ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

作業員1人肺から2万2千ベクレル 国内最悪の内部被曝

2017-06-07 | 放射能関連情報
作業員5人に放射性物質付着 茨城の原子力機構施設」というニュースの続報です。2017年6月7日付。
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作業員1人肺から2万2千ベクレル 国内最悪の内部被曝

茨城県大洗町の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで、ウランとプルトニウムが入った保管容器から放射性物質が漏れて作業員5人が被曝(ひばく)した事故で、原子力機構は7日、このうちの1人で50代の男性職員の肺から、2万2千ベクレルのプルトニウムが検出されたと発表した。暫定で1年間に1・2シーベルト、50年で12シーベルトの内部被曝をする値で、過去にこれほどの内部被曝をした例は、国内ではないという。原子力機構は「急性の放射線障害が出るほどではない」としている。

【写真】日本原子力研究開発機構・大洗研究開発センターの燃料研究棟=6日午後6時40分、茨城県大洗町、朝日新聞社ヘリから、迫和義撮影

 原子力機構によると、残る4人からはプルトニウムは検出されなかったが、この男性を含む3人から最大220ベクレルのアメリシウムも検出された。5人は体内に入った放射性物質の排出を促す薬剤を注射する処置を受け、7日午前に千葉県の放射線医学総合研究所に搬送された。

 事故が起きたのは、高速炉の新型燃料などを研究開発していた燃料研究棟の分析室。保管状況を調べるため金属容器のフタを開けたところ、中のビニールが破れて放射性物質が飛散した。5人はいずれも口や鼻をマスクで覆っていたが、3人の鼻腔(びくう)内から最大で24ベクレルの放射性物質が確認されていた。

 原子力機構によると、この作業でビニールが破れることを想定していなかったため、作業は密封した状態ではなく、一部が開いた作業用の箱の中で行っていた。

 原子力規制委員会の伴信彦委員は7日の定例会で「2万2千ベクレルの検出は半端な状況ではない。命に関わることはないだろうが、軽微なものではない。作業の状況が適切だったか確認する必要がある」と問題視した。


     
 被曝医療に詳しい、国際医療福祉大クリニックの鈴木元院長は「2万2千ベクレルは量としては多い。肺に入ったプルトニウムは、1週間から10日かけて化学薬品を霧状にして吸入させたり、点滴したりして排出させる。その後、体内に残っている量を調べて健康への影響のリスクを判断しなければならない」と話す。


     
 〈立命館大の安斉育郎名誉教授(放射線防護学)の話〉 2万2千ベクレルはびっくりするほど高い値ではないが、プルトニウムが発するアルファ線はベータ線やガンマ線より生物学的に危険度が高い。アルファ線が通った周囲の細胞は破壊され、局所的な被曝(ひばく)を与える恐れがある。細胞への影響をみるために、肺の中のどこにどのように分布しているか、濃度や粒子の大きさはどのくらいなのかといったことを詳しく調べ、リスク評価を急ぐ必要がある。
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朝日新聞社

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 チロ基金の活動としては体重1キロ当たり20ベクレル以上の内部被曝をしている未青年には、放射能を体外に排出させるためにペクチンサプリを飲みましょう、と支援活動をしています。
 この作業員の方の場合、肺だけで、2万2千ベクレルの被曝をしているということですよね。 今はご本人は体調不良を訴えていなくても、後にガンになるリスクは増えたわけです。確かに「急性の放射線障害が出るほどではない」・・・ですけどね・・・。
 
 でもちゃんと放射能の排出を促す薬剤をすぐ投与されていたので、よかったです。
 一方で2万2千ベクレルは大きい数字なので、しばらく時間をかけて、薬剤の投与を続けてほしいです。(この場合ペクチンの投与などのんびりしている場合ではないので。)

 内部被曝の測定もきちんとしてあげてください。
 それにして、やっぱりマスクをしていても、肺にまで放射性物質が到達してしまうんですね・・・。
 

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同日の続報です。


作業員全員の肺からプルトニウム検出 原子力機構が発表  



茨城県の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで放射性物質が飛散し、作業員5人が被曝(ひばく)した事故で、原子力機構は7日、5人全員の肺からプルトニウムが検出されたと発表した。

 原子力機構によると、2万2千ベクレルが検出された50代の男性職員以外の4人からも、最大で1万4千ベクレル、6千ベクレル、5600ベクレル、2200ベクレルのプルトニウム239が検出された。アメリシウム241も5人から7・1~220ベクレル検出された。

 5人は千葉県の放射線医学総合研究所に搬送されており、体内に入った放射性物質の排出を促す処置を受けている。
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朝日新聞社

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 結局5人全員の被曝が認められたということですね。
 とにかくちょっとでも早く、体内の放射性物質を排出させてください。
 それと、放射能は粘膜に影響を与えやすいので、目も検査してほしいです。鼻と口はマスクで保護していたみたいなのですが、目は? と思いました。
 
