『ある日のひとこと』

ハルカヤマ藝術要塞2011-3




ハルカヤマ藝術要塞2011  ポスター及びチラシ



図録

中橋修                内包ーここにいるー時と場と人の内に包まれて今ここにいる
Nakahashi Osamu                           be with-in
1948年生まれ 札幌市在住       素材ーアクリル板 木 石 土
                    サイズーD800×W600×H180㎝ 深さ170㎝




略歴
2000年 「AREA」(アートスペース201/札幌 01・02・03・04)
      「AREA」(ナショナルギャラリーR・box/札幌)
2001年 「三岸好太郎、三岸節子大賞展」(三岸好太郎美術館)
2002年   「奏でる音と立体の響き」ー音楽家とのコラボレーションー
              (札幌芸術の森アートホール・アリーナ)
2003年   「内包」(ギャラリー門馬ANNEX/札幌 05・06)
2004年   「内包」(STV北2条ビルエントランスアート/札幌)
      「STAGE-04」(イベントスペースEDIT/札幌)
2007年 「内包」(法邑ギャラリー/札幌)
2008年 「内包」(紀伊國屋書店札幌本店ギャラリー 09・10・11)
      「はしご展」(北広島市芸術文化ホール)
2009年 「いすのゆめ」(コンチネンタルギャラリー/札幌)
2010年 「500m美術館(札幌)
2011年 「中橋修の内包」(K-house/札幌)



次の文章はハルカヤマ藝術要塞に向けての心境や制作の過程、意図、そこで得たものなどをまとめ、自分のファイルに記載したものです。


ハルカヤマの『内包』

 『ハルカヤマ』への参加の有無を問い合わせる用紙が届いたとき、何の迷いもなく=参加する=の方に○をした。野外での発表に強い興味を持ったのが一番大きな理由だった。そして、制作、発表を含めての長い会期も魅力的で意欲を掻き立てられた。じっくり腰を据えて制作できる機会を与えられた喜びでいっぱいになった。
 4月末に現地を訪れてみると、イメージしていた様子とは異なっていたが、おおまかに描いいていた構想を実現できそうな場所を見つけ出すことができて一安心した。テーマは近年追い続けている『内包』を継続して副題も全く同じ『ーここにいるー時と場と人の内に包まれて 今 ここにいる』と設定。それを念頭に7月の現地制作までの間、より具体的なプランへと進めた。4月には非常に洗練された現代的でクールな空間に覆われた個人住宅での発表があり、7月にはこれまたシンプルかつスマートな空間を持つ札幌駅横の中心街のギャラリーでの発表をするという流れのなかでの締めくくりが自然に恵まれた野外になるというのは重要な意味があるように思えた。サイズこそ違え同じスタイルの作品を異なる場に置くと、どう表情を変えるのか、それとも同じ表情を保つのか。管理され閉じられた室内と風や雨にさらされる屋外ではどう違ってくるかなどを確かめられるという期待も膨らんだ。それと同時に果たしてアクリル板の作品は野外に耐えられるのかという不安も生まれたが、それも試せるいいチャンスと捉えた。
 そして、7月30日から現地制作が始まる。しばらくは土を掘り地中階段を作るという大地との格闘だがこれがまた楽しい。何の迷いもなく無心に没頭できるのはまさに遊びの世界。これほど楽しいことはない。しかし、酷暑のもとでの拭いても拭いても湧き出る汗としつこい蚊の攻撃は辛かった。しかし、これさえも野外の制作のおもしろさと醍醐味の一部と考えたらどおってことなくなる。大雨もそう。合羽を着てする作業も水遊びのうちに入ってしまう。こうして公開制作の2ヶ月は瞬く間に過ぎていった。制作も最終段階に入り、出来上がりが近づいてくると喜びと同時に『もう遊べなくなる』という寂しさも湧いてきた。アクリル板による作品はアトリエで作って運び込み、地中階段の両側に穴を掘り、準備した土台と接着し固定した。黒い玉も地上と地下に配置して意図する場が完成。その場には恒久的な自然と『今』とを共存をさせたいという願いを託した。こうして、これからこの場で新たな時が刻まれ人との触れ合いが始まる。
 今回の『ハルカヤマ』でのたくさんある収穫のひとつに、鑑賞者の数が上げられる。個展とは比較にならない大勢の人達に鑑賞し体験してもらえたことが大きな成果で、人との繋がりがあってこその作品であると改めて痛感した。アクリル板の作品は周りの草木と互いに引き立て合いながら、見事に調和してくれたのも嬉しかった。とにかく、自然を使わせてもらい、自然に生かされながら、そこに自分の思いと持てる力をめいっぱい注いで制作できたことに大満足しているし、その場に感謝したい。


『魚とは』と問われたときに、『えら呼吸をして水中で生きる動物』などの根幹的な特徴が『内包』の意味するところになるが、その問いを『自分とは』に置き換えるといったい何が出てくるのだろう。制作はそれを探るための大事な手段であり、自らの存在を確認する行為でもある。自分を追い求めるこの道はまだまだ続く。













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