「明治記念館」というそうです。
ちなみに、東京(信濃町)にもそういった名前の建物があり、なんだかそれだけでなくいろんな場所にそういう名前の建物があるそうなので、google検索すると「とんがり帽子の赤い屋根」という枕詞がついています。
ここは「共立病院」という看板がかかっています。
もとは病院だったらしいです。
「丘の上」といいますか、すこし高くなった川沿いにあります。
なかなか特徴的な建物です。
西洋風でもあり、中華風でもあるそんな不思議な趣があります。
ここはかつてラジオドラマ(昭和20年ごろ)の舞台となったそうです。
この建物をモチーフに歌がつくられたのだとか。
それを記念した綺麗な石碑があります。
これが説明版です。
ざっくり説明します。
もともとは明治初期にここは地元の有志によって病院が作られたそうです。
しかし、たちまちにして経営が逼迫。
県に援助を申し出るも断られ、あえなく2年で廃業。
その後は役所の建物になったり、隣の幼稚園の園舎になったりしたそうです。
この病院跡の近くを流れる川は「人首川」(ひとかべかわ)。
物騒な名前ですが、こんな謂れがわるそうです。
坂上田村麻呂伝説の関連なのですね。
ちなみに、この伝説の元となっている「達谷窟」の紹介はコチラです。
中に入ってみましょう。
中はこんな感じ。
滅茶苦茶に広い玄関ホールです。
当時、病院としてどのように使われていたか、全く資料も残っていないので不明なのですが、おそらくここが玄関ホール兼、待合室でなかったかという感想を持ちました。
そんで、多分、左手が診察室。右手が事務や受付ではなかろうかと思われます。
左手にはぶち抜きの長方形の一部屋になっていますが、右手は階段が二つあります。そして二部屋に分かれています。敷居の様子からそれが分かります。現在は敷居の上にあったであろう襖(それか障子、壁など?)が取り払われて一階すべてがぶち抜きになっています。
一階の右側エリアです。
当時の金庫や資料が壁沿いに展示されていますし、管理人のいる事務室エリアがあります。
(ちなみに、私が行ったときは親切なご婦人がいて、いろいろ教えてくれました(*´▽`*))
急な階段を登ると…、
(う~~ん、これって昔の民家だよなあ…)
中二階?倉庫?どう考えても、これは倉庫……だったんでしょうね、多分。
(案内人の方も多分そうであろうと言っていました)
現在も、倉庫です(笑)
玄関ホールエリアが見えます。
(落下注意ですわ、コレ(*´Д`))
階段はもう一つあります。
そこを登ってみましょう。
中は完ぺきに納戸ですね。洋風なのは外見だけ…(*´Д`)
玄関ホール側は障子があります。取り外せるようです。
上に続く階段の横には音響機械があります。
最上階の塔楼部分に設置されているオルゴール?を鳴らす機会だそうです。
そして3階にも行けるようです。
行ってみましょう。
……倉庫だ!(*´Д`)
蔵ですね。まるっきり。黒塗りとか、蔵ですよ、コレ。
なんか書いてありますが、判別不能です。もはやワケわからん(*´Д`)
広さとしては約6畳程度でしょうか。
多分薬品庫かなんかだったと推測されるようです。
光とか受けないように暗所保存には適していたんでしょうねえ…。
そして、上にあがれるようです。
次は4階になるんですね。
おお!明るい!全面窓です!!1階とおなじですね。
ちなみに、ココ4階です。外から見たときの、
ここですね。よく見ると、軒先に鐘がぶら下がっていて、まるきり「寺」やん…(*´Д`)
登り口が、こんな感じです。
(なんか、昔の城とかこんな感じだな…)
窓はこんな感じ。
左右につっかえ棒があり、それを外して横にスライドさせて開けます。
ただ、端まで動かしても、全部開くわけではありません。
窓より横の壁の方が少し小さいので仕方がないのです。まあ安全ではありますが。
全面の窓です。東側を見ます。
近くに見えるのは岩屋堂幼稚園です。遠くに「光明寺」が見えます。
南側です。
水沢の町が見えます。目の前を流れているのが「人首川」で上ってきた坂が見えます。
手すりとベランダがあるので、無理すればベランダに出られるかもしれませんが、そんなことおっかなくてできません。
西側です。
橋が架かっています。「中の橋」というそうです。
向こうの山に建物が見えます。
掲示物によれば「及政(おいまさ)旅館」という場所で、ここを舞台にしたラジオドラマを書いた鈴木一夫氏が泊った旅館だそうです。
ちなみに、『鐘の鳴る丘』というラジオドラマだそうです。
地元の人に強く愛されているのですね。
ちなみにそのラジオドラマは昭和25年ごろとかの話のなので、私もリアルタイムに知っているわけではありません。でも大ヒットした伝説的なドラマらしいです。
ちなみに、この4階から上へは行けません。階段がないのです。
たぶん、上の塔楼に行くにはこの天井をあけるのだと思われます。
さぞかし、眺めはいいでしょう。
今はオルゴールが時間で鳴るらしいです。
さて、この建物の入り口なのですが、どうなっているかと言いますと、
折れた扉が両側についていて、それが閉まる構造になっています。
こんな感じなのですね。
Ⅼ字型の金具は閂(かんぬき)を置くための金具です。
扉は上から吊っています。
重さで歪むのを防いでいます。
では、実際に閉めてみましょう。
この金具が実に「蔵」そのものですな。
閉めるとこんな感じになります。
逆光で暗いですね。
こんな塩梅です。閂は上下に二本あります。あまりに重いので上の方は簡素化したそうです。
ちなみに、勝手に開け閉めしちゃダメです。
今回は管理人さんのご厚意で特別に見せていただきました。
建物の裏手です。
多分、昔はここに渡り廊下があったものと思われます。
裏側には建物があり、入院患者を収容していたそうです。
今では庭石などがあり、見る影もないですね。
パンフを張っておきます。詳しくはコチラをご覧ください。
明治8年の建物です。改修されたとはいえ、キレイで丈夫です。
4本の大黒柱が実に太くて頑丈です。なかなか見られない大きさの柱です。
【撮影日:2023/4/1】
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