いねむり店主の寝言部屋

お願いいたします。

佶屈聱牙で陋巷に窮死しそう?

2025年02月21日 | 雑記帳

雑記帳

散歩しながらよくアーケード街を歩くのだが、その途中から路地を抜けて図書館に立ち寄っていくことがある。
NHKのオンデマンドでときおり見る『街道をゆく』シリーズの影響で、故・司馬遼太郎さんの原作のほうにも手を伸ばしてみている。読み始めてから2年くらいたつだろうか?

blogと同じく本を読むペースも遅く、特に難読熟語などに出会うと調べるのに時間がかかってさらにスピードが落ちる、という具合で。以前、「速読」がブームになってTVでその様子を見たことがあるが、とうてい信じられず、彼らは本当に読んでいるのか?…と、疑っていたこともあった。

今回借りてきたものも出だしでいきなり難解な?熟語で引っ掛かってしまった。



わざわざ画像にして貼り付けてみたものの…この熟語…ご存じですか? 読めますか? 意味がわかりますか?…司馬さんは、文章の中でこの四文字熟語をこう使われています。

〈…Aはすべてにおいて私よりすぐれていたが、ただ性格が難解な文章のように佶屈聱牙としている。…〉

「きっくつごうが」と読むらしく、さらにその意味を調べてみると…。
  • 文章が難解で堅苦しく、読みにくいこと。転じて、頭がかたく、小難しいことをいうさま。
  • 文章が難解で堅苦しく、理解しにくいこと 。
そんな意味があるようです。
…と、ホッと息をつく間もなく…。


なる不思議な言葉が…。う~む、まったくわからない…。
というわけで、またまた辞書やネットで調べる。
  • 狭くむさくるしい町で行きづまってどうにもならなくなって死ぬこと。
  • 薄汚れた町の片隅で野垂れ死にすること。
〈…ともかくAの壮(さか)んな――しかし内容不明の――志からすれば陋巷に窮死すべきものであった。…〉

「ろうこうにきゅうし」なんて…。
司馬さんの文章はときに脱線しつつ、難読難解語を我々に?突きつけてくる。


ああ、「佶屈聱牙」な性格の文章と語句に、まったく「陋巷に窮死」してしまいそうだ…。😅 




店主の無謀な? ひそかな試み

(googleストリートビューで東海道五十三次)
~11・箱根 編~

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参考資料は、「東海道中膝栗毛」(中央公論新社 マンガ日本の古典シリーズ)と歌川広重の浮世絵「東海道五十三次之内 箱根 湖水図」。

   

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歌川広重の画像は、下のリンク先よりダウンロードしました。


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箱根宿~前編~

小田原の宿を早くに発った弥次さんと喜多さん。風祭まで来たところで弥次さんが一句…。

『人の足に踏めどたたけど箱根やま本堅地(ほんかたぢ)なる石だかのみち』

現在の国道1号線ではなく、内陸部側を通っていた旧東海道。下のビューは小田原市の旧東海道沿いにある「風祭一里塚」跡。日本橋から21番目の一里塚にあたる。


目の前に見えてきた箱根の山々。この山塊を越えた芦ノ湖の湖畔に箱根宿がある。

箱根湯本…店先で売っている土産物を見て回る弥次さん喜多さん。
きれいな店の娘に声をかけられ、あれこれ並んでいる品を見比べてみるのだが…。娘は他の客の相手もしていて手が離せない様子。
そこへ奥から出てきた婆さんが、「…ハイハイこれでおんざりますか ?…」と。
途端に不機嫌な顔をする弥次さん。どうやら婆さんの接客では不満らしい…。

日本橋から22番目の「湯本一里塚」跡(L字型の案内板は一里塚の案内板ではなく「白川洗石生家跡」の案内板)。少し奥に立っている一里塚の石柱は周囲の枝葉に隠れていてよく見えない。ちょうどよい角度がなく、ビューではこんな場合に不便です…残念😞 

