本作品はフィクションです。現実の宗教や信条などを毀損する意図はありません。
「アディカル君、時に、人間はなぜ自分が正常であると思いこむのだと思う?」と50はゆうに越したであろう男性が、部屋の中で本を読んでいる青年に尋ねる。
「それは、多数派であることを認識することで自らと同じ考え、同じような嗜好を持つ人間が沢山いるとある種安心感を覚えるから…ですか?先生。」
「うーむ。ならなぜ人間は多数派が正常であると認識できるのだと思う?」
「それは…」とアディカルは言葉を探しているが見つからない様子だ。
「私ですら自分は正常な人間であると感じるときがあるのだ。多数派とは言えない私でさえ。」
「だが同時に自分は異常者であるという認識は持っているのだ。矛盾していると思わないか?」
「正常というのはあくまで自らの平静を保つための洗脳に近いものではないのかね。」
「洗脳…でありますか」
「そうだとも。高慢なヒト科の中には自らを世界の中心、絶対的な正義、絶対的な正常者と思いこんでいる異常者がごまんといるという話だよ。」
「ですが、先生その正常、異常という二元的な価値観はどこから生まれたものなのですか?」と彼は訊く。
先生は面食らったかのような顔をして目を見開く。
「やはり、君にこの話をして正解だったかもしれない。それは私が盲点として認識できていなかったものだった。」
「確かに。私が今まで当たり前のように使ってきた正常、異常という観点はとても主観的なものであったかもしれない。」
「誰が本当の意味での正常なのだろうか。私が神を語るのも滑稽な話であろうが、やはり神が地面の土から作り給うたアダムこそ正常異常の基準なのか?」
「こんなことを言っては信心に欠けると思われるかもしれませんが……」とアディカルは先生に言うが、先生はむしろ
「私が信心を問う男に見えるかね。そもそも、私は社会性とともにマジョリティーの持ちうるような信仰心は欠如している。尤もハーマジェスティに対する忠誠心だけは失ったことはないが。」と彼に発言を促す。
「主が正常である、と判断しうる担保すらどこにもないと考えてしまうときがあるのです。」
「うむ。確かに否定はできない可能性だ。尤も信奉者たる人類の認識が狂っていた場合は神は正常であっても狂った我々の思考の中に登場する神は狂気に見えるかもしれない。」
「要するにこのカメラのレンズと同じだ。」と先生は机の上に置かれていた古めかしいカメラを取る。
「カメラのレンズのピントが合っていなければいくら正常な世界であってもぼやけた異常な世界が映る。」と先生はカメラのファインダーを覗き込む。
先生はカメラのフォーカスレンズを廻す。
「尤も、確かに正常、異常というYesかNoかのような二元的選択肢で分けようとするのは最も愚かしい行為かもしれない。」とカメラを置き、立ち上がる。
「君の周りにもいるかもしれないが、何事も0か100の二進数でしか物事を考えることができない人間というのは実際存在する。」
「いつでも自分が正しい、自分がそう思うなら他人もみんなそう思うだろうと思っている人間も…だな。」
「そう…例えば平等を掲げる功利主義者なんかがいい例だ」
「人間は遺伝子の時点で既に平等ではない。遺伝的な病や能力というものも存在するし、更にはそこから優性遺伝、劣性遺伝かで更には顕れるかが分かれる。この不平等は遺伝的多様性という種の存続を目的とした機能の最も根幹とと言える。」
「しかし何故、そうなのに人間は平等を求めるのですか?」とアディカルは聞く。
「元来。人間はユートピアに思いを馳せてきた。創世記だって最初は生命の実を喰らった神の住める神の国から始まるだろう?」
「だが、現実問題平等を求めるということは本来人間が心理的に持つ優越感に浸るという心理に矛盾していると言えないか?」
「アディカル君、人間が真に平等になるときはいつだと思う?」
「それは…貧富の格差がなくなったとき…ですか?」
「いいや違う。カール・マルクスでも読んだのか?」
「いえ。ナロードニキに走る 他の大学生 とは異なり共産主義への興味はありません。」
「残念なことに人間が真に平等になるときは墓の中に納められて朽ち果てた時だよ。」
