南部吟遊詩人の写真館2

冬も山に登りたいって相当なもんだと思うんですよ。自分でも。家族もあきれています…(*´Д`)

冬の低山は気持ちがいいですか?(栃木・太平山~晃石山)

2025年01月07日 20時31分21秒 | わがふるさと栃木県

【撮影日:2024/12/28】

【本日の山行】

9:05 客人神社

10:12 謙信平

10:45 太平山神社

11:20 富士浅間神社

11:55 ぐみの木峠

12:25 晃石山山頂~12:45

13:20 清水神社

14:15 客人神社

栃木に来ました。今回は太平山から晃石山(てるいしさん)までぐるりと登ってみたいと思います。

まず、出発はコチラ。「客人神社」(きゃくじんじんじゃ?)←地元の人はそう呼んでいるらしいです。

どう考えて「まろうどじんじゃ」じゃないかと思うのですが…。

しかも、あまり聞きなれない神社名です。どんな神様が祀っているのでしょう????

桟道の石段を登っていくと、そこは竹林の中にたたずむ社殿がありました…。

なんか神々しくていい感じです。(*´▽`*)

残念ながら、「社伝」とかの案内板はありません。この神社の由来がちょっと気になります。

平成になってから改修された記念碑しかないようです。これは残念。

ともあれ、竹林の中に鎮座する神社もけっこう貴重。夏は涼しさMAXを味わえそうです。

この神社の左手が登山道と合流するようです。

(ちなみに、普通の「登山口」は神社の入り口からもう少し奥にある)

登山道への合流ルートです。小さな祠や石碑が見えます。

ここは太平山の麓。太平山は昔からこの地元の信仰の山なので、山中には石碑や祠が数多く見受けられます。

山道を歩いていきます。(写真の人物は私ではありません)

冬だけあって秋の間の落ち葉が道に積もっています。滑りやすくなっていることもあるので注意が必要です。

まもなく登山道との合流地点に来ました。鳥居や石碑がいっぱいのエリアです。

ちなみに、写真の方は今回、お願いしたガイドさんです。

この鳥居の奥には小さな祠があります。何かの神様を祀っているようです。

何の神様なのかはよく分かりませんが…。

「庚申塔」や、「青面金剛」とあるので、「庚申信仰」の関連なのでしょう。

なぜか宮城県の青麻神社(あおそじんじゃ)の碑が…。なにか関連があるのでしょうか???

何度も登山したという記念碑のようです。「お百度参り」の一種でしょうか。

こっちは「百八回」だそうです。すごい登っていますね。

ちなみに、通常の「登山道」もここまでは石段のようです。登山道というよりは「参道」ですね。

とはいえ、こちらもこの先、しばらくは石段が続きます。

まさか山頂までずっとこの石段が続いていくのでしょうか???

石段ばっかりもけっこうツラいなあ…(*´Д`)

石段自体は摩耗が激しく、それなりの年月を感じさせます。よくまあ、こんなにキレイに積んだなあ…。

まもなく、石段エリアは終わりました。道が平坦になります。

またも、鳥居。そして「庚申」の文字が。「庚申神社」なんて聞いたことがないですが…。

奥にはどうも石仏があります。

察するに「庚申信仰」のご本尊、「青面金剛」と思われます。

石に掘られた年代から察するに江戸時代のもののようです。

それから、なだらかな道が続きます。っていうか、平地。(*´Д`)

見晴らしが良くなって、遠くが見えます。たぶんあの建物は「謙信平」の茶店群でしょう。

左の小山は「太平山神社」のあたりと思われます。

さらに左の方を見ると、電波塔が見えます。

▲近くで見るとかなりでかいでしょうね。

とりあえず、当面の目標はあっち。あの白い建物です。

たぶん、「大平少年自然の家」だったと思います。地元の小学生の宿泊学習に使われているおなじみの施設です。

山の麓の方も見えます。

このあたり、なだらかというか…ほぼ平地です。(*^▽^*) 山登りしていてここまで平地が続くのは…そうはない…。

林道に出ました。

どうやら林道の向こう側に登山道が続いているようです。

この林道は「下皆川線」といいます。「皆川」といえば戦国時代の武将「皆川広照」がちょっとだけ有名ですが、

その居城跡「皆川城跡」が太平山の麓にありました。

▲小さな祠もあります。信仰のあとですね。

▲その先も平坦なのか…。ここ本当に山???

