ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

新刊のご案内「ベラルーシを知るための50章」

2017-09-25 | ベラルーシ文化
 明石書店からエリア・スタディーズというシリーズが出版されているのですが、その中にようやくベラルーシが仲間入りしました。
「ベラルーシを知るための50章」
 詳しくは明石書店のHPをご覧ください。こちらです。

 多くの日本人のベラルーシ関係者が分担して執筆しましたが、私も1章分担当しました。(^^)

 編者の方は、マイナーな国であるベラルーシがテーマの本なので、売れ行きに関しては苦戦しそう・・・とおっしゃっていましたが、逆にベラルーシの情報が日本語で読める書籍というのは少ないので、貴重だと私は思うんです。
 50章ごとにテーマがあるので、ベラルーシの興味のあるところだけ読んでみることもできるし、ベラルーシ入門書としてもいいと思います。

 ベラルーシへ来る日本人の多くの人たちが、
「ベラルーシのこと、よく知らない。」
と言うのですが、(それでも実際ベラルーシを訪問するだけましです。)どうしてかと言うと、
「日本語で書かれたベラルーシの情報がないから。」
と言われるのです。
「英語だったらネット上でたくさんありますよ。」
と私が言っても、
「英語は読めないし・・・」
というお答え。まあ、確かに国際語と言っても日本人がみんな英語をすらすら読めるわけではないから、気持ちはよく分かります。
 しかし、日本語で書かれたベラルーシ事情の本が出版されたわけですから、日本語で気軽に読めるようになりました。
 ・・・というわけで、このブログでもお知らせしておきます。

 






自殺率世界一ではなくなったベラルーシ

2017-05-21 | ベラルーシ文化
 先週末、このブログの人気記事1番が2010年の「自殺率世界一の国はベラルーシ!」だったので、どうしてだろうと思ったら、また最新の調査結果が発表されたからみたいです。

 これによると、ベラルーシは世界一の汚名を返上。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <自殺死亡率>日本はワースト6位 先進国の最悪レベル

◇厚労省が分析結果をまとめる

 厚生労働省は世界各国の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)を比較し、日本はワースト6位だとする分析結果をまとめた。先進国の最悪レベルで、特に女性は同3位と高い。今月下旬に閣議決定される「自殺対策白書」で公表される。

 自殺死亡率は統計の信頼性や更新頻度が国によって異なるため単純な比較が難しく、世界保健機関(WHO)が2014年に初めてまとめた「世界自殺リポート」でも順位付けはしていない。厚労省はWHOのデータベースを使い、13年以降の人口と自殺者数が把握できている中から上位国を抽出した。(以下略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ベラルーシは9位になりました。よかったです。この調子でもっと自殺率を減らしてほしい。

 人口10万人あたりでの自殺者数なのですが、2013年以降のデータだそうです。

1位 リトアニア 30.8人
2位 韓国 28.5人
3位 スリナム 24.2人
4位 スロベニア 20.5人
5位 ハンガリー 19.5人
6位 日本 19.5人
7位 ラトビア 19.2人
8位 ウクライナ 18.6人
9位 ベラルーシ 18.4人
10位 エストニア 18.3人

 2010年の調査ではベラルーシは35.1人で、1位だったのが、18.4人に減少! 9位です。

 それにしてもバルト三国が全部10位以内に入っているのがショック。三国とも旧ソ連で、今はEU加盟国なんですが。
 リトアニアは前回2位で、自殺率増えてしまってますね。

 やはりそれぞれの国の中にさまざまな社会問題があるのだろうな、と思います。
 日本が6位というのは、日本人なら理解できるのではないでしょうか。 

フランツィスク・スカルィナについて

2017-05-08 | ベラルーシ文化
 以前の投稿「スカルィナの詩も日本語になりました」でも少し書いたのですが、ベラルーシの偉人、フランツィスク・スカルィナについて、日本語で検索してもほとんどヒットしないので、このブログでご紹介することにしました。<私のつっこみ入り。(笑)>

 ベラルーシ人の偉人の中ではダントツ1位なのですが、びっくりするほどスカルィナに関する日本語の情報がないです。

 ちなみに、苗字の表記ですが、いろいろあります。ロシア語表記だとスコリナ。
 ここではベラルーシ語表記のスカルィナに統一しておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 フランツィスク・スカルィナがベラルーシの偉人になったのは、ベラルーシ語の聖書を翻訳、出版したからです。それが今からちょうど500年前。1517年のことです。
 ちなみにロシア語の聖書が出版されたのは、それから約50年後。

<だから、当時はロシアよりベラルーシのほうが「進んでいた」と、以前日本人に話したことがあります。そしたら、「へえええええーーーーー。」と驚かれたので、こっちもびっくりした。そんなに意外なの? 
 その日本人はフランス在住の人でしたが、ヨーロッパの地理とキリスト教の普及の歴史を考えれば、ベラルーシ語の聖書がロシア語の聖書より早い時期に完成した、というのは、当たり前だと私は思うのですが。
 どうも日本人の頭の中では、ロシアが文明国で、ベラルーシはロシアから文明とか文化をもらってばかり、という方向の矢印がイメージされているみたいですね。でも昔はロシアがヨーロッパの辺境国で「遅れていました」・・・が、これはロシア人があほだった、というわけではなく、地理的条件によるものです。今とちがって地表をじわじわ伝って文明とか技術とかが伝来してくるのだから、当然。>

 さて、スカルィナはどのような生涯を送っていたのでしょうか。

 生没年ははっきりしていませんが、生年は1490年ごろ、と考えられています。
 生まれた場所は現在のベラルーシの街、ポーロツク。ポーロツクは、当時はリトアニア大公国の街でしたが、分かりやすく言えば、もっと昔のベラルーシの首都。当時はとても栄えていた都市でした。理由は河のほとりにある町で帆船を使った貿易が盛んだったからです。つまり交通と商業の要所。
 日本で言うと大阪みたいなところです。ポーロツクには海はないですが、バルト海や黒海につながる貿易を行っていました。

 そこの裕福な商人ルカ・スカルィナの息子としてフランツィスクは生まれました。
 父親はかなりやり手の商売人だったらしく、ずる賢いこともやっていたようです。
 でも、父親がお金持ちだったことは、息子のフランツィスクにとっては大きなプラスでした。
 その当時のベラルーシはなんだかんだ言っても、金持ちの子どもに生まれないと教育が受けられなかったのです。平民は字も読めず、キリスト教はすでに入って来ていましたが、聖書を読めるベラルーシ人はほとんどいませんでした。