「口も無ければ心もない。魂すら失い、リン酸カルシウムとその他有機物のただの物体となり果てて大地に埋められた時に真の平等が実現される。」
「死後の世界のみが平等な世界というのもなんとも皮肉な話であるがな。」と先生は嗤う。
「真の平等を求めれば死しかない。死こそが最後に残された平等に与えられる権利だというのが生まれ持って与えられた権利の本質とも言うのですか?」とアディカルは訊く。
「そうとも言えるな。」
「………。確かにそうなのかもしれませんね。」とアディカルは黙り込む。
「話疲れたな。紅茶でも淹れよう。」と先生は立ち上がり部屋の奥の流しで電子ケトルに水を注ぐ。
「─────先生。」
「どうかしたか。君はコーヒー党だったかな?」
「いえ。そういうわけではありません。ただ疑問に思ったことが一つ。」
「何だね。次のテストの問題は何が出るかとかじゃなければ答えるが。」
「これから私達はどう生きれば良いのですか?先生。」
「後が長くない私に一番難解な問題を突きつけてくるねえ君は。」
「他の大人であれば自分で見つけなさい。貴方の人生なのだからなど綺麗事を並べるだけで終わるだろうが、そう終わらせるのも私が勝手に自らの思想を語ってしまった君に申し訳が立たない。」
「いいか。アディカル君。人間は矛盾に満ちている。それでもアポトーシスを起こさずに生きて行けているのは人間には矛盾をあたかも筋を通っているかのように見せることができる思考力と表現力があるからだ。」
「私は今まで人間という存在を疎んできた。人間は碌でもないことしかしないとね。」
「しかし、私も歳を取りいつしかそんな人間の一部になっていた。いや元からそうであったが、目を背けるという一番簡単な矛盾の解決策で逃げてきたのだと思う。」
「私のようになれともいわないしなるんじゃないという気もないその選択は君がするだけだ。」と先生はアディカルの前に座り、彼の目を見る。
「人は誰しも光だ。こう言うととても詩的だがね。」と先生は柔らかい表情で微笑んだ。
「アディカル君、時に、人間はなぜ自分が正常であると思いこむのだと思う?」と50はゆうに越したであろう男性が、部屋の中で本を読んでいる青年に尋ねる。
「それは、多数派であることを認識することで自らと同じ考え、同じような嗜好を持つ人間が沢山いるとある種安心感を覚えるから…ですか?先生。」
「うーむ。ならなぜ人間は多数派が正常であると認識できるのだと思う?」
「それは…」とアディカルは言葉を探しているが見つからない様子だ。
「私ですら自分は正常な人間であると感じるときがあるのだ。多数派とは言えない私でさえ。」
「だが同時に自分は異常者であるという認識は持っているのだ。矛盾していると思わないか?」
「正常というのはあくまで自らの平静を保つための洗脳に近いものではないのかね。」
「洗脳…でありますか」
「そうだとも。高慢なヒト科の中には自らを世界の中心、絶対的な正義、絶対的な正常者と思いこんでいる異常者がごまんといるという話だよ。」
「ですが、先生その正常、異常という二元的な価値観はどこから生まれたものなのですか?」と彼は訊く。
先生は面食らったかのような顔をして目を見開く。
「やはり、君にこの話をして正解だったかもしれない。それは私が盲点として認識できていなかったものだった。」
「確かに。私が今まで当たり前のように使ってきた正常、異常という観点はとても主観的なものであったかもしれない。」
「誰が本当の意味での正常なのだろうか。私が神を語るのも滑稽な話であろうが、やはり神が地面の土から作り給うたアダムこそ正常異常の基準なのか?」
「こんなことを言っては信心に欠けると思われるかもしれませんが……」とアディカルは先生に言うが、先生はむしろ
「私が信心を問う男に見えるかね。そもそも、私は社会性とともにマジョリティーの持ちうるような信仰心は欠如している。尤もハーマジェスティに対する忠誠心だけは失ったことはないが。」と彼に発言を促す。
「主が正常である、と判断しうる担保すらどこにもないと考えてしまうときがあるのです。」
