店主の雑記帳
昨年から「googleストリートビューで東海道五十三次」を連載しているんですが、進捗スピードがはかどらずなかなか進みません。
その理由の一つ…マップの使い方がいまひとつ理解できていない…ということ。例えば、下のマップ図。
上側が貼り付けたいルート図なのですが…埋め込み機能を使って貼り付けると…下のように、直線ルートに勝手に変更されてしまう。
直線コースのほうがタムパがいいから? なぜ?…なぜ?…なぜ?…そうなる??
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/60/8be18f31269c397db80366e5e700022c.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/5f/8baa2f87896f37fc8c54d91c8fd5067b.png)
できるだけ江戸時代頃の旧東海道コースでたどりたいので、上の図を使いたいのですがねえ~。
そんなこんなで、毎回更新はかなり遅くなっております。
今回も、あるはずの「江戸方見附」跡がどこにも見つからず、マップ上であっちにウロウロこっちをノロノロと。やれやれ、どうにか見つけたと思ったら、今度は「上方見附」跡がない……。
そんなわけで、今回も相当な労力!?を使ってしまった…というわけです。
冒頭からくだらぬ愚痴を…以上、怠け者で学習能力のない、ひねくれブロガーの独り言…でした。
店主の無謀な? ひそかな試み
(googleストリートビューで東海道五十三次)
~10・小田原 編~
(googleストリートビューで東海道五十三次)
~10・小田原 編~
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参考資料は、「東海道中膝栗毛」(中央公論新社 マンガ日本の古典シリーズ)と歌川広重の浮世絵「東海道五十三次之内 小田原 酒匂川」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/21/561d53184a9b78d983d9d93b409c73e3.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/76/3ada63aff38119d4b910094143296a93.jpg)
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歌川広重の画像は、下のリンク先よりダウンロードしました。
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大磯宿を通過しながら喜多八が弥次さんに言う。
「退屈だから、謎かけごっこといこう」と。
第一問…。
『外は白壁、中はどんどん、ナアニ?』[喜多八]
…こんな具合で小田原宿を目指す二人。
下は大磯宿の「上方見附」跡からすぐの、国道1号線沿いに並んでいる松並木。当時の景観がしっかり残っています。付近には、伊藤博文別邸、大隈重信別邸、陸奥宗光別邸、西園寺公望別邸などもあり、今はこのあたりを「関東ふれあいの道」と呼んでいるらしい。
「国府本郷の一里塚」。江戸の日本橋から17番目の一里塚。実際は、この場所より江戸側に200mほどのところにあったらしい。このあたりはまだ大磯になります。
「押切坂の一里塚」(日本橋から18番目)。ここは、大磯宿と小田原宿の中間点で、このあたりに茶屋などが立ち並びたいへん賑わったのだとか(~梅沢の立場~)。手前側が旧東海道で、奥に見えるのが国道1号線になります。
こんなところに!? 「松屋本陣」跡…一般の住宅の庭に?案内板が立ててあります。大磯宿と小田原宿の距離は長く、ちょうど中間点にあたるこのあたりに休憩所として設けられていたらしい。大名などの特権階級が使用した。
車坂を過ぎて……それにしても道祖神が多いなあ……下のビューの仲宿公民館の前にも。この先にも「男女双体道祖神」というのがある。
小田原に向けての長い道のり。ふたりの謎かけ問答は続いている。
「……、おいら二人の国所(くにところ)。なあにといこう 」[喜多八]
「神田の八丁堀、家主与次郎兵衛店と解く」 [弥次]
「お不洒落なさんなよ。これは豚が二疋、犬ころが十疋と解く」 [喜多]
「そのこころは」[弥次]
「ぶた二ながらきゃん十もの」 [喜多](…ふたりとも関東もの…)
「おきやがれ。……」[弥次]
……。
こんな調子で進んでいくと、いよいよ見えてきた…。
東海道の難所の一つであった「酒匂川(さかわがわ)の渡し」跡(大きな石碑のある個所)。酒匂橋から70mほど離れている。なんと明治4年に渡し制度が廃止されるまで肩に担いだり蓮台に乗せたりして渡していたらしい(夏場だけ)。
川を越えると、待ってましたとばかりに宿引きたちが…。
新装開店したばかりだという宿の亭主と連れだって、いよいよ小田原宿の中へ。
宿について一服した後、風呂に入ったはいいが、やけどをするわ、風呂釜の底を抜いてしまうわでてんやわんや…で、けっきょく弁償するハメに。
ようやく見つけた「江戸方見附」跡(標柱には「江戸口見附跡」とある)。歩道橋の足元に隠れていたので、探すのに手間取りました。マップには、特に史跡であることの表示もなく、この少し手前にある「山王口」がそうではないかと勘違いしてウロウロ…。(「山王口」の標柱にも「江戸口見附跡」と書いてあるので…どちらが正しいのでしょうか?😔 50メートルほどしか離れていないのですが…興味のあるかたは調べてみて下さい)
「清水金左衛門本陣」跡。小田原宿に4軒あった本陣の筆頭で、島津家、尾張徳川家、細川家などの西国大名らがここを定宿としたという。また、明治天皇も何度も泊っていたとのこと。
ようやく見つけることができた……「上方見附」跡(案内板には「板橋(上方)口」とある)。旧東海道は、ここからしばらく国道1号線から離れていきます。
次回の更新に続く……。
次回の「箱根宿」の更新はいつになりますやら? なるべく早く更新できるよう、日々精進いたします。お楽しみ?くださいませ。
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ここで、せっかく小田原城下をビュー散歩しているんだから……小田原城のビューをご覧いただいて…(ビューの撮影時期は春だったようで、桜が満開です。観光客も大勢来ていますね)…時間のあるかたは、ビュー内の矢印をクリックしながら城内を見て回るもよし…。
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今回たどったルートは下のとおりになります。大磯宿江戸方(口)見附跡~小田原宿板橋(上方)口。
店主の動画探索
今回も前回にならって…美術史からみた歌川広重の浮世絵の解説動画を。
徹底解説!歌川広重「東海道五十三次」⑩小田原 酒匂川💧様々な川渡しを画く、東海道の水運のある情景
8分5秒(音量に注意願います)