 ちなみにリトアニア大公国時代 <・・・とあえて言っておきます。これを「ベラルーシがリトアニア大公国に支配されていた時代」と日本語で紹介されているのをたびたび目にするのですが、そもそも支配される『ベラルーシ』という国が当時はありませんでしたので、支配できなかったはず。>、リトアニア人はリトアニア語で会話をし、ベラルーシ人はベラルーシ語で会話をしていました。要するに話し言葉ですね。
 しかし、リトアニア語の公用語、厳密に言うと公式文書の記録に使われる「書き言葉」は、ベラルーシ語でした。
 だからリトアニア人の貴族はベラルーシ語で文章を書いたり、読んだりできていたはず。

 それ以外にも中世ヨーロッパの国の貴族の一般教養であるラテン語を身分の高い方々は勉強していました。
 しかし身分の低いベラルーシ人はベラルーシ語の話し言葉で会話するだけで、書き言葉のほうは分かってなかったのです。
 そんな中、お金持ちの商人の息子に生まれたフランツィスクはポーロツクでラテン語を勉強できる恵まれた環境にありました。もちろんベラルーシ語の書き言葉もばっちり。

 頭がよくて向上心があり、実家がお金持ちのフランツィスクは、ポーランドの古都、クラクフの大学に入学。入学したのは、1504年。卒業したのは2年後の1506年。
<え、生まれたのは1490年とすると、14歳で大学入学、16歳で卒業?! 早すぎない? それとも天才なの? ・・・というわけで、スカルィナの生年は1480年代だと主張する歴史家もいます。>

 そこで、当時のヨーロッパの主要七科目を習得。卒業証書をもらいます。
 さらに5年間この大学の医学部で勉強。医師免許も取得。
 平行してイタリアのパドヴァ大学で試験を受けていました。これは何かと言うと、イタリアへ留学するのは大変なので、勉強はポーランドの大学でしておくけど、イタリアの大学の卒業試験を受けさせてほしい、卒論も書いておくし。で、イタリアの大学の卒業試験をパスしたら、イタリアの大学の卒業証書もください・・・ということだったそうです。

 そのころ、フランツィスクの父親は死去しており、リトアニア大公国の地方都市出身の息子が、イタリアのパドヴァまでてくてく試験を受けに行くのは、資金面で大変だったようです。
 しかも、イタリア人からすると、
「何か聞いたこともないような町の出身で、しかも貴族ではなく商人の息子で、貧乏そうなのが来た。」
と思われていたようです。
 一方、
「こんな遠くからわざわざ試験を受けにやって来るなんて、うちの大学もたいしたもんだ、有名大学っていう証拠だね。」
とも思われていたらしく、試験を受験する許可をスカルィナはもらっています。

 そして1512年、パドヴァ大学医学部の卒業試験に合格。通学はしていませんでしたが、イタリアの大学の卒業証書も取得。
 優秀な医者になることに決めたスカルィナに大学はベレー帽(当時はこれが医者の印だった。)そして、すごく大きい指輪(これも医者の印)を卒業証書とともに贈っています。
<だから、スカルィナの肖像画とか銅像を見ると必ずベレー帽かぶっているのね。>

 ちょうど卒業証書をもらったころ、リトアニア大公国の公子2人が法律を勉強するためにイタリアの大学へ留学に来ました。スカルィナは公子、つまり王子様兄弟とお近づきになることに成功。このつてで後に1520年代はリトアニア大公国のセレブ、つまり貴族のための薬剤師、そして秘書官も務めるという出世をスカルィナはします。

 でも、その前に1517年、<ということは、27歳?> スカルィナはベラルーシ語の聖書を出版します。
 あれ、医者になるはずがどうしたの? と思われますよね。
 どうしてなのか、と言うと、スカルィナは当時のベラルーシ人としては珍しく、高い教育を受けることに恵まれ、いろんな外国にも行って、さまざまなことを見ていました。
 特にイタリアに行った後は、自分の故郷を比べて愕然としたと思います。そのころイタリアではルネサンスの時代。ベラルーシ(と今呼ばれている地域)はキリスト教が入ってきていたものの、特に農村部ではまだまじないや呪術などが幅をきかせ、同時に魔女狩りなども行われていた「遅れていた」国、聖書が読めないから、キリスト教の教義などもよく理解できていない者も多く、もちろん文学なんてものも発達しない。こう言ったら何だけど、スカルィナの目から見ると身分の低い平民のベラルーシ人は「暗愚」「文盲」「開かれていない」というイメージ。
「早く目を覚ませー。賢くなってくれー。世界は広いんだー。」
とベラルーシ人に言いたくなったにちがいありません。
 あと、自分がせっかく外国で最先端の医療を学んで来ても、故郷の病人を科学的に治そうとしている横から、
「いや、おまじないで治すから、医者なんかいらん。」
と治療させてもらえない。そしてまじないが効かず、病人が死亡・・・という光景に何回も出会ったにちがいありません。
「こういう原始的な考えが平民の間にしみついているんだったら、自分が医者をする余地がない。基本的に間違ってるから、そこから改善しないと話にならん。」
と思ったことでしょう。

 そして、そのためにはどうしたらいいのか考えた結果、聖書を翻訳してたくさん印刷することを思いついた、というわけです。
「これで暗愚な平民の目も開くんじゃないかな。文明開化だ!」

 と言っても、当時のベラルーシには印刷所はもちろん、印刷技術そのものがなかったので、チェコのプラハの活版印刷所で、初のベラルーシ語の書籍を印刷することにしました。これは最初に活字になったキリル文字の本でもあります。
 スカリナは聖書の中でも、旧約聖書の詩篇をチェコ語からベラルーシ語に自ら翻訳して出版しましたが、これで、リトアニア大公国のリトアニア人貴族たちも読めるようになる、と思ってベラルーシ語に訳したわけです。

<厳密に言うと、現代で使われているベラルーシ語とは微妙にちがう古いスラブ教会語に訳しています。そして、元になったチェコ語の聖書は、チェコではなく、イタリアのベニスで出版されていました。何か複雑ですけど、チェコ語もできたスカルィナさん、コスモポリタンだったのね。>

 聖書って長いですからね、その後もいくつかの部分に分けて、スカルィナは聖書をベラルーシ語に訳して次々と出版。3年間で23種類に分けた聖書を作りますが、活版印刷なので、手書き写本とちがってたくさん印刷できるものの、完成品は馬車でチェコからリトアニア大公国へ運ぶので、大変だったようです。
 
