すでに日高本線の鵡川ー様似間は廃止に、そして根室線の富良野ー新得間も廃止になってしまった。浦河育ちなので日高本線には家族旅行から小中高の修学旅行、大学受験など数多くの思い出が詰まっていた。そして大学時代には実家が新得に移っていたので根室線は帰省の度に乗っていた。車窓から初めて見た十勝平野の壮大さに感動したのは忘れられない。続く。
24-4-1
小学時代の思い出に浦河駅での蒸気機関車とのふれあいがある。駅とは離れた田舎に住んでいたのでたまにしかなかったがそれに出会えたときは飽きずに眺めていたものだ。だから汽車の絵を描くのも大好きだった。海も山もすぐ近くにあり箱庭的な日高地方で生まれ育ったため大学時代に狩勝峠を越えて目にした十勝平野はこれぞ北海道と思わせてくれる光景だった。
24-4-2
静岡県知事の発言に呆れ果てる。「野菜を売ったり牛の世話をしたりものをつくったりとかと違い皆様は知性の高い人たち」などと発言すればそれらの仕事の人たちから反感を買うのは当然で門出の新人職員も不快だったはず。決まり文句のように「そんな意識はない」と弁解するが本音が出ただけ。多くの人を傷付けておいて私も傷付いているとは自分しか頭にない。
24-4-3
外出時の上着選びをまちがえる。昨日は上着の前を開けて歩いても少し汗ばむほどだったため今日はもう少し軽めのものにしたら寒く感じてしまった。出掛ける前に確認した天気予報での最高気温が10度にも惑わされた。風が吹いていなければそれでよかったはずなのにあいにくの冷たい向かい風。迷ったときには暖かめの上着にしたほうが安心だと教えられた気がする。
24-4-4
今日、積雪0になったという。昨年は3月20日だったから半月も遅れたわけだ。4月に入ってからとなると何年か前の様子に戻ったよう。これは最後に降った大雪が余計なだけで暖冬の大きな流れに変化はないだろう。かつては4月に入ってから雪が積もったこともあるし、峠越えを予定している車のタイヤ交換は5月の連休が過ぎてからなんて時代もあった。それは遠い日に。
24-4-5
持ち物を減らす流れのなかで本の処分も進めている。どれも思い入れがあって買ったものだから捨てるにはそれなりの決断が必要になる。そこまでいけなくて残されていた本もあって迷いは尽きない。画集などは本当に好きな作品だけを切り取るとときには数枚になる場合もあり、この方法だとふたつの思いが満たされた気分になれる。この迷いと決断はまだ続きそうだ。
24-4-6
18年振りに復活したNHKのプロジェクトXを見た。中島みゆきのテーマ曲が懐かしくそんなに経ってた気がしない。スカイツリーの建設工事が題材で朝から楽しみにしていた。おもしろかったがもっと当時の部分を多くしてほしかった気がする。完成間近に東日本大震災があったのは忘れていた。この部分が一番迫真的だった。スカイツリーは長い行列に断念したのが残念。
24-4-7
札幌に住み始めたのは18歳の1996年だった。その当時は4プラもパルコもない時代で駅前通りには電車が走っていた。そして札幌オリンピックを控えた70年前後から中心部のビル化が進み街の様相がすっかり変化し始めた。その頃から50年以上過ぎてビルの立て直しの時期に入り新たな街並みになろうとしている。自分たちの時代から次の時代への移り変わりのよう。
24-4-8
イスラエルの非情さが恐ろしい。半年の間にパレスチナ人の死者が33.000人を越えた。それでもなお虐殺の攻撃の必要性を堂々と唱えている。自分たちのためなら何でもありのようだ。いったいどれほど自分たちの思い通りになれば気が済むというのか。求めているのは完全支配としか思えない。情けも容赦もないとはこのことか。これを許してしまう世界も情けない。
24-4-9
気温の差が激しすぎる。一昨日は23度まで上がったというのに昨日は10度だった。23度の次の日なので10度はそれ以上に寒く感じた。スーパーに買い物へ行くときには厚手の上着に手袋をして出かけたほど。迷った時には暖かめにというついこの前の服装選びの反省が生かされた。北見では気温差が20度にも達したというから驚く。まるで夏と冬を二日で体験する感じ。
24-4-10