 そして、被曝のほうに関心が移っていますが、そもそもこの事故が起きたのは、容器の異常が見つかったために点検作業をしていたからです。
 その異常そのものについての報道がないですね。どうしてなのでしょう。
 
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 子のニュースの続報はこちら

作業員5人に放射性物質付着 茨城の原子力機構施設

2017-06-06 | 放射能関連情報
2017年6月6日のニュースです。

作業員5人に放射性物質付着 茨城の原子力機構施設

日本原子力研究開発機構によると、6日午前、茨城県大洗町の大洗研究開発センター燃料研究棟で、核燃料保管容器の点検中に異常が発生し、作業に当たっていた5人の服などに放射性物質が付着した。

 機構が作業員の被曝(ひばく)状況を調べているが、5人のうち3人は鼻から放射性物質を吸い込んだ形跡があったという。外部への影響はないとしている。

 機構は同日午後7時から詳細について説明するとしている。

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 このような事故が起きた場合に備えて、このような施設では、プルシアンブルーなど、放射能を体外に排出させる促進剤が常備してるはず。・・・と願っているのですが、実際はどうなのでしょう?
 
 ただプルシアンブルーはセシウムには有効だと思いますが、(それでも全部取りきれるとは限らない。)上記ニュースで報じられている放射性物質はウランかプルトニウムかもしれません。 
 でも作業員の急性被爆に備えて、何か対応策を考えて準備していたはずです。
 それが迅速に上手くいけば、放射性物質を吸い込んだとしても、健康被害は出ない、と願いたいです。

 このブログ上で繰り返しお伝えしているペクチンはこういう急性被爆の対応策としては、優先して使ってもあまり効果がないでしょう。
 ともかくこの5人の作業員の方が被爆していないことを祈ります。
 東海村JCO臨界事故は文字通り悲惨だったと思います。

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 この事故の続報はこちら
 

ニュース 浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

2017-05-01 | 放射能関連情報
浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

日本テレビ系(NNN) 4/30(日) 17:15配信
 福島第一原発の事故で人が立ち入れない福島県浪江町の山林で火災が発生し、自衛隊などが消火活動にあたっている。

 山林火災が発生したのは、浪江町の十万山。福島第一原発の事故で帰還困難区域に指定される場所で、29日午後に町の防犯見守り隊から通報があった。

 防災ヘリなどが出動して消火活動にあたり、一時、鎮圧状態となったが、強風にあおられて再び燃え広がった。福島県によるとこの火災でけが人はいないが、既に山林の7万平方メートル以上が延焼したという。

 現場は原発事故後、長期間、人が立ち入っていない場所で、地上からは近づくことができず、県は自衛隊や隣県にも防災ヘリの出動を要請し消火活動を続けている

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 以前のこのブログでも、放射能汚染地域である山林地帯の山火事について書いたことがあります。
山火事に注意してください

 浪江町の火事の原因は落雷らしいですね。
 風向きにより、静岡のほうまで、放射能が飛ばされている、という情報もあるみたいなのですが、空間線量のデータがないので、私には分かりません。

 GWで外出している人も多いと思うのですが、大丈夫なんでしょうか?
 また消火作業に従事している自衛隊員が被爆していないか心配です。

チェルノブイリ原発事故から31年

2017-04-26 | 放射能関連情報
 チェルノブイリ原発事故発生から今日で31年になりました。

 今日はセシウム137の半減期と風評について書きたいと思います。

 昨年の今頃は、
「ついにセシウム137の半減期が来るから、きっと内部被爆の数値も下がるに違いない。」
と期待していたのですが、予想は外れました。
 
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布運動の測定結果を見ていても分かるように、ベラルーシの子どもたちの内部被爆量には変化はありません。
 おそらく生体濃縮が続いていて、事故のとき放出したセシウム137全体から言えば、数は半分になったとはいえ、食品の汚染は続いており、逆に人間の体内に蓄積している・・・ということでしょう。蓄積が絶え間なく続いているので、結局ベラルーシ人は内部被爆し続けており、それが測定すると数値として表れている、ということです。
 放出したセシウムが多すぎて、それが30年後半分になったとしても、食物連鎖の中で回っったり、また自然界からその循環の中に入ってくるセシウムの数が急に減少する、ということはない、ということです。
 結局、ずっと放射能と付き合う生活を送っていかなくてはいけません。
 次の半減期は2046年。劇的な内部被爆の減少はおきているでしょうか?
 一人一人の体重1キロ当たりの内部被爆量として考えると、それは起こらないだろうと思います。
 