 しかも、そのころのベラルーシは、ポーランドの支配下だった地域もあり、勢力を広げたいポーランド、つまりカトリック教徒で、ポーランド語人口を増やしたいと思っている人々から、
「ベラルーシ人はベラルーシ語なんかよりポーランド語の本でも読んでポーランド語を勉強しろ。」
あるいは
「ベラルーシ人は暗愚なままでいいんだ。そのほうがポーランド人が支配しやすい。」
と言われており、当然の事ながら、ベラルーシ語の聖書をベラルーシ人が読むようになるのは嫌がられていました。
 こんな状況下、国境を越えて、馬車でえっちらおっちらポーランドを通過してベラルーシ語の聖書をベラルーシへ(厳密にはリトアニア大公国へ)運ぼうとすると、ポーランドの関所で咎められ、せっかく印刷した聖書を没収、はては焼き捨てられることもありました。

 さて、スカルィナは出版した聖書に、自分が考案した太陽と月が重なったマーク(ブランドのロゴのようなもの。)を印刷しており、これが今でもベラルーシにおける、啓蒙活動、文明開化のシンボルマークになっています。
 どうしてこんなマークなのかと言うと、スカルィナが生まれたときに日食があったので、スカルィナは日食と言う現象に興味があったらしい。で、その頃日食があった年を計算したら、1490年に日食があったはずなので、生年が1490年説の理由になっているとか、いないとか聞いたことがありますが、実際には、太陽と月が合わさったマークは「人間の肉体的、精神的癒し」という意味があったので、スカルィナは採用したようです。
<でも、それでも「なんで太陽と月が人間の肉体的、精神的癒しの意味になるのか。」とつっこみを入れたくなりますが。>

 聖書にはたくさんの挿絵も入っており、かなり豪華な作り。やっぱりキリスト教を敬するため、そしてベラルーシ語の聖書だって立派なんですよ、と世の中に知らしめるためスカルィナさんは努力したようです。

 自分でも相当がんばったと思っていたのか、聖書の中に自分の肖像画まで印刷。
「私、フランツィスク・スカルィナ、ポーロツクの息子(出身)、専門は医者が古いスラブ語に旧約聖書の詩篇を訳しましたよ。」という有名な序文も挿入しています。
 そんなわけで、この聖書は「スカルィナの聖書」と呼ばれておいて、ベラルーシ人の間では別格扱い。オリジナルはベラルーシ国立図書館で厳重に保管されています。

 この聖書のおかげで、まずベラルーシ語で聖書を読む人が増えた、ベラルーシ地域におけるキリスト教の布教に役立っただけではなく、書き言葉としてのベラルーシ語の普及、発展にもつながりました。
 つまり、ベラルーシ人にとっては、スカルィナはお医者さん、ではなく、ベラルーシ語、というベラルーシ民族の文化のレベルを上げて、さらには宗教的にも文明的にもベラルーシ民族を啓蒙した偉大な人物、という位置づけです。

 ありがとう、スカルィナさん!
 一方で、当時書籍を出版するのは、ほとんど手作業でしたから、大変手間隙がかかり、本というものはコストがかかる物でした。
 自分のお金で聖書を印刷することができなかったスカルィナは、聖書出版のためにたくさんのスポンサーを見つけていました。
 その中にはリトアニア大公国の貴族も名を連ねていましたから、スカルィナがベラルーシ語の聖書を出版することにリトアニア大公国も意義を見出していたことになります。

 1920年には、チェコのプラハの印刷所で使われていた活版印刷機、その他もろもろの用具をリトアニア大公国の首都、ビリノ(今のビリニュス)に持ってきて、ついにリトアニア大公国初の印刷所を設立。
 このようにリトアニア大公国というと、リトアニア人の国、というイメージですが、実際には数多くのベラルーシ人が活躍、国家の繁栄に寄与していました。

 こうしてスカルィナは今度はリトアニア大公国で、聖書の翻訳と出版を続けつつ、薬剤師と秘書官の仕事をしていました。
 しかし1925年から次々とスポンサーが死去。
 スカルィナの出版作業はスピードが落ちていきます。

 ちなみに、スカルィナは、スポンサーの一人が死んだ後、その未亡人と結婚しています。
<そのとき35歳(?) 私の頭の中では、スポンサーつまりお金持ちが死亡 → その妻は多くの遺産を相続 → お金持ちの未亡人 → スカルィナ求婚 → 妻のおかげでスカルィナはお金持ちに → 逆玉の輿 → 「私、フランツィスク・スカルィナはうまくやりましたあ!」・・・という図が浮かんだのですが、うちの中学生の娘にこれを話すと
「中世の時代だよ・・・。夫が死ぬ前から、その奥さんとスカルィナは愛人関係だったんだって・・・。」
とどろどろなことを言っていました。敬虔なキリスト教信者で、黙々と聖書を訳してた人が不倫なんかするか?!>

 スカルィナの妻は、運悪く結婚して4年後に火事のため、幼い次男といっしょに死んでしまいます。
  
 そのころ、ドイツのプロイセン公アルブレヒトは、出版所をケーニヒスベルグ(今のカリーニングラード)に設立するため、スカルィナに協力を要請。スカルィナは単身、ドイツへ渡りました。

 ところが、スカルィナのお兄さん、イワンが借金を残したまま死亡。お金を貸していた人たちは、弟が代わりに借金を返せ、と迫ります。スカルィナは急いでビリニュス(リトアニア)に戻りますが、そのとき、どういうわけかプロイセン(ドイツ)でいっしょに働いていた印刷工と、(たぶん友だちになった)医者を連れて行きます。
 それを知ったプロイセン公アルブレヒトは激怒。「人泥棒!」というわけです。優秀な人材はいつの時代でも貴重。これが1530年前後の出来事。
<このあたり、ベラルーシの国語の教科書には載らないスカルィナの黒歴史。>

 さて、お兄さんの借金を代わりに返せと言われたスカルィナは、「それは私が払うものではない。」と拒否。お金を貸していた人たちは、リトアニア大公に直訴。スカルィナは牢に放り込まれます。<このあたりも教科書には載らない黒歴史。>
 結局兄のイワンの息子、ロマンがリトアニア大公に、
「父の借金は息子の私が返しますので、叔父さんを牢から出してください。」
と願い出たのが聞き入れられ、スカルィナは釈放されます。
<当時の法律では死んだ親の借金は家督を継いだ子どもが返すことになっていて、兄弟に返済義務はなかった。つまりスカルィナは悪くない。>

 1934年、スカルィナは自分が出版した書籍を持ってモスクワ大公国(正教の国)へ行きますが、この本はカトリックの教えが書かれているとされ、焼き捨てられてしまいます。
 ロシア人はロシア人でカトリック勢力が近づいてくるのを警戒していました。
 