平坦な道が続きます。ここまで平坦な山も珍しい…。

今更ですが、標識を発見。「十丁」とあります。今まで「一丁」~「九丁」まであったの??気づきませんでした。

このようなものも発見。遭難した際に救助を呼ぶのに役立ちそうです。

低山でも常に遭難の危険性はある(むしろ発生率が高い)ので、こういう標識は大事です。いいなあ。

でも、これって、電波が通じるこの山だから可能なやつですなあ…。

わずかながら、道案内の標識もあります。

太平山は道だらけなのでもっとあってもいいかもしれません。

「ようやく登り??」と思ったら、階段です。

「自然の家」に出るまでずっと階段だと思ったら、多少、藪もありました。

テラスと、建物が見えてきました。「大平少年自然の家」です。懐かしい…( ;∀;)

この「大平少年自然の家」も廃止が決まり、建物が解体中なのだそうです。

時の流れは無常…。( ;∀;)

テラスから関東平野がよく見渡せます。

筑波山も栃木から見ると、見事に「ふたこぶ」に見えます。この眺めが好きなんですよね~~。

今度は道路に出ました。裏参道です。

ちょっと自然の家方面を見てみると、工事中のフェンスが並んでいます。

足場が組まれて、瓦礫も…。本当に解体しているのですね。私が昔、何度か行った時も古かったもんなあ…。

それでも、寂しいものですね。

寂しいと言えば、この太平山には茶店も多いのですが、閉店しているところも多くなっています。

これもまた、時代の流れ…。

一月、冬の最中ですが、花が咲いています。

山茶花(さざんか)のようです。

賑やかで華々しい。盛岡ではあまり山茶花は見かけませんね。

さて、ここから少し歩くと、眺めの良い場所に出ます。

関東平野が一望できます。

「謙信平」です。越後の戦国武将上杉謙信が関東攻略の起点にしたと言われています。

天気のいい日は富士山まで見えます。

▲一応、あれが富士山だと思われます。ラッキー!!!今日は見られました!!!(*^▽^*)

ここから、今回は女坂の方に進んでみたいと思います。(太平山神社に向かって左手(やや西側))

正面(男坂)は山門がありますが、こっちは小さな鳥居のみです。

左手の大岩は天狗が投げたと言われる「天狗の投石」です。

この鳥居は「縁結びの鳥居」と最近はいわれているそうです。

この鳥居に石を投げて、載せれば遼遠に恵まれるとか…。

日本人はこういうの好きですよね~~(*´Д`)

神社まで石段を上がります。

神社に出てきました。ここは変わらなくていいですねえ。

立派な社殿です。

まずは参拝です。

▲山門からの「男坂」です。こっちの方が圧倒的に長い石段が続きます。

地元の運動部中高生にとっては格好のトレーニング場です。

天神社と星宮神社です。これだけが寺社建築。神仏習合の名残です。

神社からの筑波山の眺めもオツなものです。

そして、神社の右手から登山道に入れます。ここから太平山の山頂と晃石山への尾根道に続きます。

登って間もなく道が二股に分かれて太平山神社の奥宮を参拝できます。

神聖な雰囲気があります。

とはいえ、奥宮にあるのは小さな祠のみ。

コチラです。

おそらく、設置されたのもけっこう新しいです。

天目一大神という珍しい神様が祀られて、歴史も古いというのに、祠が一つしかないのはちょっと拍子抜けな感じです。

なんか勿体ない。

先ほど、二股に分かれた道はすぐに合流します。

この辺が太平山神社の裏手です。なぜか山肌に石垣が見えます。いつの時代に組まれたものなのでしょう

山城の名残なのかもしれませんが…。

だんだん大きな岩がゴツゴツしてきます。

神社から下は散策路が縦横無尽ですが、上は道が一本なので迷わずに済むのがありがたいです。

時々、ケルン(石積み)があります。

多少、凹凸はありますが、おおむね平坦な尾根道散歩です。

標識も出てきて登山らしくなってきました。

まずは「富士浅間神社」に行きます。

ちょっとだけ登りがきつくなります。

この辺は昔、鳥居があったそうなのですが、

今は解体され、道端にうっちゃられています。再建しないのでしょうか…。

浅間神社の近くはちょっとだけ急こう配になります。

一段、平らな部分があって、社殿はこの上になります。

小さな祠があります。

もう一段上に、神社の社殿が…。

ありました。この日は天気がいいので他の登山者も多く、トレイルランの団体さんもいらっしゃいました。

トレイルランって山の中を走っていくんですよ…すごいっすよね…(*´Д`)