 次に風評のことですが、小麦粉について書きたいと思います。
 偶然フェイスブックで「町の一介のパン屋のオヤジ」を自称している廣瀬満雄さんが、「パンと放射能」という記事を2014年に投稿しています。
 この第三回にこのような記述が見られます。
「つまり、東欧のベクレルまみれの小麦粉が、中国の製パン工場で冷凍生地として使用されドンドン日本にも入ってきている、という事です。大手ヤ〇ザキ製パンを始め、いろいろな企業に入っているようです。世界のパン「ヤ〇ザキ」とは、よく言ったものです。ベラルーシ産の小麦粉を使用しているかもしれないのですから。今、関西地方で有名な阪〇ベーカリーの100円パン、良い例かと思います。」

 これをどうして取り上げたかと言うと、ベラルーシは小麦の生産量が少なく、逆に外国から輸入せざるを得ない国だからです。
 とても日本に(あるいは中国に)小麦を輸出する余力がありません。
 
 おそらくこの文章を書いた廣瀬満雄さんの頭の中のイメージでは、「東欧」産の小麦粉が中国経由で日本に入ってきている。→ 東欧の中にあるベラルーシ。→ ベラルーシはチェルノブイリ原発事故の影響で汚染されている。→ そこで作られた小麦粉はベクレルまみれ。
 ・・・となっていて、このような文章になったのでしょう。

 しかし、ベラルーシは小麦輸出国ではなく、逆に小麦輸入大国です。
 どこから輸入しているのかと言うと、カザフスタンです。カザフスタン産の小麦を陸路で大量にベラルーシへ輸入。ベラルーシ国内の製粉所で粉にしています。(製粉されたものを輸入するより、この方が安いから。)

 ベラルーシのスーパーに行くと、いかにもベラルーシ産に見える小麦粉がたくさん売られていますが、それは小麦から小麦粉にした場所はベラルーシだからであって、実際にはベラルーシ人はカザフスタンの小麦から作ったパンを食べています。

 ベラルーシはヨーロッパの国で、パンは主食でしょ? 中央アジアの国から小麦を輸入しているなんて、おかしい! と思う日本人もいるでしょうが、ベラルーシ人の主食は「じゃがいも」そして「黒パン」です。
 黒パンはライ麦から作られます。ベラルーシは寒冷気候なので、寒さに強いライ麦はたくさん生えますが、小麦はほとんど生えないのです。だから暖かいカザフスタンから輸入しなくてはいけないです。
 
 ベラルーシの伝統的な料理には黒パンが必ず添えられていましたが、白パン(小麦粉を練って作ったパン)は食べられていませんでした。
 今では、白パンもケーキもたくさん売られています。
 一方で、ヨーロッパ人なんだから、パンは何でも好きだろう、とベラルーシ人におかずをいっしょに、白パンを出すと、拒否されます。
 黒パンは主食。白パンはおやつのような扱いだからです。
 日本人に「日本人だから米が主食ですよね。」と、味噌汁に焼き魚、漬物、そしてそこへ、「おはぎ」を外国人に出され、
「さあ、このアジのひらきといっしょに、おはぎをほおばってください。」
と言われたら、どんな気持ちになりますか? 
 このように、ベラルーシ人に黒パンを出さないといけないところへ白パンを出すと、断られます。
 もちろんおやつに白パンの菓子パンや、小麦粉から作るケーキなどはベラルーシ人は大好きで、いっぱい食べますけど、こういう食習慣が生まれたのは実は割合最近の話です。

 ベラルーシにとって、小麦粉は輸入品、現地では手に入らない貴重なもの、主食の材料ではなく嗜好品の材料に近い、ということが分かっていただけたでしょうか。
 このようにベラルーシから小麦粉が日本へ輸出されているとは考えにくく、また仮にそうであったとしても、それはベラルーシ産の小麦ではありません。

 東欧をまるごとひっくるめて、チェルノブイリ原発事故のせいで、汚染された地域、という廣瀬さんの(あくまでイメージですが、)考え方も正しくないと思います。

 廣瀬さんが「食品加工メーカーも自主的にベクレル検査をするべき」と提唱していることには賛同できるのですが。

 とにかく、ベラルーシ「産」で、ベクレルまみれ、つまり放射能汚染されている小麦粉から作られたパンが大量に日本人消費者の口に入っているとは、私にはとても思えません。

 「じゃあ、ベラルーシから日本に何が輸入されているのか?」という疑問を持つ人がいるかもしれないので、こちらのブログをご案内します。
「ベラルーシの貿易相手国 」  服部倫卓のロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪(ブログ版)より。
 2016年12月20日付のこの記事によると
「ベラルーシにとって最大の貿易相手国はロシアであり、以下ウクライナ、中国、英国、ドイツなどと続く。日本は、自動車の輸出などは行われているが、はっきり言ってベラルーシから買うものがないので、ベラルーシ貿易ランキングにおける順位は43位止まりであり、シェアも0.2%にすぎない。」
・・・だそうです。
 日本がベラルーシから買うものってないんですね・・・(^^;)