 スカルィナはその翌年、最初の聖書を出版した思い出のプラハへ行きます。そこでチェコの国王に雇われ、宮廷付きの庭師となりました。そしてプラハ城の庭園で死ぬまでおよそ20年間働きました。

「歴史初のベラルーシ語の聖書を翻訳・出版した偉人が、庭師として異国で死ぬってどうよ?!」
と憤慨するベラルーシ人も私の周りにはいるけれど、実際には、単なる庭師ではなく、薬草を育てて、薬を作ったり実験したり、王様に薬を処方したりして、もともと医者だったスカルィナさんからすれば、理解あるチェコの国王のお膝元で研究三昧の楽しい生活を送っていたんじゃないかなあ、と私は思います。

 スカルィナの没年ははっきりしていませんが、1552年には死去していたことは間違いないようです。というのも、プラハで死んだ後、遺産を相続するようにと言われて、長男のシメオンが(おそらくリトアニアから)プラハにやってきて、相続税を支払った記録が残っているからです。それが1552年のこと。
 ちなみにシメオンは父の跡を継いで、医者になっています。

 推定年齢62歳で死去したスカルィナですが、埋葬されたのは故郷のベラルーシではなく、聖書を出版したチェコのプラハだったというのが、運命ですね。スカルィナの墓の場所は不明です。
 宮廷庭師の扱いで埋葬されていますし、息子はチェコに住んでいなかったはずなので、お墓の守りをする人がいないのですから、ベラルーシ人のスカルィナの墓はチェコの大地に戻ったのだと考えられます。

 生まれ故郷への思慕を歌った詩を書いていたスカルィナさんなので、かわいそうな感じもしますが、今ではベラルーシを代表する偉人。今年はスカルィナの聖書が印刷されてちょうど500年ということで、国をあげて祝っています。
 ベラルーシではベラルーシのために尽力した人に与える国家最高の勲章として、スカルィナ勲章というものが設定され、日本人の間で有名なところでは、医師で松本市長の菅谷昭さんが受賞しています。<日本語訳では「フランシスコ・スカリナー勲章」と表記されるみたいですが。> 
 ・・・というわけで、日本人のみなさんが「縁もゆかりも接点もないわ」と思っていたベラルーシの偉人、フランツィスク・スカルィナについて、今回日本語で知っていただければ・・・と思います。

 最後にスカルィナが残した言葉(ことわざ)を日本語に訳しておきます。
「人を落とそうとして落とし穴を掘るな。自分がそこへ落っこちる。」
<スカルィナの人生を振り返った後にこのことわざを読むと、含蓄あるように思えてきますね・・・。>

ノーベル賞作家アレクシエービッチが来日公演

2016-12-05 | ベラルーシ文化
 ベラルーシのノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチが来日しました。
 そのときの記念講演やインタビューについて調べましたので、ここでご紹介いたします。

「原発事故は新しい形の戦争だ」 ノーベル賞作家 アレクシエービッチさん 東大で講演

 「国は人命に全責任を負うことはしない」 アレクシエービッチさん、福島で思う

「チェルノブイリと同じ」=福島の印象、ノーベル賞作家語る-東京外大

ノーベル賞作家“被災”語り継ぐ大切さ訴え


リオ五輪の開会式のベラルーシ選手団の旗手は射撃のマルティノフ選手に決定

2016-07-12 | ベラルーシ文化
 来月始まるリオデジャネイロでのオリンピック。
 開会式、ベラルーシ選手団の旗手を務めるのは前回のロンドンオリンピックの金メダリスト、射撃のマルティノフ選手が選ばれました!
 今回もメダルの期待が高まるマルティノフ選手。がんばれー!
 残念ながらベラルーシの重量挙げの選手がドーピング疑惑で出場できなくなるという、暗いニュースもありますが、その他の競技でのベラルーシ選手の活躍を応援しましょう!

 アーチェリー選手のS夫ですが、ベラルーシのオリンピック(パラリンピック)委員会が事実上、パラリンピックにベラルーシからアーチェリー選手を送らないことに(今のところ)しているので、出場できません。
 しかし、健常者と同じ条件で試合に参加して、国内トップ選手になれば、オリンピックに出られます。
 ・・・と言うことで、S夫も健常者に混じって試合に参加しているのですが、なかなかオリンピックへの道は険しいですよ。
 (最下位であってもオリンピックに出場した、というだけで、全ての国の選手を尊敬するわ・・・)

 でも、アーチェリーは年を取ってもできるスポーツなので、気長にS夫には練習を続けてほしいです。
(今は射撃チームの応援をしよう。)

 
////////////////////////////////////

 追記です。
 このニュースをS夫に話しつつ「マルティノフ選手、またメダル取るかなあー。」などと言ったところ、S夫は「・・・。」の反応。
 そして、携帯からマルティノフ選手に電話・・・
 会話の後、S夫が私に言うには
「マルティノフは今回はトレーナーとして、リオに行く。」
 ええ? 選手じゃないけど旗手をするの? てっきり「旗手イコール選手」と思い込んでいた私はびっくり。
 ・・・と言うわけで、マルティノフ選手は今回は出場しません。
 しかし、引退したわけではないそうで、4年後再びオリンピックに出場するかもしれません。

 
 
  

体を盾に子どもを守った警官 ベラルーシ

2016-03-05 | ベラルーシ文化
 3月2日に起きた事故だそうです。

【映像】体を盾に子どもを守った警官 ベラルーシ
 ベラルーシ総務省は3日、北部ビテプスクで2日に発生した衝突事故の映像を公開した。
 事故は交通量の多い通りの横断歩道で発生。子どもの後ろを歩く警察官のセルゲイさんが車の危険を察し体を盾に子どもを衝突から守った。
 セルゲイさんは足を打撲。子どもにけがはなかった。

(ベラルーシ、ビテプスク 公開:3日 画像:Ministry of Internal Affairs of the Republic of Belarus/Storyful/アフロ)


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いやあ、すばらしい警官ですね。立派な人だから、こういう映像をベラルーシの政府機関が公開し、「大人のベラルーシ人は皆こうであるように。」と教えているようにも感じられます。
 しかし誰でもとっさにこんな判断と行動ができるかどうか・・・

 ベラルーシのニュースによると時刻は薄暗くなってきた夕方5時過ぎ、男の子は小学6年生。警官と子供はもちろん親子ではありません。
 轢きそうになった車は事故の直前まで路面電車の線路上を走行しており、それだけでも完全に違反。
 50代男性の運転手は、このときどこへ行こうとしていたか思い出せないと話しており、大丈夫?(飲酒運転? 体調不良? 薬物かなんか?)と不可解です。

 でも子どもは無事で警官のほうも左膝を打撲と言いながら、すぐ立ち上がっていて全然大したことなさそうです。積もっていた雪もクッションになっていたようですね。
 よかったー!
 こういう人のことを本物の男前ベラルーシ男子っていうんですね!



