今回は社会主義国時代のルーマニアのプロパガンダ曲について取り
ルーマニアは東欧の国ですが、
チャウシェスクは当初こそ、
しかし、北朝鮮を訪問した際に同国ならではの強烈な個人崇拝・
チャウシェスクは秘密警察のセクリターテの権限を強化して国民を
さらに北朝鮮の金一族の個人崇拝を真似た自身と妻へのプロパガン
国力のため人口の増加が必須、
さらに財政赤字解消のため飢餓輸出を敢行する有り様な一方、
自身は首都ブカレストに「国民の館」
ハンガリー、
ルーマニアでも独裁制に対する反発が強くなり、
これがいわゆるルーマニア革命となります。
…とここまでざっくりと、社会主義国時代のルーマニア及び、
それらの詳しい部分はwikiに任せるとして、
*Poporul, Ceauşescu, România! (人民、チャウシェスク、ルーマニア!)
チャウシェスク時代のルーマニアにおける、
実際には貧しい農業国で飢餓輸出の敢行したりしていたのに、豊かさを歌う歌
*エレナチャウシェスクの歌(原語タイトル不明)
妻エレナのプロパガンダ曲です。
これも上記の「人民、チャウシェスク、ルーマニア!」についで歌われた曲となります。
彼女もゴーストライターに書かせた論文で科学者として登りつめ、国内海外の複数の大学で名誉博士号を取得するという、どこぞの佐村河内守もびっくりのメチャクチャな不正ぶりでした…
と言うかそもそも一応は一時的に外交で成果は出していた夫よりも、酷かった無能ぶ
*Marșul muncitorilor(労働者のマーチ)
社会主義国あるあるの労働者を歌う1曲ですね…
*Ceaușescu - pace! (チャウシェスク 平和!)
*Ceaușescu, om de omenie(チャウシェスク 人民と人類)
これも社会主義国あるあるの、人民を歌うプロパガンダ曲ですね…
実際には、秘密警察セクリーターテによる監視で人権侵害が深刻でしたが…
*Ceausescu La Multi Ani (チャウシェスクの生誕祭)
*Sarbatori in Epoca de aur (黄金時代の休日)
子供達が歌う曲、この動画は1989年8月の撮影ですが、この年の年末にチャウシェスク夫妻は処刑ですから、
*1989 Romanian Patriotic Song Ceausescu
上記と同時期に撮影されたものです。チャウシェスクは自身の中絶禁止政策の結果である孤児を、政府のいいなりになるよう育て、国家のエリートとなるよう仕向けましたからね…
・おまけ
*曲名不詳 親愛なるチャウシェスク同志の歌(친근하신 챠우쉐스꾸 동지의 노래)
1971年にチャウシェスクが平壌を訪問した際に、北朝鮮側で作られた曲です。結果的にこの平壌訪問に影響され、チャウシェスクを悪い意味で大きく変えてしまいました…
*チャウシェスクの物真似芸人
ルーマニアのモノマネグランプリ的な番組のようで、挨拶で「アロ!」(alo、ルーマニア語でこんにちは)とか言うのよく似てますね…w
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