 私としてはこちらの「乳製品輸出大国としてのベラルーシ 」と言う記事のほうが気になりました。
 これによると、
「2015年にバターの輸出国としてベラルーシは世界3位を占めたという。1位がニュージーランドで43.9万t、2位がEU(1国ではないが)で17.4万t、3位がベラルーシで5.6万t、(中略)ベラルーシはこのほかにも、ホエイパウダー(乳清を粉状にしたもの)で世界3位、チーズ・カッテージチーズで5位、粉乳で5位の輸出国だった。」
 ・・・そうです。
 ちなみに日本は長年ベラルーシから粉乳を輸入しています。もっとも、放射能の検査は日本側はしているはずで、日本の基準値以下だったものだけが、輸入を認められているはずです。
 個人的にはホエイパウダーが気になりますね。ホエイにはセシウムのような水溶性の放射性核種が集まりやすいからです。
 それにしても。ベラルーシの乳製品がこんなに世界中で食べられているんですね。 
 ちなみにバターには原料だった牛乳に含まれていた放射能はほとんど残りません。
 
「いや、すっごい気になる。」
という日本人消費者の方は、一つ一つ原材料がどこからやってきたのか調べてから購入されることをお勧めします。
 とはいうものの、実際にはなかなか難しいですよね。

 でもまあ、20年以上ベラルーシに住み続けていて、ベラルーシ産のものを食べている私は今のところ健康ですので、ちょっとベラルーシ産の脱脂粉乳が入った日本製食品を日本人が食べたとしても、それが原因で発病する可能性は限りなく低いと思います。


ベラルーシ経由で放射性物質が輸送されていたニュース

2017-03-21 | 放射能関連情報
 アルメニアからベラルーシ南東部の都市ゴメリの空港を介してブルガリアに輸送される予定の貨物から基準値の250倍を超える線量の放射背物質が見つかった・・・というニュース。(2017年3月20日)

 ゴメリ空港で検査をし、さらに合法的に輸送される物であるという文書が添付されていることが分かったので、そのままブルガリアに飛行機(貨物便)で輸送した・・・そうです。

 アルメニアもブルガリアも何を考えているのか。
 私たちの頭上で何が飛び交っているか、その飛行機が墜落したりしたら、どうなるのか、想像するだけで怖いです。

ミンスクにある長崎の鐘について(11)

2017-03-11 | 放射能関連情報
 2017年3月現在の長崎の鐘の様子はこのようになっています。
 このブログ上で問題提起しましたので、3月11日付の投稿記事をご報告とさせていただきます。
 
 まあ、またこれからどうなるのか、予測できない部分もあります。
 ベラルーシに住んでいる日本人、また在ベラルーシ日本大使館が(公式ではありませんが)声赤い教会に対して上げたことが、よかったのか、それともそれは無関係で星条旗が外されたのかも分かりませんが、とりあえず今はよし、という状況です。
(あ、ちなみに私が長崎大司教区にサイトを通じて送ったメールの返信はいまだに来ていません。(笑))

 私はミンスクで暮らしていますので、また長崎の鐘の今後についても見守りたいと思います。

 画像は見学に訪れたと思われる一家。私が画像を撮影している間も、長崎の鐘にはけっこう多くの人が訪れていました。
 このような形で、ミンスク市内で核の犠牲者の慰霊、そして反核を訴えている長崎の鐘ですから、それが持つ意義もよく考えて大事にしていかないといけませんね。


 

ミンスクにある長崎の鐘について(10)

2017-03-11 | 放射能関連情報
 以前ウクライナ国旗は長崎の鐘の裏側にぽつんと設置されていたのですが、今日本国旗の横に設置されています。
 では、長崎の鐘の裏側はどうなっているのかと言えば、画像のとおり、何の国旗もありません。
 星条旗はどこにもありませんでした。
 また「ミンスクにある長崎の鐘について(3)」でもご紹介しましたが、アメリカからの土の由来を説明するプレートもありませんでした。

 つまりペンキの塗り直しの際に取り外されたまま、元に戻していない、ということです。
 すると、納められているはずの土が入ったカプセルはどうなっているのでしょうか。
 もしかすると、撤去されたかもしれませんが、土はそのままで、星条旗とプレートだけ外されている可能性が高い気がします。
 
 一方でこの長崎の鐘の裏側をよく見ると、右側に1本国旗を取り付けられる器具がつけられていることが分かります。
 ですから、しばらく経ってから、またここに星条旗が設置されるかもしれません。

 
 

ミンスクにある長崎の鐘について(9)

2017-03-11 | 放射能関連情報
 以前このブログで「ミンスクにある長崎の鐘」についてご紹介しました。
 (1)から(8)までの記事についてはこちらです。

 この長崎の鐘にアメリカの国旗がつけられているのは、いかがなものか、という話でしたが、その後、ペンキが塗られ直されることになり、国旗も外されていました。
 もうペンキ塗りも終わっただろうが、その後の赤い教会の対応はどうなっているのだろうと、心配していましたが、昨日様子を見に行くことができました。
 