少し休憩して、さらに先に進みます。浅間神社の後は少し下り坂です。

晃石山まではまだまだです。

林道??アスファルトが見えてきました。

電線の支線(支えるワイヤー部分)が見えてきました。突然です。ここまで電線なんてなかったのに…。

樹間から見えてきたのは電波塔。なるほど、このための電線でしたか。

電波塔の下には擁壁もあり、メンテナンス道路がしっかりしているのが分かります。

もうそろそろ、「ぐみの木峠」のあたりに来るはずです。

もうちょっと道を行きます。開けてきました。あのへんが「峠」でしょうか。

ようやく「ぐみの木峠」です。

ベンチもあります。じつに至れり尽くせり。

レスキューポイントもあり。電波が通じるのは電波塔が近くにあるからでしょう。

この図があれば外国人にも伝わりますね(*^▽^*)

ちなみに、この辺は地元の高校「栃木高等学校」の演習林だそうです。

昔はこの高校がこの辺の管理を地権者から任されていたそうです。学校から遠いのに、なんで……???

さらに進みます。尾根道ですが、

時々、展望が広がります。

秀麗な筑波山を今日は何度見たことでしょう。

こうして見る分にはいいけど、ホントに混んでいるんだよなあ…、あの山。

ちなみに、肉眼で見ると、このくらい遠いです。

すこし、痩せた尾根道もあります。しかし、おおむね平坦。楽な山道です。

登りに差し掛かるころ、なにやら見えてきます。

「駒形石」ですって。近くによって見てみましょう。

なるほど、ちょうど馬のひづめの形にへこんでいます。

おそらく自然にできたものでしょうが、それにしても不思議な形です。

こんなところまで馬が来れる訳がありませんし、ましてや馬が岩にひづめの跡を付けられるわけはないので何らかの事情で岩がえぐられたのでしょうが、その理由は分かりません。

また、展望台に来ました。ベンチがあるのがありがたい。

関東平野が望めます。

晃石山はまだですかねえ。

あと、200mほどのようです。

なだらかな道が多いのであまり体力は使いませんが、いい加減長いなあ…と思ってきました。

「関東ふれあいの道」の石標ですね。これって小さいときから見ていましたが…、けっこう歴史が古そうです。

▲分岐点に来ました。当然右の山頂に向かいます。

山道を行きます。

登りに差し掛かりました。

ちょっときつめです。久しぶりです。この急登。

やたらと、木の根が露出していますね…。

あ、祠が見えてきました。

どうやら、ここが山頂のようです。

着きました!!!

三角点もあります。

祠に備えられてるのは柚子でしょうか?ここの神様はどなたが祀られているのでしょうか…?

標高は低いですが、けっこう周りがよく見えるようです。日光連山の山々がかかれています。

今日は天気がよいので、山々を見るチャンス!!!

何やら大きな建物が見えます。

塔らしき建物が見えますが、あの辺はゴルフ場が多いようなので、クラブハウスの一つでしょう、多分。

こっちは関東平野の方面のようです。平野が彼方に広がります。

あっちは多分、足尾の方面。西側です…。なんか雲が広がってきている…。

(この雲が1時間後に雨をもたらしてきました)( ;∀;)

さて、あっちが日光連山らしいのですが…、遠すぎて何が何だか分からねえwww

もっと山の知識があれば分かるんだけどなあ…もっと登ったりしていれば……。

ちょっと無念。

さて、堪能したし下りましょう。帰りは下に降りてからもとの客人神社に回り込むようにしてもどります。

この鳥居は金属製ですね。珍しい。そして扁額もないので、何を祀っているのかわからない…。

降りてすぐ建物とベンチなどが見えてきました。こんな山中に広場があるのでしょうか。

神社です。さきほど分岐にあった「晃石神社」のようです。

拝殿の後ろにある本殿は山の崖を利用して建てられています。

するとさっきの祠はここの「奥宮」だったのでしょう。

案内板です。英語までついているとは…素晴らしい。国際化に対応していますね…!!

開基が奈良時代…!!古!!!!!!

この建物自体も江戸時代末期の作りだそうです。歴史が…圧倒的!!!

