに全盛期のハイソだった頃の面影を残しています。

そもそも今現在は5番街のみ、ベイタウン本牧という名前の施設で、
イオンとも別会社・別資本の運営になっています。

元々マイカル倒産後に不良債権として閉鎖され、その数年後にマイカル・イオンとは別の資本によって再オープンした形となります。








この5番街中央広場には、かつて天井からアメリカ空軍の軽飛行機を模した吊り下げられていたそうで…

イベントスペースにも使えそうな広さで、実際に全盛期はそう使われていたのかもしれないですが、今やもて余しているだけですね…
誰もいないから照明も一部しか点灯しておらず…






残念ながら、かつての5番街は、空きスペースもやたらと目立ち、きちんと建物を有効活用出来ているとは、とても言い難いです…

全盛期は建物内には高級ブランドの店で溢れていたはずですが…
こんなところにグッチの店があったんですよ…はい…

リサイクルショップや格安衣料品店がひっそり入ってるだけで…







社会主義国時代のルーマニアのプロパガンダ曲集

2023-11-13 18:54:53 | 解説集

今回は社会主義国時代のルーマニアのプロパガンダ曲について取り上げます。

ルーマニアは東欧の国ですが、1989年までは共産党政権の社会主義国であり、独裁者チャウシェスクが牛耳る国でした。

チャウシェスクは当初こそ、東西冷戦のさなかで社会主義国ながらソ連と距離を置いた独自の外交で、西側の国とも関係を築き一定の成果を上げます。

しかし、北朝鮮を訪問した際に同国ならではの強烈な個人崇拝・絶対的独裁体制に、感銘を受けてしまったようで、ここからチャウシェスクは狂い始めていきます。

チャウシェスクは秘密警察のセクリターテの権限を強化して国民を恐怖のどん底に陥れ、
さらに北朝鮮の金一族の個人崇拝を真似た自身と妻へのプロパガンダを展開する一方で、

国力のため人口の増加が必須、と考えて中絶は犯罪として無理に子供を生ませた結果、ストリートチルドレンが溢れてエイズも増えるなど、メチャクチャな政策を展開するようになります。

さらに財政赤字解消のため飢餓輸出を敢行する有り様な一方、
自身は首都ブカレストに「国民の館」と呼ばれる宮殿を建てた程の絶対的独裁者でした(アメリカ大統領官邸のペンタゴンに次ぐ大きさです…)

ハンガリー、ポーランドなど次々に東欧の国家が民主化していく中、
ルーマニアでも独裁制に対する反発が強くなり、革命が起きて最終的にチャウシェスク夫妻は処刑される形で民主化されます。
これがいわゆるルーマニア革命となります。

…とここまでざっくりと、社会主義国時代のルーマニア及び、絶対的独裁者チャウシェスクについて概要を書きましたが……

それらの詳しい部分はwikiに任せるとして、今回はそんなチャウシェスク独裁全盛期のプロパガンダ曲について記載していきます。

 

*Poporul, Ceauşescu, România! (人民、チャウシェスク、ルーマニア!) 

チャウシェスク時代のルーマニアにおける、プロパガンダ曲の代名詞とも呼ぶべき1曲です。
実際には貧しい農業国で飢餓輸出の敢行したりしていたのに、豊かさを歌う歌詞とのギャップが…

*エレナチャウシェスクの歌(原語タイトル不明)

妻エレナのプロパガンダ曲です。
これも上記の「人民、チャウシェスク、ルーマニア!」についで歌われた曲となります。

彼女もゴーストライターに書かせた論文で科学者として登りつめ、国内海外の複数の大学で名誉博士号を取得するという、どこぞの佐村河内守もびっくりのメチャクチャな不正ぶりでした…

と言うかそもそも一応は一時的に外交で成果は出していた夫よりも、酷かった無能ぶりで…

*Marșul muncitorilor(労働者のマーチ)
社会主義国あるあるの労働者を歌う1曲ですね…

*Ceaușescu - pace! (チャウシェスク 平和!)

*Ceaușescu, om de omenie(チャウシェスク 人民と人類)

これも社会主義国あるあるの、人民を歌うプロパガンダ曲ですね…
実際には、秘密警察セクリーターテによる監視で人権侵害が深刻でしたが…

*Ceausescu La Multi Ani (チャウシェスクの生誕祭)

*Sarbatori in Epoca de aur (黄金時代の休日)
子供達が歌う曲、この動画は1989年8月の撮影ですが、この年の年末にチャウシェスク夫妻は処刑ですから、ほんの数ヵ月前までこんなプロパガンダまみれのパレードしていた訳ですよ…参加している子供たちはその後どうなったんでしょうね…

*1989 Romanian Patriotic Song Ceausescu
上記と同時期に撮影されたものです。チャウシェスクは自身の中絶禁止政策の結果である孤児を、政府のいいなりになるよう育て、国家のエリートとなるよう仕向けましたからね…

・おまけ
*曲名不詳 親愛なるチャウシェスク同志の歌(친근하신 챠우쉐스꾸 동지의 노래)
1971年にチャウシェスクが平壌を訪問した際に、北朝鮮側で作られた曲です。結果的にこの平壌訪問に影響され、チャウシェスクを悪い意味で大きく変えてしまいました…

*チャウシェスクの物真似芸人
ルーマニアのモノマネグランプリ的な番組のようで、挨拶で「アロ!」(alo、ルーマニア語でこんにちは)とか言うのよく似てますね…w