ガードレールの裏側から下へくだっていくと…その先には、「馬立場(馬の水やり場の休憩所)跡」「猿沢の石畳道」「猿橋」などがある。ビューでは見られないので…頭をのぞかせている矢印板だけでご勘弁いただきたい。

よく見えないかもしれませんが、「女転(ころ)し坂」という物騒な名の石柱が建ててあります(とがったような形の石柱…)。ここは急な坂が続いていて、馬に乗ったご婦人が落ちて亡くなったことがあるとか…で、この坂の名がついたようです。

「畑宿本陣」跡。畑宿の名主、茗荷屋畑右衛門の屋敷と庭園があったという。大正時代の火災で家屋は焼失したが、庭だけは残ったのだそうです(庭園は画面の奥のほうになります)。

「箱根旧道七曲り」付近。カーブミラーの右に見える階段から登っていけば、「橿木(かしのき)坂」の旧道に入っていく。
『橿の木の さかをこゆればくるしくて どんぐりほどの 涙こぼるる』

ビューの左側の階段を降りていけば、旧街道の石畳道の途中に「猿滑り坂」がある。ビュー右側の階段を登っていけば「追込坂(おいこみざか)」へ。旧道は、ビューでは見られないため…残念。😞 

「権現坂」や「杉並木歩道橋」を経て、見えてきたのは芦ノ湖。ビューで大きく右側に映っているのは…「箱根神社」の鳥居です。

箱根宿~前編~
…後編へ続く…

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下のリンク先で、「かつての箱根宿」の写真を見られます。

1.

2.

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今回のルート
小田原宿板橋(上方)口~箱根宿(箱根関所)


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次回更新は…箱根宿~後編~。
3月になるのは確実…かと思われます。
よろしくお願いいたします。




店主の動画探索

徹底解説!歌川広重「東海道五十三次」⑪箱根 湖水図🏔山々と湖の大自然と大名行列の小さな人々を対比的に画く山水図

8分5秒(音量に注意してください)


2月~立春を迎えて、大寒波到来!?

2025年02月04日 | 雑記帳

店主の雑記帳

昨年から「googleストリートビューで東海道五十三次」を連載しているんですが、進捗スピードがはかどらずなかなか進みません。

その理由の一つ…マップの使い方がいまひとつ理解できていない…ということ。例えば、下のマップ図。
上側が貼り付けたいルート図なのですが…埋め込み機能を使って貼り付けると…下のように、直線ルートに勝手に変更されてしまう。
直線コースのほうがタムパがいいから? なぜ?…なぜ?…なぜ?…そうなる??




できるだけ江戸時代頃の旧東海道コースでたどりたいので、上の図を使いたいのですがねえ~。
そんなこんなで、毎回更新はかなり遅くなっております。

今回も、あるはずの「江戸方見附」跡がどこにも見つからず、マップ上であっちにウロウロこっちをノロノロと。やれやれ、どうにか見つけたと思ったら、今度は「上方見附」跡がない……。
そんなわけで、今回も相当な労力!?を使ってしまった…というわけです。

冒頭からくだらぬ愚痴を…以上、怠け者で学習能力のない、ひねくれブロガーの独り言…でした。




店主の無謀な? ひそかな試み

(googleストリートビューで東海道五十三次)
~10・小田原 編~

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参考資料は、「東海道中膝栗毛」(中央公論新社 マンガ日本の古典シリーズ)と歌川広重の浮世絵「東海道五十三次之内 小田原 酒匂川」。

   

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歌川広重の画像は、下のリンク先よりダウンロードしました。


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大磯宿を通過しながら喜多八が弥次さんに言う。
「退屈だから、謎かけごっこといこう」と。

第一問…。
『外は白壁、中はどんどん、ナアニ?』[喜多八]

…こんな具合で小田原宿を目指す二人。

下は大磯宿の「上方見附」跡からすぐの、国道1号線沿いに並んでいる松並木。当時の景観がしっかり残っています。付近には、伊藤博文別邸、大隈重信別邸、陸奥宗光別邸、西園寺公望別邸などもあり、今はこのあたりを「関東ふれあいの道」と呼んでいるらしい。

