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【私的メモ】EUの発足・理想・現状についての簡易的なまとめ

2014-12-27 12:26:28 | テレビ・映画・動画
数年前のユーロショックでEUは一つの岐路にたたされた(ユーロショックの詳細に関しては日記下部記載の※1のリンクを参照)。

では、EUはどうして作られることになったのか=どんな理想があるのか。
EUの理想に伴って発生した問題とは何か。


■EUを作ろうとしたそもそもの目的

「ヨーロッパでの戦争をなくすため」
勿論、経済的な協力を強化する目的もあるが、最初の目的、大理想としては「ヨーロッパで戦争をなくそう」というものがあった。
第一次世界大戦、第二次世界大戦の経験から「紛争の要因となる国境をなくせば戦争がなくなるだろう」という発想が生まれ、ヨーロッパを一つにしようという、利害関係を超えた働きが活発になった。


■EUの原型

キッカケはドイツとフランスの関係だった。
ドイツとフランスは仲があまり良いとはいえず、たびたび戦争になっていた。
紛争の主な原因に「アルザス・ロレーヌ地方」が挙げられた。
この地方は言語が入り乱れており、フランス語をしゃべる者やドイツ語をしゃべる人がいた。
また、この地域では豊富な石炭が出た。
その石炭をもとに、鉄鋼業が盛んになる=鉄を生産できる=様々な武器を作ることができる。
結果、アルザス・ロレーヌを押さえた国は、強国となることができる。
そのため、ドイツとフランスは常にここを争っていた。

第二次世界大戦に負け、東西に分割されたドイツは、経済的にも弱くなってしまう。
そこで、このアルザス・ロレーヌ地方で再び石炭を採り、鉄鋼業を盛んにし、経済を立て直したいと西ドイツが考えた。
しかし、そこでフランスが猛反対する。←ドイツ経済が強くなれば、またフランスに攻めてくる可能性があるから

一方で、それを見ていた周りの国は「西ドイツが勝手なことをしないように、周辺国で管理する仕組みを作ればいい」と考える。
戦争利用せずに経済発展に使うとチェックする組織にすれば、ドイツも発展するし、フランスも不信を抱かずに済む。

そうしてできたのが、「ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)」
加盟国は「フランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク(ベーシックシックス)」
これがEUの原型となる。
次にもう一つ「Euratom(欧州原子力共同体)」という組織も出来上がる。
いずれ原子力発電所をヨーロッパでも作っていくことになるだろう。
その際に、経済力があまり強くないヨーロッパの個々の国が別々に原子力開発研究をしても無駄になる。
ベーシックシックスが一緒になって研究を進めていけば、原子力発電所をコスト安で安全なものを作れるだろうと考え、同時に始めた。
上記2つの組織が、今のEUに拡大していくことになる。


■EUへの発展

前述の2組織を統合する形でEEC(ヨーロッパ経済共同体)が発足する。
主な目的な関税を少しでも減らしていこうという目的がある。
関税をかける理由は「自国の産業を守るため」
自分の国で作っているものと同じもので、他所の国から安くて良いものが入ってきたら、自国の産業はやっていけなくなる。
なので、他国の輸入品に税をかけて高くしていく。

一方で自国産業は守れるかもしれないが、ヨーロッパ全体で観れば、効率が悪い。
関税をやめてベーシックシックス内で自由に輸出入ができるようになれば、全体として経済が発展するのではないかと考えた。
結果として、これが上手くいったため、経済だけでなく様々なルールも出来るだけ統一したらどうかとなっていき、更に発展していく。
そしてできたのがEC(ヨーロッパ共同体)が発足。
経済もそうだが、それ以外のルールも統一し、一つの国のようになっていこうという考えがある。

ECの取り組みの例:
国をまたいで荷物を運搬する際に、入国審査の積荷チェックや税関検査がある。
従来のヨーロッパでは、書類のチェックを待っているだけで荷物を積んだトラックが並んでしまい、いつ入国できるかわからない状態が多発していた。
ECでは、税関の書類をすべて統一し、手続きをスムーズにした取り組みがある。
そして、この調子で一挙にヨーロッパが一つの国になってしまえば争そいも起きないだろうと考え、EUが出来上がった。
EUは最初は12か国となっていた(ヨーロッパとしては12=ダースは、完璧な数字という認識がある)
そのため、EUの旗は12の星(ヨーロッパの理想的な形の象徴)として描かれている。
EU加盟国は、大使館などで自国の国旗とこのEUの旗を掲げている。
なお、現在のEU加盟国は28か国。


■EUの問題

EUの一つの権利に「シェンゲン協定」がある。
EU加盟国間では入国審査なしで通過できる=パスポートチェックなしで移動可能。
ただし、クロアチアのようにEUに入っているがシェンゲン協定には非加盟の国もある。
逆に永世中立国のスイスのようにEUには非加盟だがシェンゲン協定には加盟している国もある。
結果として、原則としてEU間であれば、車に乗って自由に気軽に他国に入ることができ、人の出入りが活発になった。

一見理想的に見えるが、問題が発生する。
とりわけ問題が大きかったのは「アラブの春」だった。
2010年、チュニジアをきっかけにアラブ諸国に波及したこの民主化運動で、チュニジアやリビアが争乱状態になり、ヨーロッパへの難民が増加した。
チュニジアやリビアからの難民は地中海からヨーロッパを目指す。
イタリア周辺にある島々にたどり着くと、ひとまずヨーロッパは「どうぞはいりなさい」と、それを認める。
しかし、イタリアとしては「経済があまり強くない我々の国には住み着かないだろうから、受け入れても構わない」と考える。
そして、イタリアに入った難民はそこを超えて豊かなフランスに入ろうとする。
そのため、当時のフランスは急きょ入国審査場を作り、難民を入れないようにしたという事もあった。

また、北欧諸国では社会保障制度が充実している。
難民からしてみれば働かないでも今以上に暮らすことができる。
その為、イタリアを経由して北欧に住み着いてコミュニティを作った。
併せて、彼らはイスラム教徒が多数。
キリスト教社会の北欧社会からすれば、「自分たちがたくさんの税を払って維持してきた社会保障制度に、イスラム教徒のアフリカ人がタダ乗りするのか」という反発が起きた。
このように、国境がなく出入りが自由な故に、難民の受け入れ問題が非常に大きな問題となった。

そして、これは難民だけの問題ではなかった。
東西冷戦が終わり、東欧(社会主義国)がEUに入ることが多くなった。
社会主義政権化では経済が停滞していたため、貧しい人達が沢山いた。
そんな人たちが豊かな生活を求めてドイツやフランスに流れてくるため、当然のようにドイツやフランスでは反発が起きた。

このように、元々EU加盟国の中からの移民と、アフリカからの移民に対し、受け入れざるを得ない一方で、それによる反発が起こっているという現状がある。

なお、こういったEUの事情は欧州サッカーでの移籍関連でも繋がりを持っている。
もっともな例が「ボスマン判決」を皮切りにした欧州移籍事情(左記の詳細は※2のリンク先を参照)であると感じる。

ヨーロッパを一つにして争いをなくそうという理念の元、人の流れは活発になった。
一方で、内外からの移民問題という現状が発生し、反発等が生まれている。

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参考元:「池上彰の経済教室 EUとユーロ その2」
※1の参照リンク:【私的メモ】ギリシャ危機の簡易的なまとめ
※2の参照リンク:やる夫で学ぶJリーグの旅 番外編 欧州移籍事情の巻

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