行基と言えば奈良の大仏建設に携わった僧侶ですね。
名前くらいしか知りませんでしたが、この機会にすこ~し調べてみました。
743年ころは伝染病が大流行し、多くの人びとが病に倒れてしまいます。
さらに天候不順による飢饉(食糧不足)や地震災害も重なり、国内はこのとき、史上最悪の状況となっていました。
そこで、聖武天皇が、「皆が幸せになるために毎日3回大仏を拝み感謝の気持ちを忘れないでほしい」という願いを込めて大仏造立を決意します。
しかし、人手が足りず、大仏造立が全く進まなかったのです。
そこで人望がたくさんあった(人手をたくさんもっている)行基に大仏造立を要請したのです。
この頃行基は、僧尼令によって自身の布教活動や慈善事業を弾圧されていたのですが、聖人の心を持っている行基はこの大仏造立の要請を受けたのです。
東大寺の大仏が完成するまでに9年の歳月がかかり752年に完成しましたが、行基が亡くなったのは完成3年前の749年だそうです。
行基は東大寺の大仏の完成を見る前に亡くなってしまったのですね。
・・・・・だそうです。
でもお墓に関しては、
行基は、菅原寺(喜光寺)で没した後、生駒山の東陵で火葬され、竹林寺に埋葬されたとされています。
・・・・・となっています。
ではなぜ日下に?
行基は飢饉んで苦しむ民のために、慈善事業や弟子や技術者集団を率いて布教と救済事業に乗り出します
その拠点となる「院」を近畿地域に49か所作ります。
信仰の拠りどころであり、作業の打ち合わせや、飯場もかねていたそです。
その一つに、石凝院というのがあり、今の日下墓地一帯にありました。
行基火葬跡って石碑がありましたが、ここで火葬されたのかな?竹林寺じゃ?
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日下貝塚は知っていましたが、日下って歴史ある場所なんですね。