 画像のとおり、星条旗は外されたままでした。日の丸の横にあるのはウクライナの旗です。
 真ん中はベラルーシ国旗。
 左側にはロシアの国旗とカザフスタンの国旗が風のせいで絡まりあっています。
(やっぱりロシアとウクライナの国旗を並べることは、現状ではできませんね・・・。並べたら、苦情を言う人あるいは政府が出てきそう。)

 
 

ブックレット「ふくしまから世界へ」

2017-01-04 | 放射能関連情報
 「ふくしまから世界へ」というプロジェクトについてご紹介します。
 これは、福島第一原子力発電所事故の教訓を市民の目線から世界へ伝えるためのプロジェクトで、各国語にブックレット「ふくしまから世界へ」を翻訳しています。
 公式サイトはこちらです。

 世界中でこれだけ原発が稼動しており、しかもひとたび大事故が起きれば、地球上のどこにいても、多かれ少なかれ被曝してしまうと思います。
 人種に関係なく、被曝すれば、これも多かれ少なかれ、健康被害が出ます。
 福島第一原発事故の問題は福島だけ、日本だけの問題ではないことを世界に広く知らせることが、大切なことです。
 そのときに出てくるのが、言葉の問題です。このブックレットはすでに複数の言語に翻訳されています。
 詳しくはこちらをご覧ください。
 
 外国人の友達に、福島第一原発事故について、知ってほしいとき、あるいは質問を投げかけられたときに、その友達の母国語で書かれたブックレットを読んでもらえれば、詳しい情報を分かりやすく伝えることができるはずです。
 どうか皆様のお役に立ててください。

 私としてはロシア語版の完成が待ち遠しいところです。
 またできる限り多くの言語に訳され、世界中の人に読んでほしいです。
 

ミンスクにある長崎の鐘について(8)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 この画像は長崎の鐘の鐘楼の足元の部分です。
 この黒い石版を動かすと、下に土を入れたカプセルが納められるようになっているはずです。
(実際に持ち上げて見たわけではないですが。)(^^;) 
 
 2016年10月29日現在、長崎の鐘はこのような状態です。
 分かりづらいですが、そばに赤いものが散らばっています。
 これは慰霊のためのろうそくを入れる特別な容器があり、ベラルーシではよくお墓の前に置いてあります。教会内で購入することができます。赤いガラス製のろうそく入れが長崎の鐘に捧げられていたのに、ペンキ塗りの業者が落として割ってしない、しかもそのまま放置している状態です。

 このガラスの破片が鐘に続く階段にも散らばっていて、しかも私が画像を撮影しているときちょうど小学生の校外学習の団体がやってきました。案内役の先生と思われる女性も
「みなさん、これが長崎の鐘です。あれ? 今工事中のようですね。えーと福島で事故があったのはみなさん知っていますね? ・・・。」
と話していました。
 
 子どもが通るのにガラスの破片が散らばっていてとても危険なのですが、幸いその小学生たちがガラスを踏んづけることはありませんでした。
 しかし団体さんがいなくなってから、あまりにもひどい光景(カトリックの教会の敷地内の光景ですよ、これが。)なので、階段のところのガラスの破片は私がゴミ箱に捨てました。

 まあ、日の丸と星条旗が並んでいる光景を小学生たちに見られるよりはましかもしれませんが、慰霊のための鐘の足元がこんな状態。
 赤い教会側は何とも思わないのでしょうか?
 普通片付けようとすると思うのですが・・・
 ミンスクの工事の業者のほうもモラルが低いですね。
 骨壷が入っているわけじゃないですが、墓石の上で同じことをしているようなものですよ。
 
 早く教会の人が気づいてほしい。と言うより、さっさとペンキ塗りを終わらしてほしいです。

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 この記事の続き、長崎の鐘の国旗の問題についての結果報告はこちらです。
 
 


ミンスクにある長崎の鐘について(7)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 日の丸と星条旗が掲げられていた柱、金属プレートがあったところもご覧の通りです。
 取り外されて、しかも柱の表面が削られています。
 つまりペンキの塗り直しを始めたということですね。
 ということは国旗が全部なくなってるのは、赤い教会が政治色を払拭するためではなく、単にペンキを塗り直すため・・・
 
 なーんだ、すごいオチ。・・・とみなさん思ってはいけません。
 問題なのはペンキを塗り直した後です。
 長崎の鐘はどのような姿になるのでしょうか?