(追記)
 S夫に聞いたら路面電車の線路の上を車が走行するのは違反ではないそうです。
(@0@;)
 路面電車のじゃまにならなければいいらしい・・・
 このようすを録画していた車両が邪魔で、通行人に気がつかなかったという意見もありますが、横断歩道のところで、線路から道路に降りていこうとするのも変ですよね。、
 上記のような不可解な運転手もいるので、「路面電車の邪魔にならなければいい」という条件は危険だなあ、と思いました。 

  

2月16日は二コライ大主教の日

2016-02-16 | ベラルーシ文化
 あまりベラルーシとは直接深い関係にあるのではないのですが二コライ大主教とその名を冠したベラルーシにある教会についてご紹介します。

 二コライ大主教って誰? と言う方はこちらをご覧ください。
 東京にある二コライ堂を創った人、と言ったら日本人にも分かりやすいかもしれませんね。

 二コライ大主教はロシア人で、生まれたところは今のベラルーシに程近いところですが、ベラルーシ人ではないし、ベラルーシ出身と言うわけではありません。

 ちなみに二コライ大主教と新島襄のこと、イオシフ・ゴシケーヴィチとの交流についてはこちらをご覧ください。

 二コライ大主教は正教の聖人ですが、モスクワにその名を冠した教会があります。
 そして、二コライ大主教とあまり縁がなさそうに思われるベラルーシにもあるのです。

 このミンスクにある聖二コライ・ヤポンスキー教会は、2011年3月東日本大震災発生後、すぐに犠牲者のための追悼ミサを行いました。詳しくはこちら

 現在この教会は別の場所に移転しました。
 公式サイトをご覧ください。小さな木造の教会で、中には二コライ大主教のイコンがあります。
 ベラルーシに二コライ大主教の名を持つ教会ができたのは、前々から日本文化に造詣のあったパーヴェル神父のおかげです。

 そして毎年2月16日は二コライ大主教の日なので、特別なミサが行われるのですが、それに行こう行こうと毎年思いながら、行けなかったのが今年ようやく行くことができました。

 この小さい教会の中にも外にもあふれかえるほどの信者さん。
 二コライ大主教がベラルーシでも強い信仰の対象になっていることがよく分かりました。
 ミサにはベラルーシ総主教もおられたので、正教徒のはしくれである私はちょっと緊張しました。

 でも教会の中には日本語で「ハリストス復活」と書かれていたり、正教の教会なのですが、ベラルーシの中にある日本文化に触れられる場所ということで、貴重な場所だと感じました。

 パーヴェル神父からは今後も日本文化情報センターと協力関係を築いていきたいというありがたいお言葉をいただきました。
 今後ともいろいろ模索していこうと思っています。
 また改めてご報告しますね。 

ノーベル賞授賞式

2015-12-10 | ベラルーシ文化

 12月10日のノベール賞授賞式、感動的でした。
 日本人2人が受賞したのももちろんうれしいですが、壇上にベラルーシ人女性がいるというのが、歴史的瞬間でしたね。
 こちらのニュースサイトをご紹介します。
 アレクシエービッチ、うれしそうですね。梶田さんもいますよ。(^^)

ハーフはロシア語で何ていうのか調べてみた

2015-11-19 | ベラルーシ文化
 前回の投稿記事でいわゆる混血の人のことをハーフ(半分)と呼ぶのはちょっと・・・別な表現ないですかね? といったことを書きました。

 ちなみに英語では I’m half japanese and half american. というように、半分日本人で半分アメリカ人です、と両方言うのが正しいそうです。
 50%足す50%で、100%になる表現だから、ハーフであってもいいと思います。
 日本人が言うところのハーフは「半分は日本人として認める」というニュアンスがあるので、あまり好きではないです。

 その後そういやロシア語ではどういうのか、少々気になりました。

 ロシア語で混血児のことを ребёнок смешанного происхождения と言うそうです。
 長いよ! こんな言葉使ったことないです。
 ちなみに混血児が成長して大人になると、ребёнок の部分を человек に変えないといけない。めんどうくさー

 和露辞書によっては混血の人のことを метис と訳しましょう、としているのもあるのですが、これは厳密に言うと正しくありません。

 метис(メティース)というのはメスチソのことで、混血であってもヨーロッパ人とインディオ(ラテンアメリカの先住民)のことを指します。
 しかもロシア語のメティースには犬などの動物の「雑種」の意味もあります。
 そしてロシア語に名詞に性があるので、ヨーロッパ人とインディオの混血の人でも女性だったら、メスティスカ と呼ばれます。めんどうくさー

 日本人とウクライナ人の混血はこれに当てはまらないので、うちの子はメスティスカではありません。

 さらにヨーロッパ人とアフリカ人の間に生まれた混血の人は、男性だと、мулат ムラート、女性だとムラートカと呼ばれます。

 ついでですが、インディオとアフリカ人の間に生まれた人は、самбо サンボとロシア語で言うのですが、ロシアにはこのタイプの混血の人は非常に珍しいので、言葉としてほとんど浸透していません。ロシア人にとって、самбоとは柔道に似たスポーツの名称です。

 しかしロシア語の場合混血の種類によって、混血児と言っても全部名称が違ってくるんですね。
 
 ここで知りたいのは、ヨーロッパ人とアジア人の混血の場合は何ていうのかです。
 私の夫も友人も「・・・知らない。」「そういうタイプの混血は少ないから、名称がない。」という答えばかり。

 そうか、ちょうど当てはまる言葉がないんだ。
 ・・・と思って長年あきらめていたのですが、私は見つけましたよ!
 
 ヨーロッパ人とアジア人との混血の人はロシア語で евразиат エヴラジアート と言うのです!
 女性だと エヴラジアートカ ですね。

 ロシア語の евро は日本語でユーロと訳すので、евразиат もユーラジアート と訳してもいいですね。そのほうが発音しやすい。

 この言葉、お気づきになった方もいるでしょうが、ユーラシア大陸人という意味があるのです。
 ヨーロッパ大陸プラスアジア大陸、というニュアンスです。

 ヨーロッパ人とアジア人との混血の人にとってはぴったりではないですか? 

 ハーフ(半分)というより、ユーラジアートカ、というほうが、何だかイメージが広々してますよ。

 決めた。今日からうちの子のことは、ハーフとか混血とか言うのをやめて、「ユーラジアートカです。」と言うようにしよう!

