映画自体の感想としては知らなかったこともあるけれど、そんなに特別見新しいことは無かった。海外メディアのインタビューなどは初めて見るものも当然あったけれど、関係者は、セナについて今思うところなどのコメントが無かったのはちょっと残念です。死後16年経って放映する映画ではないかな、というのが個人的な意見です。
今年セナ生誕50年という節目。映像を見て当時のことを思い出した機会に、ネルソン・ピケのファンである私の個人的視点で、セナについて語ってみたいと思います。
あくまでも、個人的意見ですから、ファンの人は「こんな考えの人もいるんだな」程度で流してください。
セナは速いドライバーだった。それは間違いないでしょう。特にアクセルワークがすばらしいという評価が高いのはよく解ります。
もちろん才能があったが、ひたむきに努力する人だったのであろう。基本性格は真面目。レーシングドライバーとして勝利が最大の目標・・・。
全てのドライバーが勝つことが当然目標ではあるが、必ずしも勝利より入賞が最優先されることもあるわけです。それは誰よりもポイントを取得し、最終的にワールドチャンピオンになることが、本当の意味で最大の目標な訳です。
その点、ピケは誰よりもポイントを取ることに力を注ぎ、最終的にチャンピオンを取るドライバー。結果3度のチャンピオンを取得しました。
プロストは、そんなピケや、ニキ・ラウダとのチャンピオン争いに敗れた経験から、勝利よりポイントを取るレース運びで結果的に4度チャンピオンに輝いた。
セナは速さこそ勝利であり、勝つことでチャンピオンを取る事を目指したとでもいうのでしょうか。その辺りはマンセルとスタイルが似ているといえますね。
マクラーレンにセナが移籍したときは非常によいタイミングであったと言えます。ブラバムでピケとの黄金時代を築き上げた鬼才ゴードン・マーレーがデザインしたMP4/4というマシンと、最強のエンジンである、ホンダV6ターボ。そしてレース運びに長けたプロストがチームメイト。こんな恵まれた環境は'88年では他になかったでしょう。
それは前年チャンピオン争いをした、ピケはウィリアムズでの対応に嫌気が刺して、同じくホンダエンジンを持つロータスに移籍したが、シャシーの性能の低さに低迷。
そして、ウィリアムズに残ったマンセルは、ホンダエンジンをマクラーレンに奪われ戦闘力が低下・・・。
ライバル不在のマクラーレンは当時超一流のドライバー2人を抱えまさに無敵状態。ライバルはチームメイトだけという構図になってしまったわけです。そんなさなかでのF-1ブーム。セナとプロストがF-1の顔という時代。その、ある意味醜いチャンピオン争いが3年間続くのです。
当時ナンバー1ドライバーだったプロストはなぜ、セナをチームに迎え入れることを拒否しなかったのでしょうか。私はセナ・プロのファンではないので詳しくは解りませんが、自分がチャンピオンシップを取ろうと思うならば、サポートしてくれるナンバー2ドライバーが必要なはず。自分の知る技術をセナに伝授し、かつてのラウダのように自分は去るつもりだったのでしょうか?
当時トップチームの1つだったブラバムに、若かりし日のセナが加入することをピケが拒否したという話もウィキペディアにも載っていて、確かにそういう噂もありますが、この場を借りて違う話も載せておきます。(出典:ネルソン・ピケ/サーキットの孤高の戦士 著者:マイク・ドットソン 発行所:株式会社ソニー・マガジンズ 1991年9月28日発行)
ブラジルでは、セナがピケを嫌うのは、1983年に、セナのブラバム入りをピケが握りつぶしたせいだと言われていた。だが、エドゥアルド・プラドによれば、事実はまったく異なっている。
「その年の夏は、わたしもイギリスにいた。ある晩ネルソンがわたしを呼び出して、ブラバムの工場でこの前見かけた、イギリスF3で勝ちまくっている若いブラジル人ドライバーを知っているかと尋ねた。だからわたしは、『ああ、知っているよ。名前をアイルトン・セナっていうんだ。将来のチャンピオン候補と言われているけど、どうしてだい?』と逆に尋ねた。すると、ネルソンはこう答えた。『今日彼が、話し合いのためにブラバムにやってきたんだ。ところがバーニーはとんでも無い条件を言い出した。契約は5年で、最初の2年はまったくのノーサラリーだとさ。』セナは、当時スポンサーを持ち込んでトールマンにシートを確保しようとしていた。ところがネルソンは、彼にブラバムのナンバー2に収まることを勧めた。たしかにブラバムの方がずっと良いチームだったからね」
「ネルソンは、実際セナにチームに入るよう説得していた。『ぼくはこの世界にそこそこ長くいて、ワールド・チャンピオンシップも獲得した」と彼はセナに言うんだ。『チームを移るのもそう遠い先の事じゃないだろう。だからそれまでは我慢して、ぼくが出て行ったらナンバー1になればいいんだ。ちょうどぼくがニキのときにそうだったようにな』。でもネルソンは、セナから強い印象を受けているようでもなかった。あとで忘れていたくらいだしね」