で、これが「鏡石」だそうです。こういう「鏡石」信仰って日本中にありますよね…。

どう見ても、日光を反射するようには見えないのですが…、昔は光り輝いていた??まさかなあ…。

ただ、ね。

こういう何の変哲のない石でも、やすりをかけてかなり、根性かけて磨けば、光るらしいっすよ…。

多分、昔の人はそういうことをする人がいたのかもしれない。

「光るまで磨く。」

出来ないことではないらしいっす。

 

さてここからふもとの「清水寺」に降りていきます。

この「清水寺」は「せいすいじ」と読むそうです。「きよみずでら」とか「しみずじ」とかではないようです。

「聖水寺」でもないようです。一種独特な読み方…。

石段を下りた後は、急登が続きます。

▲ありがたそうな杉の木がありました。巨木です。

▲不思議な石です。線が筋状に幾筋もあります。

地学の先生に聞いてみたら、熱膨張と収縮を繰り返すと、このように「柱状節理」みたいに亀裂が入ることがあるのだということです。つまりは「自然にこういうことは起こりえる」ということなのだそうです。

それにしても、不思議な石ですよねえ…。

下りはかなりの急登。転ばないように、注意しないといけません。慎重に降ります。

「清水寺」まではけっこう距離があります。

それでもだんだん急だった山肌がなだらかになってくると、麓が近いな…という感じになってきます。

やはり「清水寺」の名前の通り、水に関係する場所のようですね。

やはり、「地元の名水」というやつが採れるのでしょう。

森が開けてきて、麓が近いことを示しています。

通路というか手すりも見えてきました。この周辺は実によく整備されています。ありがたい。

▲また、この周辺で見つけた奇岩です。さっきも見つけましたがこんな風に波状に筋が等間隔になるのは一体なんなのでしょう???不思議……。

これも、地学の先生に聞いてみました。

「このように波状に模様が入るということは、水の流れを反映していると思われる」

とのことでした。

もしかしたら、水底にあった砂が固まってできた「砂岩」かもしれません。

ちょっと低いところ(登山道)にあったので、昔はココが川底だったのかもしれません。

面白い岩があるもんですね~~(*´▽`*)

手すりの向こう側にも園庭があるようです。どんな感じになっているのか、今度見てみたいと思います。

ようやくお堂が見えてきました。

▲十一面観音が祀られている、巡礼の一部のお寺のようです。

いろいろ書いてあります。

お堂はとても立派なものです。

▲本尊は鎌倉時代の作なのだそうです。また、これも古い…。

しかし、晃石山神社が奈良時代の創建であることを考えると、そのくらいはあるのかなあ…と思ってしまいます。

▲「滝の観音」の異名から、この周辺に滝があったということなのでしょう。

それで、「清水寺」の名がついているのですね。

お堂は立派なものです。鍵がかかっていますが、本尊は見えます。

扁額とともに、絵馬らしきものも奉納されています。珍しい。

境内の端からも関東平野が望めるとはすばらしい。

ここからふもとの道を通って客人神社まで帰ります。

こちらがかつての「東山道」だったそうです。

他にいくらでも平野はあるのに、なんで山沿いの道を「東山道」として街道にしたのでしょう?

不思議だなあ…。

石仏もありました。歴史を感じさせます。

客人神社の近くには「大平下駅」もあります。

木立の間を歩くこの道はなかなか風情があります。

ただ、午前中はあれだけ晴れていたのに、だんだん雲行きが怪しくなってきました。

最後までいい天気であってほしいというのは人間のエゴですが…

しかし、よく見ると駅まではけっこうありますね。約1時間は歩かないと着かないとは…。けっこう運動になりそうです。

東山道の説明です。陸奥へ行くための主要街道でした。

ちなみに、ここから栃木県の東部(烏山・馬頭・黒羽など)を通って白河の関まで通じます。

先日アップした「那須国造碑」もその東山道沿いの遺跡です。

こうして考えると、現在、県庁所在地になっている「宇都宮」って東山道が通ってなかったんですよね…。

昔はあまり主要な町ではなかったのかなあ…???

 

 

ちなみに、途中にはよさげなキャンプ場もあります。

よく整備されているし、この日は冬キャンを楽しむ方もいました。羨ましい…。(*´Д`)

 

道は竹やぶに差し掛かりました。

この、東山道跡、けっこう民家の近くも通るのでちょっとクマ鈴とかつけていると、「迷惑かな」と思ってしまいます…。

仕方ないのだけど。

こういう道を歩いていると、「古道」って感じがしていいですよね~~~(*´▽`*)

 

ただ、このあと、客人神社まで残りわずかのところで、ポツポツ雨が降り出してしまい…、

20分近くは小ぶりの雨の中を歩く羽目になりました。

しかし、冬とはいえ、雨ですからね。

やっぱり関東は暖かいです。

 

(おわります)


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