 ・・・と思ったのですが・・・言葉が持ついい面は、それでコミュニケーションが取れること、そして悪い面はその言葉が広く浸透していないとコミュニケーションに使えない、ということです。

 ちゃんとロシア語にエヴラジアートという言葉があるのに、私の周囲のベラルーシ人(夫も含む)は知らないし・・・ サンボのように浸透していない言葉なんですね・・・
 とほほー

 「うちの子はエヴラジアートカです!」と言ってもベラルーシ人からは「はあ?」という反応しか返ってこないのか・・・

 いや、あきらめないぞ! これからこの言葉を広めるのだ! 

 がんばります!

 日本でもハーフはやめてこれでいいんじゃないですか?
 え、ユーラジアートカというロシア語は舌かみそう?

 だったら、もっと簡単にユーラシアンでいいのでは?

 ベッキーもユーラシアンタレント。
 滝沢カレンもユーラシアンモデル。
 滝川クリステルもユーラシアン女子アナ。

 このほうがハーフよりイメージがいいと思いません?
 
 でも「それじゃあ、アジア系とアフリカ系のハーフの場合はどういうのか?」と言われそうなので考えてみました。
 分かりやすく「アジアフリカン」でどうでしょうか?

 同じ発想で、(日本では少数派だし「ムラート」のままでいいと言う人もいるでしょうが)ヨーロッパ系とアフリカ系の混血は「ユーラフリカン」。

 もっと細かく言えば、アジア系とアラブ系の混血は「アジアラビアン」。
 アジア系とアメリカ系との混血は「アメラジアン」。

 それじゃあ、日本人と中国人といったアジア人同士の混血の場合はどうするのか?
 「アジアジアン」・・・だと変ですかね。
 この場合は「ダブルアジアン」でもいいかも・・・

 こんなの細かすぎる、めんどうくさい、簡単にハーフに代わる名称はないのか? という意見に対しては、ミックスでいいかな・・・と思います。
(でもミックスは料理の名称みたいでいやだ、という場合には「ミックスド(Mixed)」にして差別化を図るほうがいいかもしれません。 英語で「私は混血です」というのは「I'm mixed.」になるので。)

 勝手に1人でいろいろ考えてみましたが、当事者の意見が優先されますよ。
 
 それでうちの子との会話
「ねえ、Yちゃん、ハーフって言われるのと、ミックスって言われるのと、ダブルって言われるのと、エヴラジアートカって言われるのと、ユーラシアンって言われるのとどれが一番いい?」
「はあー? ・・・私Yちゃんっていう名前があるから、Yちゃんって呼ばれるのが一番いい。」

 ・・・。

 ともかくですね、上記のようにあれこれ考えましたが、結局細かく分けるのもいつか限界が来ますよ。
 混血の人同士が結婚するばあい、1人の子どもの中にいろんな民族の血が混ざるから、どこのパターンにも当てはまらないという人が絶対出てくるでしょう。
 クオーター同士の人が結婚して生まれた子どもは何ていうのか? (八分の一?)
 
 こうして考えると、現代社会では今後はハーフ(半分)とか言ってられないぐらい、混血の人の数が増えて、ますます複雑化してゆき、1000年も経てば100%純血の人のほうが数の上で少なくなる可能性が高いです。
 そうすると混血という言葉とか差別とか、「ハーフはやっぱりキレイだよねー。」という考えもなくなっていくでしょう。

 これが私が出した結論です。

 しかし今のベラルーシ社会を生きる私としては、うちの子はユーラシアンという名称を広めたいと思います。(一人勝手に・・・)(^^;)

 

ベラルーシ軍人のスキル

2015-11-02 | ベラルーシ文化
 この前の記事で、「ベラルーシが美女の国だったら、美人の母から美男もたくさん生まれていておかしくないのに、なんでベラルーシは美男美女の国とは言われないのか?」とか次回はベラルーシ美男も見つけてほしい、とかめちゃくちゃなことを書き込みました。

 美男かどうかまでは分かりませんが、とにかくすごいベラルーシ男性をこちらのサイトでご覧ください。
 「イッテQ」でも少し紹介されてましたが、ベラルーシ軍のパフォーマンスがすごいということで、そのつながりで見ていただければ・・・
 
 こういうサイトもあります。

 ベラルーシに長く住んでいる私からすると、フツーに感じられるのですが。(^^;)
 だんなもこれを見て「こんなのフツー。」と軽く言ってました。(←アンタはできるのか?)

 だんなが言うにはベラルーシ軍人は自分が強いということをときどきアピールしないといけない。
 それを見た国民は「ベラルーシ軍すごい。強い。これなら戦争が起こっても、ベラルーシは勝てる。」と安心する・・だからたまには「すごいこと」を考案してわざわざやって見せるのだそうです。

 いやあ、頼りがいがありますね。こうなったら、もう美男かどうかなんてどうでもいいや。と思いました。(^^;)
 
 ちなみに上記サイトで「また徴兵制が敷かれているので全ての青年が軍への入隊を余技なくされる。」とありますが、間違いです。
 さまざまな理由から兵役免除になる人も多くいます。
 だからベラルーシ人男性イコール全員100%徴兵されていると思わないでください。もちろん「曲芸」も全員はできません。

 頼りがいと関係あるか分かりませんが、ベラルーシが無職の国民に罰金を課しているというのは本当です。
 
 
  

 

「世界の果てまでイッテQ」でベラルーシが登場する予定 (追記あります)

2015-11-01 | ベラルーシ文化
11月1日放送のテレビ番組「世界の果てまでイッテQ」でベラルーシが登場するそうです。
珍獣ハンターイモトのコーナーなので、たぶんズーブル(ヨーロッパバイソン)が出てくるのでしょう。
 で、それだけではなくベラルーシのことを紹介するVTRではイモトさんが「ベラルーシといえば・・・」じゃがいも、あるいは美女ということで、ドラニキを食べたり、モデルといっしょにキャットウォークをしたりする・・・というのが私の予想ですね。


 ベラルーシに住む日本人親子の会話
娘「私ベラルーシにイモトが来るわけないって言ってたけど、ついにイッテQに出るね。」
母「よかったね、ついにイモトがベラルーシへ来るなんて。(涙ぐむ) あいのりのラブワゴンもベラルーシには来なかったのに。」
娘「ベラルーシなんてど田舎で何もないから誰も来ないんだもん。」
母「ミンスクはそんなど田舎じゃないです。」
娘「でも5SOSのワールドツアーはミンスクに来ないじゃん。」
母「ベラルーシより大国のロシアやポーランドにもワールドツアー来ないでしょ。」
娘「でもCDも売ってないしさー。ベラルーシほんとだめ。」