ピケがセナを迎えることを拒否したとしても、ナンバー2に収まることを勧めたとしても、その理由は理解できる。自分がチームで勝ち続けるためならば拒否するだろうし、ナンバー2として、当時最高のドライバーの1人であるピケからいろいろなことを学び、ピケがチームを去ったあと、セナがチームを背負って立せたいならば、受け入れるでしょう。
おそらく、プロストの読みが外れたのでしょうか?しばらくは自分がセナに負けることはないと。でも現実は違っていた。移籍1年目にして初のチャンピオンに。2年目のシーズンは2人の関係はさらに悪化し、プロストの政治力と鈴鹿のシケインでセナは2度目のチャンピオンへの道をつぶされてしまいました。
'89年鈴鹿の結末は当時セナ嫌いだった私にとっても非常に後味の悪いチャンピオンシップの幕切れで、プロスト嫌いに大きく傾いたレースでした。
プロストはかつての経験で、ある意味政治の力を痛いほど知っていたため、自分の優位性を築くためにいろいろな圧力をかけたのでしょうね。
しかし、マスコミが騒ぐほど2人の仲が悪かったわけでもないようです。
ピケの場合は新聞や雑誌はほとんど読まないし、結構きつい(ある意味悪趣味な)冗談をポロポロこぼすが、本人は全く気に留めていないので、知らないところで変な亀裂が生まれるようでした。だから世間やセナ本人が思っているほど、ピケはセナのことを嫌っていたわけではないと思っています。もしかするとセナ自体も、気にしていなかったかもしれません。
プロストとの関係も、もしかしたらマスコミの誇張によって作り出されたものなのかもしれません。その辺りも2人のファンではないので詳しいことは解りませんが。
'90年には前年のお返しで1コーナーの飛び込みにわざとまっすぐインに入って、フェラーリに移籍したプロストを潰し、2度目のタイトルを決めた。これもつまらない結果でしたが、その甲斐もあって久々にピケがレースを制して私は嬉しかったのも事実。
こんなタイトル争いを見せられてファンとしても面白くなかった。'87年のピケ対マンセルの争いでは、心理戦はあったようですが、コース上でぶつけ合ったりはしていなかった。全てのレースがフェアでなかったわけでは無いけれど、何ともお粗末な事でしょうか。
セナ最後のタイトル獲得は'91年。後半勢い付いたウィリアムズに出戻りのマンセルを振り切ってのもの。この年のブラジルグランプリは最終的に6速ギア以外全て壊れた状態で走りきっての母国初優勝。コックピットで大泣きして、疲労で立ち上がる事がなかなか出来なかったその姿が印象に残ります。
その後のセナは戦闘力の劣るマシンを操り奮闘しますが、2年連続でタイトルを逃しました。'94年かねてより念願のウィリアムズへ移籍。しかし'88年が最高の移籍だとすると、この年は最悪の移籍でした。ハイテク装置禁止の弊害でマシンの戦闘力が低下。そして運命のサンマリノGPで34歳の生涯を終えてしまいました。
その後のウィリアムズの状況を見れば、もう少しセナが走っていれば近い将来4度目のタイトルが取れた可能性もあるでしょう。
セナのレースへの執着は伝説と化したフェラーリドライバー、ジル・ビルヌーブに似たものがあると思います。勝ち負け以上に、良い勝負が出来れば満足であったというビルヌーブと、その点での違いはあるでしょうが。
彼の死は、自らの過失ではなく、おそらくマシンの異変による事故でしょう。プロストとタイトル争いした最初の3年間位までは確かに危険な走りもかなりあったと思うし、当時はマンセルと同じくらい危ないドライバーだと思っていました。しかし後の数年間は、もちろんリスクを冒して攻めるときもレーシング・ドライバーですからあったでしょうが、他人を巻き込む危険な走りは無くなり、実にベテランらしいレースが出来るように成長していったと思います。
今週末はブラジルグランプリ。セナの事故以来、死亡事故は起きていません。しかし、'82年にビルヌーブが事故死した後のように、安全面が強化され、レースで人が死ぬのは過去のことだと思い始めたときに、起こりうる事もあるのです。
今年は史上まれに見るチャンピオンシップ大混戦。白熱するバトルは見る側からすると面白いのですが、スポーツとして安全面を軽視することなく、今後とも続いていってほしいものです。
セナゆかりのものはこれくらいしかないですが、おまけでもらった'85年に彼が乗っていたLOTUS97Tルノーのプルバックカー。近年は続々と昔のマシンがキット化されており、97Tも作ってみたい1台です。もちろんカーナンバーは11でエリオ・デ・アンジェリス仕様で(笑)。
(長文失礼しました~)
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neko
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