「うむ。確かに否定はできない可能性だ。尤も信奉者たる人類の認識が狂っていた場合は神は正常であっても狂った我々の思考の中に登場する神は狂気に見えるかもしれない。」
「要するにこのカメラのレンズと同じだ。」と先生は机の上に置かれていた古めかしいカメラを取る。
「カメラのレンズのピントが合っていなければいくら正常な世界であってもぼやけた異常な世界が映る。」と先生はカメラのファインダーを覗き込む。
先生はカメラのフォーカスレンズを廻す。
「尤も、確かに正常、異常というYesかNoかのような二元的選択肢で分けようとするのは最も愚かしい行為かもしれない。」とカメラを置き、立ち上がる。
「君の周りにもいるかもしれないが、何事も0か100の二進数でしか物事を考えることができない人間というのは実際存在する。」
「いつでも自分が正しい、自分がそう思うなら他人もみんなそう思うだろうと思っている人間も…だな。」
「そう…例えば平等を掲げる功利主義者なんかがいい例だ」
「人間は遺伝子の時点で既に平等ではない。遺伝的な病や能力というものも存在するし、更にはそこから優性遺伝、劣性遺伝かで更には顕れるかが分かれる。この不平等は遺伝的多様性という種の存続を目的とした機能の最も根幹とと言える。」
「しかし何故、そうなのに人間は平等を求めるのですか?」とアディカルは聞く。
「元来。人間はユートピアに思いを馳せてきた。創世記だって最初は生命の実を喰らった神の住める神の国から始まるだろう?」
「だが、現実問題平等を求めるということは本来人間が心理的に持つ優越感に浸るという心理に矛盾していると言えないか?」
「アディカル君、人間が真に平等になるときはいつだと思う?」
「それは…貧富の格差がなくなったとき…ですか?」
「いいや違う。カール・マルクスでも読んだのか?」
「いえ。ナロードニキに走る 他の大学生 とは異なり共産主義への興味はありません。」
「残念なことに人間が真に平等になるときは墓の中に納められて朽ち果てた時だよ。」
「口も無ければ心もない。魂すら失い、リン酸カルシウムとその他有機物のただの物体となり果てて大地に埋められた時に真の平等が実現される。」
「死後の世界のみが平等な世界というのもなんとも皮肉な話であるがな。」と先生は嗤う。
「真の平等を求めれば死しかない。死こそが最後に残された平等に与えられる権利だというのが生まれ持って与えられた権利の本質とも言うのですか?」とアディカルは訊く。
「そうとも言えるな。」
「………。確かにそうなのかもしれませんね。」とアディカルは黙り込む。
「話疲れたな。紅茶でも淹れよう。」と先生は立ち上がり部屋の奥の流しで電子ケトルに水を注ぐ。
「─────先生。」
「どうかしたか。君はコーヒー党だったかな?」
「いえ。そういうわけではありません。ただ疑問に思ったことが一つ。」
「何だね。次のテストの問題は何が出るかとかじゃなければ答えるが。」
「これから私達はどう生きれば良いのですか?先生。」
「後が長くない私に一番難解な問題を突きつけてくるねえ君は。」
「他の大人であれば自分で見つけなさい。貴方の人生なのだからなど綺麗事を並べるだけで終わるだろうが、そう終わらせるのも私が勝手に自らの思想を語ってしまった君に申し訳が立たない。」
「いいか。アディカル君。人間は矛盾に満ちている。それでもアポトーシスを起こさずに生きて行けているのは人間には矛盾をあたかも筋を通っているかのように見せることができる思考力と表現力があるからだ。」
「私は今まで人間という存在を疎んできた。人間は碌でもないことしかしないとね。」
「しかし、私も歳を取りいつしかそんな人間の一部になっていた。いや元からそうであったが、目を背けるという一番簡単な矛盾の解決策で逃げてきたのだと思う。」
「私のようになれともいわないしなるんじゃないという気もないその選択は君がするだけだ。」と先生はアディカルの前に座り、彼の目を見る。
「人は誰しも光だ。こう言うととても詩的だがね。」と先生は柔らかい表情で微笑んだ。
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