拡散希望【日航ジャンボ機墜落事故】
事故日:1985年8月12日 18時56分30秒
単独機の飛行機事故としては、世界最悪の520名の命が奪われました。
あの事故は、圧力隔壁の損傷が原因での事故では無い!
いまも自分はそう思っています!
自衛隊が関連する事故のように思えてしかたありません。
真実は闇に葬られたようですね。
生存者の証言では、伊豆半島あたりに飛行機が差し掛かかったころ、トイレのあたりからボン!というおとが聞こえたそうです。その直前にオレンジ色の何かが2発、飛行機に向けて飛んでくるのを目撃した方も居たようです。写真にもそれは撮影されていたようです。
事故後、放射性物質があるかもしれないという名目で入山禁止にされて、上野村の消防団、自衛隊、マスコミすべてに入山禁止の指示が自衛隊から出されました。一番早く現場に到着したのは、当時フリーの大学生記者でしたが、現場は見るに見かねない状況だったようでしょう。
そのころ現場では、なにかを回収するような行動が自衛隊によって行われていて、それは証拠品を回収するためだったのです。
ほんとうであれば、事故時に機体が半分に割れて、大損傷を受けた部分と、山の斜面を滑落したため軽損傷で済んだ機体がありました。軽損傷で済んだ部分にはたくさんの生存者がいました。
事故直後の対応であれば、520人も亡くなっていなかったはずの事故だったのに、入山を翌朝まで解禁しなかった理由が不可解でなりません。
これはあくまでうわさにしか過ぎませんが、事故後入山を試みる自衛隊部員が黙殺された。事故現場では火炎放射器で生存者をも焼き殺されていたという噂があります。
事故当時を知る生存者によれば、事故直前でも、何人も生存者が居たそうです。子供の声で「がんばるぞー」という声も聞こえたそうです。
現場は事故直後にアメリカ軍によって特定されていましたが、日本のメディアは、事故現場は不明だと告げられていました。
事故直後の生存者を、火炎放射器で焼き殺す。こんな隠蔽があってたまるもんですか!36年たついまでも、この事件のことは忘れていませんし、生涯忘れません。
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