中心街の地下歩行空間を歩いていると人通りの多さに驚く。年末のせいもあるかもしれないがとにかく途切れることなく人の流れが続く。よくコロナ前に戻ったとも言うがコロナ前の状況の記憶はあいまいになっていて確かなのかどうかの判断はできない。それほどコロナ前は遠い過去になった。外国からの観光客も戻ってきているが以前と違うのは中国人ばかりないところ。
23-12-21
冬至。秋分の日からずっと待っていたこの日。これからは昼が短くならずに済んで、夜が減っていくと思うだけで気分も軽くなる。朝夕の暗さはどうしても一日を短く感じさせてしまうのだ。この頃では朝6時でも薄暗く夕方4時には暗くなり始めていた。でも、この憂鬱な気分は日々解消されていく。とはいえ、雪と寒さはこれから本番を迎える。負けないためにも南瓜を食べる。
23-12-22
会話のなかで『今年の漢字』が『税』だったことに納得できないと意見が一致したあとに、それではそれぞれの個人にとっての漢字は何だろうとの話になった。そこでしばし考えてから出てきのは『顧』だった。これは回顧展の顧。これまでの制作の流れを顧みるという意味で大きな節目の年になった。これは新たな出発をするための区切りとしても大事な個展になったと思う。
23-12-23
体力を維持するには骨と筋肉のどちらも大事だがどちらかといえば筋肉だとの考えの例え話に納得。車でいえば骨は車体で筋肉はエンジンになるとのこと。たしかにいくら頑丈な車体でもエンジンが力不足では動けない。その話を進めると筋肉を作るタンパク質の摂取も欠かせない。さらにエネルギー源として糖質も資質も必要になる。行き着く先は食事の大切さに繋がる。
23-12-24
スーパーの食品売り場の変化。今日スーパーに買い物に行くと生鮮食品売り場はすっかり年末年始仕様に変わっていた。まだそんな気分でなかったのに年末が迫っていることをそこで知らされる。まもなく年の暮れと正月が来るのにそんな気分にはなれないでいる。今年は27、28日と教室があるせいでそうなっているのだろう。そんなのはお構いなしに年の暮れへと向かう。
23-12-25
作品置き場の整理や処分から始まり今度は車庫になりさらに家の中に移った。本や雑誌の処分はかなり進んだので今度は文書や走り書きの整理を始めたのだが結構地味な仕事で時間が掛かるのに目に見える成果が小さくてやりがいを感じにくい。その点物の処分は形がなくなりそこに空いた空間が生まれるのでわかりやすい。でも、文書の整理も根気よくやっていかねば。
23-12-26
年寄りの冷や水かも。シャワーを浴びた直後に火の気のまったくない玄関に行きバスタオルで体を拭いている。こうすると体がシャキッとして気持ちがいいのだ。寒い日ほどその効果は大きい。もちろん長居はしない。もう何10年もしていないがかつては大好きだったサウナの後の水風呂に入るのに近い感じになる。さすがに水風呂はもう無理でもこれならまだ続けられそう。
23-12-27
雪も積もり今年度の絵画教室も今日で終わり今年はあと3日となったというのに年末の実感が湧かないのはどうしてなのか。年齢とともにその傾向が強くなってきたがさらに増した気がする。これは、日常とお正月との生活の変化が小さくなったせいだと思う。その上お正月らしさを強く求めなくなったのも事実。それでも年賀状は出したし餅は買ったしみかんも買うつもり。
23-12-28
最近中心街にできたふたつの商業ビル(モユクとココノ)の違い。両方を周ってみて感じたのはモユクは上手に使えてない無駄な空間が多く人の流れが直線的で賑わいを生み出しづらい、ココノは人の流れを分散させる導線になっていて興味や関心を持ってもらえる作りになっていたなど。ふたつとも賑わってほしいが、この時点ですでにこれからが見えたような気がする。
23-12-29
イスラエルの残虐性。死者数が自国の20倍になっても気が済まないようだ。大量虐殺を目指し爆撃を継続している。もともと天井のない監獄に押し込められていたパレスチナの人達を殺すのだからアウシュビッツと大差ない。ガス室の代わりにミサイルを使っているだけの違い。その蛮行に対してアメリカは容認しているので同罪とも言える。アメリカの二重基準が甚だしい。
23-12-30
いよいよ今年の最後の日になった。7月の回顧展までは必死だったのでそれなりに長くもあったが、その後は何となく流れてきたような気もするので短くも感じる。とはいえ、そんな中でも23年もの長きに渡って使わせてもらったアトリエ兼作品置き場の撤収には多くの時間を費やした結果大きな変化につながった。このふたつが今年の成果と出来事として上げられそうだ。
23-12-31