 5SOSが何なのか知らない方、そして知りたいという方は適当に検索してください。(^^;)

 ベラルーシ人も中学生になると「ベラルーシは『底』」などといって、母国を卑下しています。そんなことないと思うんだけど。底というのは「最下位」とか「何もない」とか「ど田舎」という意味です。

 ちなみにうちの娘の友達(女子中学生。もちろんベラルーシ人)はラッスンゴレライの練習をしており、うちの娘が日本語の歌詞を教えている・・・
 いつかこの2人がサングラスをかけて踊ってくれる日を母は待っているのだよ・・・
 ベラルーシにもラッスンゴレライが知られているんだから、「底」ではないでしょう。
 話はずれましたが、イッテQ(読売テレビ)で「ある意味まともな」ベラルーシの紹介がされるといいですね。

・・・・・・・・・・・・

 以下は11月1日の追記です。
 番組見ましたが、珍獣ハンターなのに、ズーブル出てこなかったですね。
 イモトさんが「でけー! でかいよ、この牛!」と叫ぶところを見たかったのに、残念。

 個人的にはわら人形(と訳すと日本人は「あの丑三つ時に釘さす・・・あれ?」と思われるかもしれませんので、私は「わら製人形」といつも訳しているんだけど。)が紹介されていたのがうれしかったです。
 わら人形より、亜麻人形のほうがよりベラルーシらしくてさらによかったかも。

 あとやっぱり「ベラルーシといえば美女ですよ。」と言ってましたが、ウクライナに行ったときも「ウクライナといえば美女ですよ。」と言っていましたね。美女の国って世界でいくつあるの?
 ちなみにテレビに出ていたのはモデルとか、きれいな人を選んで撮影してるので、ベラルーシ人女性イコール100%全員美人と思い込まないでください。大丈夫、足が短い人もいますよ。(^^;)
 日本人はあまり卑下しないほうがいいです。うちのだんなみたいに、美人の国に住んでおきながら、日本人と結婚した人もいることだし。(^^;)

 話は変わるけど、どうして美女の国と言われている国は同時に美男の国にならないの?
 だって、美人だらけの民族ということは、美人から生まれる男の子は美男になると思うのだが・・・
 一度も「ベラルーシって美男美女の国ですよね。」と言われたことがありません。
 どうして?
「ウクライナって美男美女の国ですよね。」というのも聞いたことない。美人はたくさんいるけど、そこから生まれる息子は美男にはならないってこと?
 美女はたくさんいるけど美男はいないっておかしくない?
 
 それと今回はベラルーシはスラブ系やアラブ系とかいろんな民族の混血が多いから美人が多いと説明してたけど、別の日本の番組では純血ベラルーシ人が生き残っているので美人が多いと説明していました。
 どっちが正しいの?
 それからアラブ系の血が混ざっていたら、肌が白いロシア人、つまり白ロシア(ベラルーシ)にはならないと思うんですが。

 それからベラルーシでは「美人は国の宝で許可なく出国禁止」と番組内で紹介されていましたが、国の宝って言っても国宝じゃないですよ。(^^;)
 出国禁止と言うのは美人だから外に出したくないというのではなく、以前人身売買がベラルーシで問題になったからです。
 つまり外国でモデルなどの仕事をしませんか?という誘いを受けて、外国へ行ったら本当は人身売買で・・・という事例が発生し、最悪なときは1年間に数百人のベラルーシ女性が被害に遭っていました。
 これを防ぐために若い女性が外国へ仕事で行くときは、「本当にその仕事大丈夫? ちゃんと確認してください。」とストップをかけられるようになり、すんなり外国へ仕事に行けなくなったのです。
 別に「美人」でなくても「若い独身女性」はこの法律の対象になります。

 女性に限らず、男性でも人身売買の対象になることがあり、(外国の建設現場で強制労働をさせられる、というパターンが多い。)ベラルーシ政府は「その外国への出稼ぎ、本当に大丈夫? 相談窓口はこちら。」という受付窓口まで設置しています。

 注意喚起を促すテレビCMも作り、国営放送で流すときも。さらに幸い帰国できた被害者のための専門カウンセラー機関もあって、心のケアを行っています。
 こんな状況なので「許可なく出国禁止」なのです。

 とにかくイモトさんが「ドラニキおいしい!」と言ったり、かわいい民族衣装を着て踊りをがんばったりと、めったにベラルーシが日本のテレビ番組でチェルノブイリ以外で取り上げられることはないのですが、近年私が見た中では一番いい内容の番組だったのではないでしょうか。(^^)

 今回イモトさんが取材したかったけどできなかったという「電球でギターを弾くおばあさん」はYouTubeで見ることができます。ただこのおばあさんがマスコミに取り上げられたのは2009年で6年前。しかもゴメリの路上で弾いているので、イモトさんが取材できなかったのは当然ですよね。  

 次回はズーブルとベラルーシ美男を見つけ出して放映してください。(^^;)
 

マクシム・バフダノヴィチ記念館での短歌の夕べ

2015-10-23 | ベラルーシ文化

 10月23日マクシム・バフダノヴィチ記念館で行われた「短歌の夕べ」に参加しました。

 記念館のサイトはこちら
 画像もこのサイトからの引用です。
 すごく和風のデザインにしていますねえ。記念館の人がんばっていますよ。
 ここで私は3年前に翻訳したバフダノヴィチの短歌4首の日本語訳を朗読しました。
 この4首の短歌の日本語訳についてはこちらで読むことができます。
 
 私のほかにもベラルーシの詩人で「短歌」や「俳句」をベラルーシ語で書いている方々が登場し、自作を朗読しました。
 年代はさまざま。くすっと笑える作品や「スマートフォン」という言葉が出てくる短歌などいろんな作品がありました。

 1人の詩人の方は「俳句はミニマリズム」と表現。そして「本当の俳句は日本人にしか書けない。」と持論を発言。
 私はそんなことないと思うけど・・・と思いましたが。
 確かに外国語で5・7・5・・・で字数をそろえた詩を作るのは不可能なのですが、日本文化である俳句や短歌とベラルーシ語の融合という文学的な実験をするのは意味があると思います。
 新しい形の文学がそこから生まれるかもしれないし・・・と思いました。

 でも日本の文化にベラルーシ文学者が関心を持ち続けてくれているのはうれしいことですね。


 