 再び日の丸と星条旗が並んで掲げられるようになるかもしれません。

 長崎の鐘のその後については後ほどこのブログでご報告します。

 ついでなので、もう1枚画像を公開します。
 ミンスクにある長崎の鐘について(8)をご覧ください。



ミンスクにある長崎の鐘について(6)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 もしかして私が長崎大司教区にメールを送り、その後長崎大司教区からミンスクの赤い教会に問い合わせが来て、慌てて星条旗を取り外した??? とも考えましたが真相は分かりません。

 長崎大司教区からは私に返事をしておりませんし、私には長崎とミンスクの両者の間にやりとりがあったのかどうかも分からないのです。

 しかしアメリカの国旗が外されて少し安堵しました。しかしニューメキシコの土と金属プレートはそのままです。
 こういったものは外すのが大変なので、とりあえずすぐに外せる旗だけ外したのだろうと、考えました。

 その後、10月17日にことです。赤い教会の近くに用事があったので、長崎の鐘を見に行くと、あれれ? 全ての国旗が取り外されていました。ロシアの国旗もベラルーシの国旗も日の丸もです・・・
 さらには旗の根元にある旗を固定する金具も全て取り外されていました。

 このほうが政治色を払拭していいと赤い教会が判断したのかもしれない・・・などと考えていました。
 長崎の鐘も鐘楼らしい姿になったと喜んでいたのです。
 
 ところが今日、10月29日、私は長崎の鐘を見る機会があったのですが、とんでもないことになっていました。

 添付画像をご覧ください。長崎の鐘が剥げている?

(続きは「ミンスクにある長崎の鐘について(7)」をご覧ください。)

ミンスクにある長崎の鐘について(5)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 一方で、そもそも長崎の鐘は長崎大司教区の方々が献金し合って集めたお金があったからこそ、ベラルーシに建立できたものです。
 同じカトリック信者同士が連携し合って、原爆や原発の被害者のを思ったその思いが形となったものです。
 そうでなければどうしてわざわざベラルーシのミンスクに建立する話になったのか分かりません。

 しかしここへ二国以外の国の土も入れるようになったから、話がおかしくなり、それていったのではないかといった指摘を日本人の方からいただきました。

 例えば、カザフスタンのセミパラチンスクでは被爆の被害が公式に認められています。
 しかしロシアのノヴァヤゼムリャはもともと人口が少ない地域で、しかも民族的にはロシア人が住んでいなかった(今も少ない)地域でソ連とロシアが核実験を行ってきた(今も行われている)場所です。
 もちろん人的な被害、つまり被爆は公式には認められていません。
 現地の住民も声を上げられないでいるような状態なのでしょう。

 トリニティ実験場でも被爆したと何十年も経過してから訴えている団体がいるそうですが、根拠はないとしてアメリカ政府は認めていません。
 広島や長崎、チェルノブイリなどと違って公式には被爆が認められていない地域の土も埋められているのです。
 被害が認められていなくても、核実験をした歴史的な場所なら、どこのものでもミンスクにある長崎の金の下に埋めてよい、ということであれば、北朝鮮からも土を持ってこないといけませんね。

 このようにロシアのノヴァヤゼムリャの土を埋めたあたりから、長崎の鐘の本来の意義が歪められていったのではないか、とも考えられます。

 公式には被害が認められていないロシアの核実験場の土を入れていいなら、同じく被害が公式に認められていないが、核実験場だった(しかも人類初の!)アメリカの土も入れていいだろう・・・とアメリカ側が言い出したのか、ベラルーシ側(赤い教会)が賛同したのか、はっきりした経緯は分かりませんが、推測はできます。

 しかしこのような長崎の鐘の変貌について、長崎側は承知しているのかどうか気になった私は、長崎大司教区のサイトからメールアドレスを見つけ、メールを送りました。これが10月4日のことです。

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 題名: ミンスクの教会にある長崎の鐘について現状をご存知ですか

メッセージ本文:
 私はベラルーシ共和国ミンスク市に住んでいる日本人です。2000年に長崎大司教区が贈った献金を元にミンスク市中心部にある聖エレナと聖シモンのカトリック教会(通称赤い教会)に浦上天主堂の鐘のコピーである長崎の鐘が設置されたことはご存知と思います。そこに長崎、広島そしてチェルノブイリから運ばれてきた土が埋められています。しかし最近同じ場所にアメリカのニューメキシコ州の土が埋められたことをご存知ですか? これはアメリカが初めての核実験を行った場所で、これが成功したことから広島と長崎への原爆投下へつながったものです。鐘には日本国旗が掲げられていますが、そのすぐ横にアメリカの星条旗も並んで掲げられています。
 地元のベラルーシ人に「日本に原爆を投下したのはアメリカなのに、原爆の慰霊のためのモニュメントにアメリカの核実験成功の地から運んできた土をいっしょに埋めることについて、日本人であるあなたはどう思うのか?」と質問され、何も答えことができず、とにかく事実確認のため写真撮影をしに行きました。(このメールフォームに画像を添付できないのが残念です。)
 その後現地の日本大使館にこのような事実があることを大使館は把握しているのかどうかだけでも教えてほしいと、他の在日本人が質問したのですが、全く返答はありません。
 さらにこの赤い教会の神父にも質問しましたが、よく知らないけどこれはアメリカと日本の和平交渉の結果なのではないのかと逆に質問されたそうです。
 私は広島や長崎の出身ではなく、身内に被爆者がいるわけではありませんが、日本人として今の長崎の鐘の姿には違和感を感じます。
 長崎の方はどのように思われるのでしょうか? 今日もこの教会には地元の信者や観光客が訪れて、日の丸と星条旗が並んでいるのを見ています。この鐘の建立のために尽力された長崎大司教区が、このような現実をご存知なのかどうかお伺いしたく、このメールを差し上げることにいたしました。私は長崎の鐘建立の意義がいつの間にか変質したように感じますが、長崎大司教区がこの件について把握しており、またこの現状をお認めになるでしたら、どのようなお考えでお認めになっているか教えてください。
 私はカトリック教徒ではありませんが、ミンスクに永住予定の日本人で、しかも勤務しているのが日本文化情報センターというところなので、今後もこの長崎の鐘についてベラルーシ人から質問を受ける可能性があります。そのときにどのように答えたらいいのか、分かりません。長崎のカトリック教会のお考えをどうかお教えください。何卒宜しくお願い申し上げます。
 