「国府本郷の一里塚」。江戸の日本橋から17番目の一里塚。実際は、この場所より江戸側に200mほどのところにあったらしい。このあたりはまだ大磯になります。


「押切坂の一里塚」(日本橋から18番目)。ここは、大磯宿と小田原宿の中間点で、このあたりに茶屋などが立ち並びたいへん賑わったのだとか(~梅沢の立場~)。手前側が旧東海道で、奥に見えるのが国道1号線になります。

こんなところに!? 「松屋本陣」跡…一般の住宅の庭に?案内板が立ててあります。大磯宿と小田原宿の距離は長く、ちょうど中間点にあたるこのあたりに休憩所として設けられていたらしい。大名などの特権階級が使用した。

車坂を過ぎて……それにしても道祖神が多いなあ……下のビューの仲宿公民館の前にも。この先にも「男女双体道祖神」というのがある。

小田原に向けての長い道のり。ふたりの謎かけ問答は続いている。

「……、おいら二人の国所(くにところ)。なあにといこう 」[喜多八]
「神田の八丁堀、家主与次郎兵衛店と解く」 [弥次]
「お不洒落なさんなよ。これは豚が二疋、犬ころが十疋と解く」 [喜多]
「そのこころは」[弥次]
「ぶた二ながらきゃん十もの」 [喜多](…ふたりとも関東もの…)
「おきやがれ。……」[弥次]
……。
こんな調子で進んでいくと、いよいよ見えてきた…。

東海道の難所の一つであった「酒匂川(さかわがわ)の渡し」跡(大きな石碑のある個所)。酒匂橋から70mほど離れている。なんと明治4年に渡し制度が廃止されるまで肩に担いだり蓮台に乗せたりして渡していたらしい(夏場だけ)。

川を越えると、待ってましたとばかりに宿引きたちが…。
新装開店したばかりだという宿の亭主と連れだって、いよいよ小田原宿の中へ。
宿について一服した後、風呂に入ったはいいが、やけどをするわ、風呂釜の底を抜いてしまうわでてんやわんや…で、けっきょく弁償するハメに。

ようやく見つけた「江戸方見附」跡(標柱には「江戸口見附跡」とある)。歩道橋の足元に隠れていたので、探すのに手間取りました。マップには、特に史跡であることの表示もなく、この少し手前にある「山王口」がそうではないかと勘違いしてウロウロ…。(「山王口」の標柱にも「江戸口見附跡」と書いてあるので…どちらが正しいのでしょうか?😔  50メートルほどしか離れていないのですが…興味のあるかたは調べてみて下さい)

「清水金左衛門本陣」跡。小田原宿に4軒あった本陣の筆頭で、島津家、尾張徳川家、細川家などの西国大名らがここを定宿としたという。また、明治天皇も何度も泊っていたとのこと。

ようやく見つけることができた……「上方見附」跡(案内板には「板橋(上方)口」とある)。旧東海道は、ここからしばらく国道1号線から離れていきます。

次回の更新に続く……。

次回の「箱根宿」の更新はいつになりますやら? なるべく早く更新できるよう、日々精進いたします。お楽しみ?くださいませ。

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ここで、せっかく小田原城下をビュー散歩しているんだから……小田原城のビューをご覧いただいて…(ビューの撮影時期は春だったようで、桜が満開です。観光客も大勢来ていますね)…時間のあるかたは、ビュー内の矢印をクリックしながら城内を見て回るもよし…。


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今回たどったルートは下のとおりになります。大磯宿江戸方(口)見附跡~小田原宿板橋(上方)口。




店主の動画探索 

今回も前回にならって…美術史からみた歌川広重の浮世絵の解説動画を。

徹底解説!歌川広重「東海道五十三次」⑩小田原 酒匂川💧様々な川渡しを画く、東海道の水運のある情景
8分5秒(音量に注意願います)