アレクシエービッチの作品をベラルーシの高校生が勉強することになりました

2015-10-16 | ベラルーシ文化
 ノーベル文学賞をスベトラーナ・アレクシエービッチが受賞したことを受けて、ベラルーシでは10年生と11年生(日本高校の1年生と2年生に当たります。)の国語(厳密には「ロシア文学」)の教科書で取り上げられることにベラルーシ教育省が発表しました。

 「チェルノブイリの祈り」と「アフガン帰還兵の証言」の2作品ですが、教育省は彼女の作品の内容は重いので、小学生(1年生から4年生まで)には勧められないとしています。
 ちなみにアレクシエービッチの作品は以前にもベラルーシの教科書に載っていましたが、2000年代初めに教科書から姿を消して学習要綱の対象にはならないままでした。
 やっぱりノーベル賞ってすごいですね。がらっと状況が変わりましたね。書店でも飛ぶように売れているそうです。日本と同じくベラルーシでも本離れ、読書離れが進んでいるのですが、これも変わるかもしれません。

 自分の国が輩出したノーベル賞作家の作品を読んだことがないというのは、ちょっと恥ずかしいことかも・・・10年生と11年生は義務教育ではありませんが、これからのベラルーシ人の常識は「アレクシエービッチを読んだことがある」かもしれません。
 

祝!!! ベラルーシの作家アレクシエービッチがノーベル賞受賞!

2015-10-08 | ベラルーシ文化
 ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチがノーベル文学賞を受賞しました!!!
 感涙。

 毎年「村上春樹が受賞したら翌日からうちの図書館で村上春樹展やろう・・・」と一応準備しているんですが、今年アレクシービッチが受賞しましたよ!
 明日から日本文化情報センターで、アレクシエービッチ展始めます!

 先月このブログ上で「12歳で大学に入学」でも少し書いたのですが、ベラルーシは独立して時間が経っていないこともあり、ベラルーシ人で、ベラルーシ在住でノーベル賞を受賞した人はいなかったのです。

 「母国とその文化への賞」=アレクシエービッチさんが喜び―ノーベル文学賞

 いやあ、うれしいですねえ。
 受賞理由は「我々の時代における苦しみと勇気の記念碑と言える多声的な叙述に対して」だそうです。なるほどねえ。
 アレクシエービッチも、「私ではなく、私たちの文化、歴史を通して苦しんできた私たちの小さな国への授賞だ」とコメント。うれしい。
 でもしかし、アレクシエービッチは「ソ連社会の裏側」を表に出した人だと私は思うんですよ。それはやはり普通なかなかできないことです。

 HP「ベラルーシの部屋」内のスベトラーナ・アレクシエービッチのページはこちらです。

 毎日新聞の記事はこちら
 この記事の最後にいろいろ書いてありますが、アレクシエービッチの著作は、うちのミンスク市立児童図書館の貸し出しコーナーに開架で置いてあり、自由に貸し出しされています。
 日本語訳が読みたい方は日本文化情報センターへ。(^^)

 ベラルーシの出版社もアレクシエービッチの全作品の重刷を決定しました。
 もちろんベラルーシ女性として初のノーベル賞受賞です。
 厳密に言うと、アレクシエービッチの母親はウクライナ人、父親はベラルーシ人ですね。生まれたところは今のウクライナですが、ベラルーシの作家という認識です。
 
 私の頭の中ではソ連の裏側をひっくり返して見せたジャーナリスト(彼女の作品は純粋な文学ではなく、文学とジャーナリズムの間にあるものだと思います。)なので、ノーベル文学賞受賞は実は厳しいのでは? と思っていました。

 しかし予想は外れましたね。
 ある意味、ソ連は大国だったけど、たくさんある世界の国の1つなのです。
 そうであるにも関わらず、翻訳されたものを読んで多くの非ソ連の人が共感したのが、今回のノーベル賞受賞につながったと思うんです。
 ソ連社会なんて聞くと「特殊な社会なんだろ。」と思う非ソ連人(日本人)も多いでしょうが、どうしてアレクシエービッチの作品が人種を越えて、世界的な文学として認められたのか・・・ここに大事な鍵が隠されていると思います。 

  

  
   
 

広報ビデオ「ベラルーシの1日」

2015-09-26 | ベラルーシ文化
 「ああん? ベラルーシ? それどこ? 全然イメージわかない。」
という日本人(でなくともベラルーシのことは知らないという外国人)のためにベラルーシ外務省が制作したビデオ作品をご紹介します。
 その名も「BELARUS. One day in life 」
 
 大体ですね、日本人でなくても「ベラルーシ? どこそれ?」という人は世界中にいますよ。
 さらにベラルーシ人もそれを分かっていて「どうせ知らんよね・・・ベラルーシのことなんか・・・」といじけております。
 そのほか「外国人はベラルーシって言うと、何にもない田舎で首都ミンスクの真ん中を熊がうろついてると思ってる・・・! ひどい!!!」と主張するベラルーシ人もいます。(^^;)

 これじゃいかんと思ったのか、ベラルーシ外務省ががんばって作ったベラルーシ広報ビデオをご紹介します。
 2011年度版と2012年度版があります。

2011年度版はこちら。約3分

2012年度版はこちら。約4分

 内容はほとんど同じです。
 でも1分でも長い分だけ情報量が多いので、2012年度版のほうがお勧めです。
 2011年度版はミンスクが中心に編集されていますが、2012年度版は地方の都市も紹介されているし、「ベラルーシ人が考えるところのベラルーシ美人」がこっち向いて微笑んでくれますし。(^^;)
 
 この作品を最初に見たときはびっくりしましたよ。あまりの美しさに。
 今でも「いやあ、きれいだなあ。この国に今私住んでるのか。ひょえー。」と思います。
(You Tube で公開されているものは画質がいまいちですが。)

 広報ビデオですから、日本で言うと「富士山に桜をバックに『Yokoso!Japan』と出てくる」感じのビデオと同じで、当然きれいなところしか見せていません。

 また「外国人が見たいベラルーシ」と「ベラルーシ人が外国人に見せたいベラルーシ」と「ベラルーシに住んでいる外国人が見せたいベラルーシ」は微妙に違うことがよく分かりました。

 このビデオはもちろん「ベラルーシ人が外国人に見せたいベラルーシ」です。(例。雪景色は一切出てこないところがミソ。)(^^;)
 そこのところを念頭に置いてご覧ください。

 ともかく「ベラルーシ? 全然イメージわかん。」「何があるの?」という人向けの内容です。

 これを見て「ひょえーベラルーシってきれいなところなんだなあ。行ってみたい!」と思って実際行ってみたら、きれいじゃないところもあった・・・としてもベラルーシ外務省は責任を負いません。(^^;)