この件については、お話ししようか止めようか迷いましたがなっち自身の区切りをつけたくて書くことにしました。
前回お話しましたなっちの入院期間中に、実はなっち母が旅立ちました。
去年の10月頃だったかしら、今回のなっちの入院前に特養に入居していたなっち母に一度めの急性心不全があって救急車で搬送ということがありました。
このときは大丈夫で、10日ほどの入院で済んだのですけど。
なので、なっちの入院中に「もしも」のときには、義姉(兄の妻)に連絡が行くようにお願いしてあったんですけど、なぜかなっちのところに連絡が来ました。
一報めは真夜中に特養からで、なっちが全荷重になって歩行訓練を始めて1週間くらいのときで…。
難しい二者択一を迫られました。
再度の心不全ということもあり、認知症高齢者ということもあり、現実問題として、病院での治療を希望するか、それとも特養のままホームドクターの治療を希望するかという難題でした。
入院中の一患者に真夜中に聞くことかい…と思いながらも、まだ歩けないし、時間稼ぎではないけれど、持ち直すことを祈って今回も救急搬送してもらって病院での治療を希望しました。
次に連絡が有ったのは、搬送先の病院からでした。
どこまで治療しますか? 気管挿管や心臓マッサージをしますか?という質問です。
一度目の搬送のときも聞かれたことだし…と「気管挿管や心臓マッサージはしなくていいです。」「お薬とかダメージの少ない治療でお願いします。」と答えた。(冷たいように感じますか?)
しかし、なぜ義姉の携帯には連絡がつかないのか…
電話もショートメールも…。
まぁ、現実問題として義姉に連絡が行ったとしても、〝嫁〟の立場としては答えにくい質問ばかりですよね。
あらためて、なっちに最初に連絡が来て良かったんだと思いました。
義姉が仕事に行く前の早朝になって、義姉の家電にかけたらやっと連絡がついて、義姉に病院へ行ってもらうことに。
(義姉に聞いたら、携帯の機種変をしたのでハジカレていたのかも…とのことでした。オイオイ)
駆け付けた義姉によると、なっち母にも会えてお話しもしてそうで、その後一般病棟にも移ったのですが、その数日後に三度目の心不全でなっち母は旅立ちました。
なっちは入院中で、兄は県外ということもあり。
すべてが義姉任せになってしまったので、本当に簡素に義姉にも負担が少ない方法でいいから…とお願いしていたんですけど、なんと市営の火葬場が2週間持ちという事態に。(時期にもよるそうですが大変混んでました。)
不謹慎に聞こえるかもしれませんが、この待ち時間がなっちには有難くも助けになりました。
その後の2週間で、リハビリをびっちりガンバって、何とかそこそこ歩ける様になって、タクシーに乗ってカートを押して最後のお別れに行ってきました。
家族が逝くと、「寂しいですね。」とかよく聞かれますが。
これがなんと言いますか、なっち的には「ホッとした。」というのが本音でしょうか。
入院中も、ゆっくり入院していられませんでしたかからねぇ。
去年も今年も。
今は、貯まった郵便物を整理して、なっち母関係の手続きしないといけない書類がどっさり。
少しずつ処理しているところです。
人がひとり亡くなると、こんなにも手続きしないといけない書類があるとは初めて知りました。
なので今回は、マイナンバーカードを作って置いてよかったと痛感しましたね。(政府の回し者じゃないですけどねー。)
住民票はもちろん、戸籍謄本や印鑑証明書など必要な書類がコンビニのマルチコピー機でまとめて手に入るから。
区役所だと、昼休みはやっていないとか、書類によって窓口が異なりそのたびにいちいち申請書を書かなくちゃならない…という手間がコンビニのマルチコピー機にはないし。
年金事務所もすごーく混んでて予約は7月になったばかりなのに「8月以降になります」と言われ、郵送で申請&届け出を済ませましたし。
何より微妙に遠くて、且つ辺鄙なところにある区役所や年金事務所に行かなくて済む…というのはなっちには大いに助かりました。
ということで、これにてなっちの介護生活は終了です。
お気遣いありがとうございます。
なっち母が世帯主で、介護保険もフル活用ということもあり、手続きが煩雑でした。
ほぼ、手続きも終わったかな?
区役所からも書類は来ないと思いますけど。
なっちは大丈夫です。
私の母は昨年、ガンで亡くなりました。その後、手続きが、なかなか大変でしたので(姉がいますが、私が同居してたので)、なっちさんも、お身体を大切に、お過ごしください。色々な気持ちが交錯してしまい、変なコメントになってしまいました。真夜中に、失礼しました。