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 ちなみに今日は10月29日ですが今のところ長崎大司教区から何の返事もありません。

 ところが、このメールを送ってから2日後の10月6日のことです。

 ベラルーシ人の知人が夕方長崎の鐘のそばを通ったら、星条旗だけ取り外されているのを発見。
 証拠写真を撮って、私に送ってくれました。
 それがこの記事の添付画像です。

(続きは「ミンスクにある長崎の鐘について(6)」をご覧ください。) 

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 11月3日の追記です。長崎の鐘の一件について日本大使館が対応してくれていたことが分かりました。

 まずベラルーシ在留日本人の方がベラルーシにある日本大使館に長崎の鐘に取り付けた星条旗について質問したのは、8月下旬のことです。

 私が長崎大司教区に上記の問い合わせメールを送ったのは10月4日のことです。
 その後10月の中旬、日本大使館側が赤い教会側と面会して、長崎の鐘に取り付けられた星条旗について申し入れを口頭でおこなったそうです。
 赤い教会側の見解は二ューメキシコでの核実験が長崎と関わっていたという事実を知らなかった・・・そうです。
 
 こんな大事な歴史的事実をよく知らないまま、長崎の鐘に星条旗を掲げていたということですね。
 あきれますね。考えがなさすぎます。
 あるいはこのような発言は適当に言ったもので、実際にはアメリカ側から圧力や多額の献金などをもらったので、断れずニューメキシコの土入れたのではないか、という見方をつい私はしてしまいます。

 ともかく日本大使館側の申し入れの後、赤い教会側は星条旗もプレートも撤去すると約束したそうです。
 ただ、星条旗は10月6日には撤去されていたことが分かっていますし、プレートもペンキ塗りのために10月29日には外されていることを私が確認しています。

 日本大使館が申し入れをしたものの、口頭のみというレベル(公式な書面で申し入れや質問状をだしたのではない。)ですので、赤い教会側も口約束のレベルです。ペンキ塗りが終わった後、赤い教会側がどうするのかが問題です。

 ペンキ塗りの後も元通り星条旗、プレート、土の三点が戻ってくるかもしれません。
 しかしそのときには明らかに赤い教会が約束破ったということになり、日本側から批判を受けても仕方がないですね。
 ともかく大使館からの質問に、自分たちが土を入れたけど詳しいことをよく知らなかったなどと、ぬけぬけと答えるカトリック教会側の担当者(えらい人)が非常に情けない・・・というのが私の感想です。

  


ミンスクにある長崎の鐘について(4)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 この画像は私が9月初めに撮影した長崎の鐘です。
 このように金属板プレートが鐘楼の右側の柱に取り付けられたその上のほうに、日本とアメリカの国旗が掲げられています。
 画像の左のほうに見えるのは、鐘楼全体で言うと中央部情報にあるベラルーシ国旗です。

 日本人として私は違和感を覚えるのですが、広島、長崎の方はどのように感じられますか?

 長崎の鐘を見た他の日本人の意見ですが、同じように違和感を感じる方もいれば、憤慨される方、また
核兵器の歴史という括りで見れば、おかしくない。公式には認められていないがニューメキシコの核実験のせいで被爆したアメリカ人もいるのだから、と言う方もいました。
 さらに反核、反原水爆という趣旨であれば同じ場所に土が埋められていてもかまわないが、アメリカの国旗を掲げるのは話が変わってくる。アメリカは核保有国の一つであり、たとえば広島の平和公園にロシアやアメリカの国旗が掲げられるなど被爆者にとって現状では考えられないことだから・・・というご意見もお聞きしました。

 長崎の鐘は慰霊のためのもの、つまり第一に魂のためのものであると私は思います。そこに国家のシンボルである国旗がたくさんつけられているのを見ると、宗教的な場所が政治的な場所に変貌しているように感じます。

