夏樹智也の趣味の小屋

時間泥棒に取り憑かれた人間が気まぐれに趣味に走る。

Code:Window

2021-11-23 17:44:36 | 小説(一次創作)
某グループにて作った短篇小説です。


遠い昔、私たちが見えていた景色にはレイリー散乱の恩恵を受けた青色の空が写っていた。
裏を返せばそれしか見えていなかったのだ。
なぜかって?
それは私たちが重力という舫いに縛られていたからだ。
何をもって時代が変わったかという定義はさておき、時代が変わってからというもの、私たちの見ることが叶う世界というものは大きく変容したといえるであろう。
見える世界なんて言うものは眼球に張り付いた水晶体という名の窓から見えているものに過ぎない。狭義の世界というものはいうなれば窓から見えているものだけなのだ。
窓と窓と窓と窓と窓、この地上、いやこの宇宙に存在する全ての窓から見えているものこそが我々が認識できる世界であり、世界というものは認識できるものなのだ。
昔からヒトは窓と窓を繋ぐ手段として学習という行為と思索という行為をたびたび行ってきた。
遠い昔、ジョセフ・ルフトという心理学者とハリ・インガムという心理学者が対人関係における気づきについてを窓で喩えた。
自も他も認知する「開放の窓」
己は認識していないが、他者からは認知されている「盲点の窓」
自らは認識しているが隠し通すことで他者からは看取できない「秘密の窓」
誰も認識していない、言うなれば全知の神でもなければ見出せもしない「未知の窓」
この4つを窓という、恐らくこの世界に文明が生まれ、建築物という概念が生まれた時代にはもう生まれついたであろう、ホモサピエンスの発明品の名を冠したのはとても秀逸であると思う。
ヒトという存在の世界の認知には当然盲点がある。
なにもジョハリの窓に限った話ではない。
そう。そこの君だって日常的にやってるさ。
眼を逸らすという行為をね。
人間の幸福なんてものは脳が作り出した錯覚に過ぎない。
幸せになりたいなんて願うならさっさと人間であることをやめて薬物に奉仕する傀儡《くぐつ》として生きればいい。それが一番幸せだ。
そんな世界で窓を見てみろ。辺り一面幸せだらけだ。
お生憎様。私はそんな世界に行きたかないね。
自己顕示欲とかいうロイコクロリディウムに憑りつかれた傀儡が溢れかえるこの世界の方がよっぽどマシだ。
そんな私を嘗ての私が見ればおかしくて嗤ってしまうであろう。
私の目の前にある大きな窓には我らホモサピエンスの故郷たる惑星が写る。
そんな窓を私の水晶体を通して私の脳が見る。
水晶玉のように輝く蒼い海。生命の源が此処から来ているだなんて想像もつかない。

「やはりここが我らが世界だ。」私は呟く。

さあ。ヒトへの賛歌を口ずさめ。
さあ。人っ子一人いない荒野で口ずさめ。
さあ。亡国の道端で口ずさめ。
生まれ変わっても口ずさめ。

窓はそこにある。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