 ちなみにベラルーシにある日本大使館に公式な質問状ではありませんが、この長崎の鐘の現状を日本大使館は把握しているのかどうか尋ねた人がいましたが、二ヶ月経った今でも全く返事はありません。

 日本大使館が「これはどういうことですか?」と赤い教会側に質問してくれたらよかったのですが、そういうことは政治が絡んでいるからか、もしかすると外務省からの指令待ちなのか、日本大使館から抗議文や質問状が出されてことはないようです。

 仕方がないので、今度は直接赤い教会に日本人が質問したのですが、もちろん正式な質問状を出せる立場の人ではないので、とりあえず教会に行って、そこにいた神父に口頭で尋ねたにすぎません。
 それによると・・・
 「赤い教会の中にいた神父さんの一人に、長崎の鐘の横の旗について聞いてみました。結論から言えば、その方は、星条旗が掲揚された経緯を知らないと言い、ただ最近現れたことだけは承知しているとのことでした。
そして『何か日本とアメリカの和平交渉の結果なんじゃないか』という ことをボソボソ言ったりしました。さらに、経緯を知りたければ、もっと上の人(おそらくこの教会の一番偉い人のことだと思いますが)に聞いてみるように言われ、ただその人はいつもいるわけではないので見つけるのは大変だと言いました。
誠意があれば、その上の人に会わせてくれるか、その人がいる日を教えてくれてもいいのにと思いましたが、何となく空々しい対応でした。これ以上は赤い教会に聞いても無駄のようです。」
 ・・・ということでした。

 つまり現地の日本大使館は動こうとしない、長崎の鐘を同じカトリック信者から贈られたミンスクのカトリックの神父もその教会でお勤めしているのに、ちゃんと説明してくれない(あるいは分かっていないか、分かっていても分かっていないふりをしている)ということです。

 このような状況にこうなったら、ベラルーシのマスコミに話してみようか、などと私は考えていました。
 私のような外国人が質問しても無駄でしょうが、ジャーナリストがその教会の上の人に取材すれば、もう少し内容のある返事がもらえるかもしれない、と思ったからです。
 これが10月初めのことです。

(続きは「ミンスクにある長崎の鐘について」(5)をご覧ください。)




ミンスクにある長崎の鐘について(3)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 こうしてこのような姿になった長崎の鐘を私は2015年夏にも見たのですが、特におかしいと思うようなことはありませんでした。

 ところが、今年、2016年8月末、ベラルーシ人の知人が、最近長崎の鐘を見たけれど、おかしなことになっている、知っていますか?と撮影した画像を見せてくれました。

 それは、長崎の鐘に新しく、アメリカの土が埋められ、しかもそのことを示す金属板が、日本のプレートの隣に取り付けられ、しかも日の丸と星条旗が並んでかかげられているということでした。

 しかもアメリカの土と言うのは人類史上初めて原爆の実験が行われ、そして成功したニューメキシコ、アラモゴードの近くの土、という説明が金属プレートにベラルーシ語と英語で刻まれています。

 これはトリニティ実験の土ということですね。詳細はこちらをお読みください。
 ここにも以下のような記述があります。

 トリニティ実験は爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾『ファットマン』が、後に日本の長崎県長崎市に投下された。

 つまり核実験の歴史としては輝かしいスタートである実験です。

 その実験場の土を、核の犠牲者の慰霊のために建立された鐘の足元にいっしょに埋めるというのはどういうことなのでしょうか?

 長崎や広島で被爆された方々がこれを見たらどう感じるのでしょうか?

 ベラルーシ人の知人からは
「日本に原爆を投下したのはアメリカでしょう? その二つの国の国旗が並んでいるのを見て、日本人のあなたはどう思うのか?」
ときかれました。

 これが例えば同じアメリカの土でもスリーマイル島原子力発電所事故で、放射能が漏れ出た被害のあった地域の土なら、理解できます。

 しかし原核被害者の慰霊のための鐘の下に核実験の成功地の土をいっしょに埋めるのは、私はおかしいと思います。
 そしてベラルーシを訪れる日本人がこれを見たら、どう思うだろうと考えると恥ずかしくなりました。

 画像はプレートの部分を撮影したものです。
 2013年に12月に土を埋めたとありますが、おかしいです。
 ネットで検索しても2013年に長崎の鐘にアメリカの土を追加したので記念式典を開催したといったニュース記事はヒットしません。

 ちなみに2016年4月26日はチェルノブイリ原爆事故が起きてちょうど30年。そのころ日本から視察団やマスコミが大勢来ていましたが、8月末に私が4月にミンスクを訪れていた日本人に尋ねると
「長崎の鐘なら見ましたよ。確かに星条旗がついていた。」
という証言を得られました。

 つまりチェルノブイリ30年という、国内外から注目が集まる時期には、すでに星条旗が掲げられ、土も埋められていた、ということです。

 (続きは「ミンスクにある長崎の鐘について(4)」をご覧ください。)